社号 | 伊久比売神社 |
読み | いくひめ |
通称 | |
旧呼称 | 市姫大明神 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市市小路 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡市小路村 |
御祭神 | 伊久比売命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月13日 |
伊久比売神社の概要
和歌山県和歌山市市小路に鎮座する神社です。谷地区に鎮座する「山口神社」と共に式内社「伊久比賣神社」の論社となっています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
江戸時代以前に「市姫大明神」と呼ばれたこと、及び「市小路」の地名から、当地に市場が開かれ、その守護神として祀られていたことが考えられます。
江戸時代には既に式内社「伊久比賣神社」の所在は不明となっており、紀州藩の調査により当社を式内社と定めて享保十一年(1726年)に境内の四至を定めて整備し、古社として復興しました。
式内社「伊久比賣神社」が当社とされたのは恐らく神名の音韻の近似性によるものでしょう。
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』は当地は古く海中であり式内社が鎮座するに相応しくないとして、元は北東の地に鎮座していたものの、地形の変化により当地に集落が形成されて遷座したのではと推測しています。
一方で谷地区に鎮座する「山口神社」は「伊久津姫命」なる神を祀っており、式内社「伊久比賣神社」とはこの神ではないかともしています。
上記のように『紀伊続風土記』は当地は古く海中だったとしているものの、『延喜式』の時代には既に陸地であったことが判明しており、当社が当初から当地に鎮座し、かつ古く遡る可能性は十分考えられます。
当地に紀ノ川河口の港が置かれ、海上交通と河川交通の結節点として物資が集積し、それに伴い市場が形成されその守護神が祀られたとも推測が可能です。
しかしだからと言って当社が式内社である確証は無く、古くから「伊久津姫命」なる神を祀っていた谷地区の「山口神社」の方が論社としては有力と言えるかもしれません。
境内の様子
境内入口。当社境内は塀で囲われており、南側に鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。境内は鬱蒼とした森となっており、砂利敷きの参道の左右には灯籠が並んでいます。
さらに参道を進むと大きなクスノキが聳えています。これは和歌山市指定保存緑となっています。
クスノキの傍ら、参道の右側(東側)に手水舎が建っています。
参道の正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。
拝殿後方、瑞垣に囲まれて銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
本社本殿の左側(西側)に「金比羅宮」が南向きに鎮座。
銅板葺の平入切妻造の社殿。恐らく覆屋で、中に社殿が納められているのでしょう。
反対側、本社本殿の右側(東側)に複数の境内社が西向きに並んでいます。
この内、最も奥側(北側)に鎮座するのは「里神神社」。コンクリート製で、妻入切妻造の社殿となっています。
里神神社の右側(南側)に隣接して「八幡社」「八王子社」の相殿が、さらに右側(南側)に隣接して「住吉社」が鎮座しています。
前者は銅板葺の流見世棚造の社殿。
後者は銅板葺の春日造状の覆屋に小さな春日造の社殿が納められており、入れ子のようになっています。
住吉社の右側(南側)に隣接して「天龍神社」が鎮座。
社殿は銅板葺の一間社流造。
天龍神社から右側(南側)へやや隔てたところ、参道途中の右側(東側)に「八幡社」が西向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
参道の反対側(西側)にも複数の境内社が東向きに並んでいます。
これらの内、最も本社社殿に近い側(北側)に石祠が祀られています。社名・祭神は不明ですが、基壇が大きく、灯籠の残骸もあり、かつては比較的大きな社殿だったのかもしれません。
上記石祠の左側(南側)に「妙見社」が鎮座。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
妙見社の左側(南側)に隣接して「九頭神社」「春日神社」「八幡神社」の相殿が鎮座。
社殿は銅板葺の平入切妻造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。恐らくこれも覆屋でしょう。
当社には拝殿左側(西側)および手前側(南側)それぞれに大きなクスノキが聳えています。
この二本の巨樹はいずれも樹齢300年~400年と推定されており、和歌山市指定天然記念物となっています。
由緒
案内板
伊久比売神社の樟樹(くすのき)
地図
関係する寺社等
山口神社 (和歌山県和歌山市谷)
社号 山口神社 読み やまぐち 通称 日吉神社 等 旧呼称 山王権現社・春日明神社 等 鎮座地 和歌山県和歌山市谷 旧国郡 紀伊国名草郡谷村 御祭神 伊久津姫命 / 配祀:国常立命、国狭槌命、惶根命、 ...
続きを見る