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住吉大社 (大阪府大阪市住吉区住吉)

社号住吉大社
読みすみよし
通称住吉さん
旧呼称住吉四社大明神 等
鎮座地大阪府大阪市住吉区住吉2丁目
旧国郡摂津国住吉郡住吉村
御祭神底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
社格式内社、摂津国一宮、二十二社、旧官幣大社、別表神社
例祭7月31日(住吉祭)

住吉大社の概要

大阪府大阪市住吉区住吉2丁目に鎮座する神社です。

式内社(名神大社)であるのは勿論のこと、摂津国一宮で、かつ戦前には官幣大社にも列せられた神社であり、大阪府内のみならず全国的にも名の知れた大きな神社です。

 

『日本書紀』に見る住吉三神

当社の御祭神である「底筒男(そこつつのお)命」「中筒男(なかつつのお)命」「表筒男(うわつつのお)命」の三柱は、日本神話では黄泉国から戻ってきたイザナギが禊をした際に海神三神(底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神)と共に生まれてきたことが記され、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱は『日本書紀』では「住吉大神」、『古事記』では「墨江の三前の大神」であるとしています。(以下、当記事では「住吉三神」と表記)

この住吉三神の事跡は『日本書紀』の仲哀天皇紀や神功皇后紀に描写されています。まず仲哀天皇八年九月五日条から神功皇后摂政前紀にかけて次のように記しています。

  • 仲哀天皇が熊襲を討つことを臣下に相談したところ、神功皇后に神託があり、「熊襲の地は荒れて痩せているので討つべきでない。しかし海上に金銀や彩色などの沢山ある新羅という国がある。もし我を祀ればきっとその国は服従し、熊襲も従うだろう」と教えた。
  • しかし仲哀天皇はこれを疑い、神託に従わず熊襲を討とうとしたが勝てなかった。
  • 翌年、仲哀天皇は急に病気になり翌日に崩御した。
  • 神功皇后はこの神の託宣に従うべく自ら神主となり、この神の正体を確かめると「五十鈴宫にいる撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」「尾田の吾田節の淡郡にいる神」「天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神」「表筒男・中筒男・底筒男」と複数の神々の名が示された(一書では住吉の神名のみを名乗る)。

このように九州の熊襲を討とうとした際に神託があり、この託宣の主に住吉三神が含まれています。これらの神々は天皇らの為すべき行動を助言しつつも、それに従わなければ祟りを引き起こす恐ろしい存在としても描かれています。

この後、神功皇后は一旦熊襲を平定した後に渡海して新羅を攻め(いわゆる三韓征伐)、そこからの帰国の際にも住吉三神が登場します。

まず神功皇后摂政前紀仲哀天皇九年十二月十四日の記事に、表筒男・中筒男・底筒男の三神から「我が荒魂を“穴門山田邑”に祀れ」と託宣があり、そのようにしたと記しています。これは山口県下関市一の宮住吉に鎮座する「住吉神社」の創建由緒となっており、「穴門山田邑」もその地とされています。

そしてその後、神功皇后摂政元年二月の条には次のように記しています。

  • 神功皇后の新羅からの凱旋の際、忍熊王が叛乱したため難波へ向かおうとしたが、船が海上でくるくると回って進むことができなくなった。
  • そこで務古水門(武庫の港:現在の西宮市)に還って占ったところ、天照大神、稚日女尊、事代主命、表筒男・中筒男・底筒男から神託がありそれぞれを祀るよう教えられた(それぞれ「廣田神社」「生田神社」「長田神社」そして当社の創建由緒となる。前三社の詳細は当該記事参照)。
  • 表筒男・中筒男・底筒男の三神による神託の内容は「我が和魂を“大津渟中倉之長峡(オオツノヌナクラノナガオ)”に祀れ。そうすれば往来する船を守護することができる」というものであった。

「大津渟中倉之長峡」がどこであるかは諸説ありますが、凡そは当社の鎮座地(=住吉津)に比定されており、この記事が当社の創建由緒となっています。

このように住吉三神は神功皇后の三韓征伐に非常に深く関わる神として描かれています。畿内における重要な港湾だった当地(住吉津)、そして九州や朝鮮半島への中継地だった穴門山田邑と、航海上の拠点に住吉三神が祀られた点も重要です。

神功皇后の実在性および倭人による朝鮮半島への侵攻の史実性については諸説あるものの、中国吉林省に残る好太王碑の内容から四世紀から五世紀にかけて倭が朝鮮半島に侵攻したことが記される他、白村江の戦いまで朝鮮半島の南部にあった任那を通じて倭が朝鮮半島に影響力を及ぼしていたことが『日本書紀』にも記されており、何らかの歴史的事実を反映した可能性は高いと言えます。

このように古代の対外交渉が盛んに行われた時代において、航海や舟運の安全を司る神として国家的に重視されるようになったのが住吉三神だったと考えられます。その様子を神話的に体系化したのが上記の記事と言えるのでしょう。

