社号 | 生根神社 |
読み | いくね |
通称 | |
旧呼称 | 奥の天神 等 |
鎮座地 | 大阪府大阪市住吉区住吉 |
旧国郡 | 摂津国住吉郡住吉村 |
御祭神 | 少彦名命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月9日 |
生根神社の概要
住吉大社・大海神社の北側に鎮座しています。かつて住吉大社の摂社でしたが明治に至り離脱しました。
式内社で、名神大社に列せられていましたが、当社の創建の様子は定かではありません。一説には住吉大社が創建される以前から当地に鎮座していたとも。
「奥の天神」と称される所以は、住吉大社から見て大海神社の奥(北側)に鎮座すること、また文明十四年(1482年)に境内に天満宮を勧請したことで天神と呼ばれるようになったことによるとされています。また御祭神の少彦名命を天津神として「沖の天津神」から出たという説もあるようです。
境内の様子
生根神社の入口。両側に注連柱が建っていますが鳥居はありません。『摂津名所図会』の挿絵には境内入口に鳥居と神門が描かれているので何らかの理由で破却されたのかもしれません。
境内に入るとすぐ左手に手水舎があります。
生根神社の拝殿。青々と照り輝く銅板葺き屋根と大きな唐破風の向拝が特徴的です。住吉大社や大海神社が西向きで海に面しているのに対し、当社は南向きとなっています。
拝殿前の狛犬。銅製の迫力ある立派なものです。
生根神社の本殿。唐破風と千鳥破風の付いた一間社流造。当社を篤く崇敬していた淀君が片桐且元に命じて寄進したもので、慶長年間の造営と推定されています。大阪府指定文化財ですが、個人的に国重文に昇格しても良いのではと思うほど素晴らしく美しい桃山建築です。
「天淨稲荷大神」。手水舎の脇に鎮座しています。
境内の北西に鎮座する「天満宮」。「菅原大神」を祀っています。当社が「奥の天神」と称されるようになった大本の神社。勧請された当初である文明十四年(1482年)に造られた神像があります。
案内板「天満宮由緒略記」
境内北東の空間にも、まるで鬼門を守るかのように境内社が固まって鎮座しています。明治年間に近隣の地区から遷座されたようです。
龍王社
塞神社
粉浜地区を開拓した人々の氏神として武士を祭神とし塞神社を併せ祀っていたのを遷座したようです。
石碑「旧粉浜村・中在家村 塞神社」
種貸社
住吉大社の境内にも同名の神社がありますが関係は不明。やはり近隣から遷座してきたようです。
稲荷社
仏教建築のように思えます。『摂津名所図会』では奥天神(生根神社)の境内東側に観音堂があるとありますが、挿絵を見る限りではこちらとは異なるようです。
社殿脇に聳える御神木のモチノキ。大阪市の保存樹林で樹齢五百年以上といわれています。
広々とした住吉大社とは違いこちらは狭い境内。しかし実に長閑な空間となっています。
生根神社の手前から西側を見ると下り坂となっていることがわかります。大阪城から住吉大社にかけて続く上町台地の上に鎮座していることを示すものです。
御朱印
由緒
案内板「式内大社 奥の天神 生根神社 御由緒略記」
『摂津名所図会』
地図
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