社号 | 比売許曽神社 |
読み | ひめこそ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王社 等 |
鎮座地 | 大阪府大阪市東成区東小橋3丁目 |
旧国郡 | 摂津国東成郡小橋村 |
御祭神 | 下照比売命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月16日 |
比売許曽神社の概要
大阪府大阪市東成区東小橋3丁目に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは重要な神社でした。
記紀によれば、新羅の女が男から逃れ、本邦へやってきて難波に留まりヒメコソ社の神となった旨が記されています。『古事記』ではその様子を要約すると次のような物語となっています。
『古事記』(大意)
新羅にあったアグヌマなる沼の畔で寝ていた女が日の光を浴びて赤玉を産み、それをある男が所望して譲り受けた。新羅の王子であった「天之日矛(アメノヒボコ)」は、その男が一頭の牛に食料を負わせているのを怪しんだが、男は赤玉を贈ることで許しを得ることが出来た。赤玉は美しい娘となって天之日矛の妻となり、色々の美味な料理を食べさせたものの、いつしか天之日矛は驕り高ぶり妻を罵るようになった。妻は「私はあなたの妻となるべき者ではない、私の祖国へ行く」と言って小船に乗って逃げ渡り、難波に留まった。これは難波の比売碁曾社に坐すアカルヒメという神である。
『日本書紀』でも同様の話がありますが、本邦へやってきた女の名は記されておらず、また女に迫った男は天之日矛でなく「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」となっています。
『古事記』の「比売碁曾社」は当社だと考えられますが、当社の御祭神はどういうわけかアカルヒメでなく「下照比売命」となっています。
『延喜式』の時代には既に当社の御祭神はシタテルヒメとされていたようで、『延喜式』四時祭には「下照比賣社 一座【或號比賣許曾社】」とあり、また『延喜式』臨時祭の名神祭二百八十五座にも「比賣許曾神社一座【亦號下照比賣】」とあります。
このように古くから当社はシタテルヒメを祀っていたことが知られており、これは本来はアカルヒメを祀っていたものがいつしか忘れられシタテルヒメに変わったとする説、『古事記』に言う「比売碁曾社」は当社でなく平野区平野東に鎮座する「赤留比賣命神社」であり当社は最初からシタテルヒメを祀っていたとする説などがあります。
当地の伝承を見てもアカルヒメよりもシタテルヒメに関する伝承が多く見られ、当地付近のかつての地名味原とは下照比売命の兄である「味鉏高彦根神」に因むとも伝えられています。味鉏高彦根神は当社の相殿神の一柱として祀られています。
また『摂津国風土記』逸文によれば、天稚彦が天下ったときに次いで天探女が磐船に乗ってここまで来て泊まったので高津という、とする語源説話があります。
これに関連して江戸時代中期の地誌『摂津名所図会』によれば、小橋村(当地付近)の西南の田圃の中に小さな丘があって「磐船山」と呼ばれ、これは天探女が乗っていた磐船が土中に蔵されており、当社の神の“御正体”であるとしています。
記紀においてはアメノサグメとシタテルヒメは別の神として描かれていますが、いずれもアメノワカヒコに与する存在であることからいつしか混同されたのかもしれません。
さらに当社の旧地(後述)の付近にはシタテルヒメ(アメノサグメ?)が降臨したと伝える「味原池」やアジスキタカヒコネが降臨したと伝える「高彦崎」があったと言われています。
ただ、記紀の中でも出雲色の濃いアメノワカヒコやアメノサグメ、シタテルヒメ、アジスキタカヒコネの伝承が何故当地にあるのかは全くの不明です。
他方、住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』に「子神」として「下照比賣神」が記載され、これを当社であるとする説があります。そうであるなら古くは住吉大社とも関係が深かったと言えるでしょう。
社伝では当社は垂仁天皇の御代、愛久目山(アクメヤマ:小橋一帯の高台とされる)にシタテルヒメを祀ったのが創建と伝えられ、一説に天王寺区小橋町に鎮座する「産湯稲荷神社」(当社の西方約700m)が旧地であるといわれています。
一方で現在地には「牛頭天王社」が古くから鎮座しており当社の摂社だったと言われています。相殿神の一柱に「速素戔鳴命」があり、これはこの牛頭天王社の神と思われます。
そしてかつて愛久目山に鎮座していた当社は天正年間に織田信長の石山本願寺攻めで戦火にかかり、現在地、すなわち当時は「牛頭天王社」が鎮座していた地に遷座したと伝えられています。
なお『摂津名所図会』には数多くの神宝が伝わっていたことが記されていますが、現存するのかどうかは不明。
当地付近は『倭名類聚抄』に載る摂津国東成郡の「味原郷」と推定されています。
「小橋(オバセ)」の地名も古く、『日本書紀』仁徳天皇十四年、猪甘津において橋を造りその所を小橋と名付けたとあります。これは確認できる日本最古の橋とされ、後にはここに鶴がよく飛んできたことから「鶴橋」と呼ばれるようになり、現在駅名として知られる地名になったと言われています。
この故事からも当地は古くから高度な土木技術で以て開発された地であることが窺えます。
境内の様子
境内入口。住宅地に囲まれた狭い一画に境内があり、鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐると左側(西側)に手水舎があります。
境内もとても狭く、南向きに建つ社殿は奥の方で窮屈そうに佇んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造で千鳥破風と唐破風の向拝が付いたもの。
大抵の狛犬は身体を横向きにして配置してあるのですが、当社の拝殿前の狛犬は真っ正面を向いており、やや珍しいものです。花崗岩製。
本殿は幣殿と接続した銅板葺の流造となっています。
手水舎の右側(北側)に「大國主大神」が東向きに鎮座。
社殿は住吉造のような銅板葺の妻入切妻造で、何故か千木が内削ぎになっています。
奥へ進み、境内の北東端には「白玉稻荷大神」が南向き鎮座。
神明鳥居と三基の朱鳥居が並び、その奥に銅板葺の一間社流造に朱塗りの施された社殿が建っています。
社務所と社殿はやや距離があるものの、このように屋根付き橋のような廻廊で接続されています。履物を脱いだまま行き来ができ、かつ境内奥の白玉稻荷大神への参拝に支障のない構造になっています。狭い境内ながらこうした工夫が見られるのは面白いところ。
当社の一の鳥居は境内の東側、交通量の多い道路に面したところに東向きに建っていました。


由緒
案内板
神社略記
『摂津名所図会』
地図
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