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川俣神社 (大阪府東大阪市川俣本町)

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社号 川俣神社
読み かわまた
通称
旧呼称 天神宮 等
鎮座地 大阪府東大阪市川俣本町
旧国郡 河内国若江郡川俣村
御祭神 大己貴命、少彦名命、保食神
社格 式内社、旧村社
例祭 10月29日

 

川俣神社の概要

大阪府東大阪市川俣本町に鎮座する式内社です。

創建、由緒は詳らかでありません。『新撰姓氏録』左京皇別および河内国皇別に彦坐命の後裔であるという「川俣公」が、また河内国神別に津速魂命の九世孫、梨富命の後裔であるという「川跨連」が登載されており、どちらかの氏族が当社の祖神を祀ったと考えられます。

『倭名類聚抄』河内国若江郡に「川俣郷」の記載があり、当地の地名はその遺称と考えられています。また『日本書紀』応神天皇十三年の条にある歌にもカハマタの地名が見られ、この地名の古いことが窺われます。当地付近は大和川水系の川がいくつも分流・合流し河内湖へ注いでいた地と思われ、川俣の地名もこれに因んだものと考えられます。

こうした地形を利用し水運に従事した人々が当地に居住していたと想像されます。当社を奉斎した氏族もこうした職掌に携わっていたのかもしれません。一説に皇別氏族の川俣公は日下部連と同じ系統であり、日下部氏は河内湖の東岸に居住していたと思われるから、両氏が一丸となって河内湖における水運や漁業、港湾管理などに携わっていたという見方もあります。

とはいえ現在の御祭神はいずれの氏族とも無関係の神となっており、今では地名にのみ往時の痕跡を残しています。神社背後を流れる第二寝屋川(旧・楠根川)はかつての大和川の流路の一つだったとも言われており、これもまた痕跡の一つでしょうか。

 

境内の様子

境内入口。住宅地の中にあり、あまり大きくない神社です。鳥居は宝永二年(1705年)に奉納されたもの。

 

鳥居の脇に狛犬が一対配置されています。

 

鳥居をくぐって左側(南側)に手水舎があります。

 

正面に東向きの社殿が建っています。拝殿は平入の切妻造。

 

拝殿前にもまた違った顔の狛犬が一対。

 

本殿はこちらの覆屋の中に納められているようです。

 

境内社等は無く、シンプルな境内となっています。

 

タマヨリ姫
この辺は古くは川とかいっぱい流れてたみたいだね!川俣って地名もそこから来てるのかな。
そうね。川の流れってのは時代と共に大きく変動するから、古い時代は今とだいぶ様相が違ってたはずよ。でも川俣って地名自体はかなり古いみたいね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「川俣神社」

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川俣神社

川俣神社は、奈良時代~平安時代に官社となった神社の一覧表に記載され、その頃から祈年祭には、鍬・靫(矢を容れて背に負う道具)が供えられたと書かれています。

川俣の地名は古くから知られており、『日本書紀』には、仁徳天皇が詠んだと言われている歌があり、その中に「……川俣江の菱殻の……」は、水辺に生い茂る菱を歌っており、この川俣は、当地であるといわれています。

奈良時代、僧行基が、川俣の一女性を救う話や、東大寺の大仏造営時、河俣連人麻呂という豪族が、銭一千貫を寄進したと書かれています。また奈良時代の他の書物にも、川俣・河俣・川派が見うけられ、河俣氏は、古代からかなり勢力を持つ豪族であり、氏神として川俣神社をまつったといわれています。

神社地は「川中」という字名がついています。古代から地形の低いこのあたりは、何本にも川筋が分かれたり、入江や中洲が散在する状態であったと思われますが、こういう地形は、水運など交通の便もよく、古代文化の受け入れる地であったと思われます。

平成10年1月

東大阪市

『河内名所図会』

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川俣神社

鍬靫延喜式出。川俣村にあり。この所の生土神とす。応神紀に川俣の和歌あり。

 

地図

大阪府東大阪市川俣本町

 


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