最初に住吉三神がイザナギの禊によって海神三神と共に生まれたとされる点についても、海人族である安曇氏が祖神として祀っていた海神と同時に顕現させることで住吉三神もまた海に関する神としての神格を強化する狙いがあったのかもしれません。

 

住吉三神の由来

この住吉三神(表筒男・中筒男・底筒男)がどこに由来するのかは諸説あるものの有力な説はありません。

「筒男」を「津の男」の意とする説、船に祀る船霊(これを祀る部分をツツと呼ぶ例がある)とする説、対馬の豆酘(ツツ)に祀られる神に由来する説、ツツを星の意として星の神、とりわけオリオン座の三つの星に因むとする説などがありますが、いずれも想像の域を出るものでなく決め手となるものはありません。

ただ『古事記』のイザナギの禊において海神三神は「綿津見“”」と記しているのに対して住吉三神は「筒男“”」と使い分けられており、田中卓氏は前者は宗教的意義の神であり後者は宗教的意義を含まず人としての称であるとの説を展開しています。

この点については注目すべきであり、海神三神が安曇氏の個人的な祖神であると共に漠然とした自然神たる海の神であるのに対し、住吉三神は特に特定の氏族の祖神でなく、またしばしば白髪長髯の翁として描かれ「現人神」として見做されることが反映されているのかもしれません。

こうした点から海神のような自然神とするよりは、(どのようにして発生したかはともかく)国家的に祭祀されるべき航海の守護神であり、また人に近い存在として信じられたものと見るべきでしょう。

 

当社の創建と祭祀

当社の創建については神功皇后摂政十一年のこととしており、仮に神功皇后を実在の人物とすれば三世紀~四世紀頃のこととなります。

しかし古墳時代にあたるこの時代には神社としての祭祀形態は成立しておらず、恒常的な社殿が常設されるようになったのは六世紀~七世紀頃と考えられ、当社もその時期に創建したものと思われます。

ただ当社の前身として神籬等を設けて住吉三神を祀ることはより古くから行われていた可能性があり、それこそ三世紀~四世紀頃はそのように祭祀されていたのかもしれません。

当社に伝わる古文書である『住吉大社神代記』によれば、住吉三神が住みたいと欲した地は「手搓足尼(タモミノスクネ)」なる人物の地であり、神功皇后は彼を神主として住吉三神を祀らせたことを記しています。

手搓足尼(田裳見宿禰)は「津守氏」の祖であり、それ以来当社は津守氏が代々奉斎してきたとされています。『新撰姓氏録』摂津国神別に尾張宿禰と同祖、火明命の八世孫、大御日足尼の後裔であるという「津守宿禰」が登載されており、これが当該の氏族となります。

ただ上述のように住吉三神は国家的に祭祀された神であり、津守氏の祖神ではありません。『延喜式』神名帳によれば摂津国住吉郡の「大海神社」(住吉大社に隣接して鎮座)は「元名津守氏人神」とあり、津守氏の祖神はそちらで祀っていたとされています。

しかし大海神社の御祭神である「豊玉彦命」「豊玉姫命」は津守氏でなく安曇氏の祖神であり、矛盾が生じています。この点について、元々は畿内における海運の拠点として安曇氏が居住し神を祀っていたところを、後に津守氏が祭祀するようになったのかもしれません。(詳しくは「大海神社」の記事を参照)

 

江戸時代以降の当社

このように古くから津守氏の手によって国家的に祭祀が行われてきた当社ですが、江戸時代に入ると広く庶民からの崇敬を厚く受けるようになります。

特に航海の守護神であると信じられたことから、当時栄えていた北前船等の廻船業を営む人々や問屋関係者は、讃岐の金刀比羅宮と共に当社の神を非常に熱心に信仰しました。

今でも境内に数多く残る灯籠等は彼らによって奉納されたもので、いかに当社への崇敬が厚かったか如実に知ることができます。

廻船業が衰えてもその信仰は現代でも息づいており、航海の守護神たる神格の延長として交通安全の神としても崇敬されています。

関西では初詣の参拝者数が伏見稲荷大社と並ぶほど多い神社となっており、大阪の人々は勿論、全国各地から当社へ参詣する人が絶えません。

 

境内の様子

境内入口。阪堺電車の住吉鳥居前停留場のすぐ側に松の生い茂る巨大な境内があり、正面に大きな一の鳥居が西向きにドドンと建っています。

 

鳥居の両脇に配置されている狛犬。花崗岩製のもので胸を張った非常に堂々とした姿。

 

住吉大社は古代においては国家的に祭祀が行われた一方、近世以降は北前船などの発達に伴い航海や物流に携わる庶民からの崇敬を集めました。

境内に残る数々の灯籠は彼らが奉納したもので、往時の賑わいを今に伝えています。

 

