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住吉神社 (大阪府河内長野市小山田町)

社号住吉神社
読みすみよし
通称
旧呼称五社大明神、豊浦神社、清崎神社 等
鎮座地大阪府河内長野市小山田町
旧国郡河内国錦部郡小山田村
御祭神表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命、武内宿禰
社格旧郷社
例祭スポーツの日

 

住吉神社の概要

大阪府河内長野市小山田町に鎮座する神社です。

社伝によれば、神功皇后の三韓征伐の帰途に「住吉大社」(大阪市住吉区住吉)を創建した後、神功皇后五十二年四月中の卯の日にこの地に祀ったと伝えられています。

案内板にはより具体的な描写が記されており、それによれば次の通りです。

  • 神功皇后の凱旋の際、和泉国の逆瀬川の上にある騰蛇船というところに着いた。(当地の北西約3km、堺市南区に逆瀬川の地名あり。この辺りか?)
  • そこから河内国に入り、弓を射て矢の落ちたところを滞在の地とした。
  • その際に国境に名主與三五郎なる者が案内し当社南方の高天原に滞在した。
  • 神功皇后五十二年にこの地に斎宮を建て、三月に神功皇后は斎宮に入って自ら神主となって祭祀した。

国史には当地に神功皇后が訪れたとする記録はありません。

瀬戸内海沿岸には神功皇后に付会する伝承が多く当社もその類と思われるものの、やや内陸にある当地では周辺に神功皇后に関する伝承が乏しくやや突拍子な印象は否めません。

一方で神功皇后を案内したという與三五郎なる人物は恐らく当地を開拓した祖となる人物なのでしょう。

その時代錯誤な名から推して平安時代後期から中世にかけての人物と思われ、当社が勧請・創建されたのも或いはこの頃ではないかとも推測されます。

しかし当地付近は住吉大社等との関係も特に記録上では見えず、この地に住吉神が勧請された事情ははっきりしません。

ただ住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』に「小山田」の地名が複数見え、これらが当地のことを指すとすれば存外に古くから住吉大社との関係があった可能性もあり得ることでしょう。

当社では毎年体育の日(スポーツの日 / かつては10月12日)に行われる「馬駈神事」が名高く、これは当社の馬場で氏子が手綱を持って馬が駆け抜ける神事です。

この神事は神功皇后の凱旋の際に裸馬の競争を催したことに因むと言われています。

 

境内の様子

当社境内への入口は西側と南側の二ヶ所があり、南側入口の方が広く立派なものですが、社殿の向きや小山田地区の集落とのアクセス性を考慮すれば西側入口が表参道となるものと思われます。

当記事でも西側入口から紹介していきます。(南側入口は後述)

当社は丘陵上に鎮座しているため西側入口は急斜面となっており麓から長い石段が伸びています。

 

ちなみに西側入口の手前側は狭い谷筋になっており田畑が広がっています。

小山田地区の集落は少し離れており、北側へ続く狭い道を進んでいく必要があります。

 

話を戻し、西側入口の石段を上っていきます。

この斜面は非常に鬱蒼とした森となっています。

 

住吉神社 河内長野市

この石段を上りきったところに一の鳥居である両部鳥居が西向きに建っています。

 

一の鳥居をくぐって左側(北側)に手水舎が建っています。

 

住吉神社 河内長野市

住吉神社 河内長野市

一の鳥居をくぐって正面奥に二の鳥居が、そしてそのすぐ後方に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に妻入入母屋造の向拝の付いたもの。

 

拝殿後方、透塀に囲まれて銅板葺の三間社流造に唐破風と大きな千鳥破風の付いた本殿が建っています。

この本殿は文化十年(1813年)に建立されたもののようです。

また本殿前に鳥居と中門が建っており、さらに本殿左右に境内社も建っているのが見えます。

あまりよく見えないものの、左側(北側)の境内社は「戎神社」、右側(南側)の境内社は「天神社」と記された札があります。

 

本社本殿周辺には神名を刻んだ多くの石碑が建っています。

詳細不明ながらこれらも境内社と同様に祭祀の対象となっているのでしょう。

確認できたものは「多賀大明神」「稲荷大明神」「粟嶋大明神」「春日大明神」「天照皇大神宮」「四社大明神」「八百萬社」。

 

続いて南側入口を紹介します。

南側には新興住宅地を繋ぐ立派な道路があり、入口には老人ホームなど多くの福祉施設が建ち並んでいます。

福祉施設の間に挟まるようにして境内入口として鳥居が南向きに建っており、そこから玉垣の建ち並ぶ参道(馬場)がまっすぐ伸びています。

当社で行われる「馬駈神事」はこの馬場で行われます。

 

馬場の途中、右側(東側)に「高天原神社」が西向きに鎮座。神功皇后が滞在したという高天原とはこの辺りを指すのでしょうか?

馬場から分岐した参道の奥に銅板葺の妻入切妻造の社殿が建っています。

 

この馬場を奥へ進んでいくと本社社殿の側面へと至ります。

その少し手前に注連縄が掛けられており、これは勧請縄の一種であると言えるかもしれません。

 

この注連縄を少し過ぎて右側(東側)に「諏訪社」が西向きに鎮座。

朱鳥居が建ち、その奥へ進んだところに銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。

 

タマ姫
海から離れたところに住吉神社がある!何でだろう?
神功皇后がこの地を訪れたという伝承があるけれど、実際のところは正直ちょっとわからないわね。
トヨ姫

 

由緒

案内板

住吉神社

案内板

住吉神社

 

地図

大阪府河内長野市小山田町

 

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