社号 | 旧府神社 |
読み | ふるふ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王社 |
鎮座地 | 大阪府和泉市尾井町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡尾井村 |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 |
式内社
旧府神社の概要
大阪府和泉市尾井町に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。社名の「旧府」については、①神功皇后の行宮である小竹宮(しののみや)に因むという説、②移転する前の和泉国府が当地にあったという説があります。
①の説について、小竹宮とは、『日本書紀』において神功皇后が三韓征伐の帰途に忍熊王の反逆を受け、紀伊国へ向かい忍熊王を討つために遷った行宮です。この小竹宮とされる地は諸説ありますが、一説に当社の辺りにあったと言われています。当地付近の地名「信太(しのだ)」は「小竹田」とも表記されたため、地名から見ても当地の比定にある程度の理があるようには思えます。
しかし小竹宮は文脈から考えても紀伊国にあったとする説が有力で、その場合、和歌山県御坊市の「小竹八幡神社」や和歌山県紀の川市の「志野神社」がそうだとする説があります。
②の説について、和泉国府は泉井上神社の近くにある御館森がその跡地であると考えられていますが、これは移転したもので当初は当社にあったという説があります。御館森の新国府に対して旧国府が当地である、とするものです。和泉国というより、その前身である和泉監の役所だったとも考えられています。
ただし、和泉国府(監府)が移転したという記録はなく、また他国の式内社においても旧国府を殊更神社として祀る例は見られない点に疑問があります。
このように二つの説がありますが、いずれも疑問があり決めにくいのが実情です。「旧府」とあるからには何らかの古い役所があったことが推測されますが、記録には見えない未知の歴史がこの社名には込められているのかもしれません。
境内の様子
境内入口。境内の手前側は樹木や玉垣等も無く非常に開放的な空間ですが、境内の奥は樹木の生い茂る鬱蒼とした空間となっており、この対比が印象的です。
社殿の前には大きなクスノキが聳え立っています。
また社殿前の参道には狛犬、灯籠、そして二基の鳥居が並んでおり、手前の開放的な空間(=人の世界)から奥の鬱蒼とした空間(=神の世界)へ移る緩衝帯としての機能を果たしています。
鳥居の前の狛犬。和泉砂岩製でしょうか。
鳥居の左側(西側)に手水舎があります。
社殿は南向き。拝殿は平入の入母屋造で割拝殿状の形式ですが、左右の部屋に床はありません。
本殿は妻入の切妻造の覆屋となっています。この中に本殿が納められているのでしょう。
参道の左側(西側)に「白狐化石」なるものがあります。葛の葉の物語で狩人に追われた一匹の白狐がこの石に隠れたとも化けたとも言われており、元々は街道沿いにあったものを境内に移したものです。


地図