鳥居をくぐって左右両側にそれぞれ絵馬殿が建っています。

いずれも本瓦葺の切妻造で朱塗りが施されています。

 

住吉大社

鳥居から真っすぐ進んでいくとアーチ状に大きく反った橋である「反橋」があります。

古くからの、特に中世以降の住吉大社を題材とする絵画には必ずと言って良いほど描かれるものであり、住吉大社の象徴とも言えるもの。

現在のものは慶長年間に淀君が奉納したと伝えられています。

 

反橋の側にも花崗岩製の狛犬が配置されています。こちらはやや俯いた姿。

 

反橋の架かる池。一説にかつては大阪湾の潟湖だったとも言われています。

 

反橋の上から境内を見下ろした様子。

 

反橋を降りて左側(北側)に手水舎が配置されています。

吐水は兎になっているのが特徴で、このように境内のあちこちで兎の像が置かれてあります。

これは住吉大社が卯年卯月卯日に鎮座したと伝えられることに因んだものです。

 

住吉大社

住吉大社

反橋から正面に進むと鮮やかな朱塗りの神門「幸寿門」が西向きに堂々と建っています。

神門の前に建つ二の鳥居は柱が角柱となっており「角鳥居」と呼ばれています。

ここをくぐればいよいよ社殿の建つ主要な空間。

 

住吉大社

神門をくぐった様子。ここが住吉大社の中心ともいえる、社殿の建ち並ぶ空間です。

社殿は四殿あり、いずれも西向き。奥側(東側)から第一本宮、第二本宮、第三本宮、そして第三本宮の右側(南側)に第四本宮があり、L字型に社殿が並んでいる形になっています。

このような社殿配置は他に類例が無く、非常に珍しいものです。

 

当記事では最も奥に鎮座する「第一本宮」から紹介していきます。こちらの御祭神は「底筒男命」。

一般に拝殿と呼ばれる前方の建築は当社では「幣殿」と呼ばれ、檜皮葺で平入の切妻造に唐破風と千鳥破風が付いた割拝殿形式です。

文化七年(1810年)の建立で、本殿と接続する渡殿と共に国指定重要文化財となっています。

なお第一本宮の幣殿のみ他の幣殿より大規模な桁行五間となっています。

 

第一本宮の後部に建つ本殿。「住吉造」と呼ばれる独特の形式で、檜皮葺で妻入の反りの無い切妻の建築。

神明造などと並んで神社形式の最も古い姿を今に伝えていると言われています。

こちらも文化七年(1810年)の建立ですが、こちらはより価値のあるものとして国宝に指定されています。

 

こちらは第一本宮の手前側(西側)に建つ「第二本宮」。御祭神は「中筒男命」。

第一本宮と同様、文化七年(1810年)の建築で幣殿及び渡殿は国指定重要文化財に、本殿は国宝に指定されています。

 

第二本宮の手前側(西側)に建つ「第三本宮」。御祭神は「表筒男命」。

神門をくぐって真っ先に目に入るのがこちらの社殿です。

こちらも同様に文化七年(1810年)の建築で、幣殿及び渡殿は国指定重要文化財に、本殿は国宝に指定されています。

 

第三本宮の右側(南側)に建つのが「第四本宮」。御祭神は「神功皇后」。

こちらは他の三棟と違い、本殿の上にある千木が内削ぎとなっています。

そしてやはり同様文化七年(1810年)の建築で、幣殿及び渡殿は国指定重要文化財に、本殿は国宝に指定されています。

 

第三本宮・第四本宮の手前両脇に鎮座するのは「矛の御社」(左側 / 北側)と「楯の御社」(右側 / 南側)。

それぞれ「経津主命」と「武甕槌命」を祀っています。

 

社殿の右側(南側)に「侍者(おもと)社」が鎮座。「田裳見宿禰」と「市姫命」を祀っています。田裳見宿禰は住吉大社の初代の神主で津守氏の祖となる人物です。

良縁祈願の「おもと人形」、夫婦円満の「裸雛」が供えられます。

社殿は銅板葺・平入切妻造で、左側に扉があり、この建物の中に春日造(?)の社殿が西向きに配置されています。

外見の建物はいわば拝殿と覆屋を兼ねたものと言え、社殿の建築としては珍しい形式です。

お知らせ

当社は境内社が多いため、大海神社及びその他の境内社については別記事にて紹介します。そちらも併せてご覧ください。

 

タマ姫
とっても大きな神社だね!社殿が四つ並んでて珍しい!
ここは初詣客が伏見稲荷大社と並ぶほどで、関西では特に有名な神社なのよ。
トヨ姫

 

御朱印・御朱印帳

 

 

由緒

案内板

住吉大社御由緒

由緒書

住吉大社の由緒

『摂津名所図会』

 

地図

大阪府大阪市住吉区住吉2丁目

最寄り駅

南海電鉄「住吉大社」駅

阪堺電車「住吉鳥居前」駅

 

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