1.大阪府 2.摂津国

阿久刀神社 (大阪府高槻市清福寺町)

社号 阿久刀神社
読み あくと
通称
旧呼称 住吉明神 等
鎮座地 大阪府高槻市清福寺町
旧国郡 摂津国島上郡芥川村
御祭神 住吉大神
社格 式内社、旧村社
例祭 4月15日

 

阿久刀神社の概要

大阪府高槻市清福寺町に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。江戸時代以前は「住吉明神」と称し、現在も「住吉大神」を御祭神としていますが、他に諏訪神や阿久斗比売(安寧天皇の皇后)を祭神とする説もあります。

一説には当社は百済系の渡来人である「調氏」と関係があるとも言われています。『新撰姓氏録』左京諸蕃に百済国の努理使主の後裔であるという「調連」が登載されており、応神天皇の御代に帰化し、一族に「阿久太」という者がおり、顕宗天皇の御代に絁絹を献じたとあります。

調氏の祖「努理使主」は『古事記』仁徳天皇の段に「奴理能美」と見える人物で、蚕を紹介して皇后に献上したことが描かれています。

当社の北方1.2kmほど、宮之川原元町に式内社の「神服神社」が鎮座しており、当地付近で機織りが盛んに行われていたことが推測されています。これに関連し、養蚕と機織りの技術を持っていた調氏が当地に居住し、彼らが祖の「阿久太」を祀ったと考えることは説得力があります。

古くは神服神社から当社に神輿の渡御があったと伝えられており、神服神社と当社の間で深い関係があったことが示唆されます。

また一説には、当社は物部系の一族「阿刀氏」が当地に居住し神を祀ったのが当社だとも言われています。

『新撰姓氏録』には阿刀氏は5氏が登載されており、摂津国神別にも神饒速日命の後裔である「阿刀連」が登載されています。「阿刀」と「阿久刀」が同根ならばこの氏族が当社を奉斎した可能性も考えられることでしょう。

さらに別の説として、島上郡衙がすぐ近隣にあることから、当地の有力者であり郡司を務めた三島県主氏が祖神を祀ったとも言われています。

このように当社の奉斎氏族については様々な説があり、当社の歴史や神格を明らかにするのは難しいのが現状です。

当社のすぐ北方に芥川が流れており、「芥(あくた)」が「阿久刀」と同根であるのは明らかです。島上郡(大阪府高槻市付近)を南北に流れ、肥沃な大地を潤す水源としての芥川を守護したことも考えられるかもしれません。

 

境内の様子

阿久刀神社

境内は住宅地に囲まれており、境内南側の入口に南向きの鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎があります。

 

参道の途中に玉垣が左右に設置されてあり、境内は南北の二区画に分かれています。

 

玉垣の前に配置されている狛犬。花崗岩製です。

 

阿久刀神社

阿久刀神社

玉垣を越えて正面に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺・平入入母屋造。正面には簡素な向拝状の屋根が設けられています。全体的に小規模で簡素な建築。

 

拝殿前の灯籠は文化四年(1807年)のものですが、正面に「阿久刀神社」と刻まれています。

江戸時代に「〇〇神社」と呼ばれることは珍しいものです(一般的には「〇〇社」「〇〇宮」など)。江戸時代には「住吉明神」と呼ばれていましたが、この刻銘は式内社「阿久刀神社」が当社に比定されたことを意識したものでしょうか。

ただ、後の時代に新たに刻まれた可能性もあります。

 

本殿は銅板葺の一間社流造で千鳥破風と軒唐破風の付いたもの。側面はトタンの壁で覆われています。塀で囲われており、あまりよく見えません。

 

本社社殿の左側(西側)に七社もの境内社が東向きに一列に並んでいます。これらは近隣に鎮座していた神社を明治期に遷座したもののようです。

 

最も左側(南側)に鎮座するのは「大将軍社」。御祭神は「武甕槌命」。

 

大将軍社の右側(北側)に「五社神社」が鎮座。御祭神は「天照大神」「天兒屋根命」「素盞嗚命」「八幡大神」「仁徳天皇」。

 

五社神社の右側(北側)に「稲荷大神」が鎮座。御祭神は「稲荷大神」「戎大神」。

 

稲荷大神の右側(北側)に「小島神社」が鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。元は芥川4丁目に鎮座していました。

 

小島神社の右側(北側)に「諏訪神社」が鎮座。御祭神は「建御名方神」。

 

諏訪神社の右側(北側)に「五社神社」が鎮座。御祭神は「天照大神」「八幡大神」「大産霊神」「菅原大神」「市杵島姫」。

 

五社神社の右側(北側)に「大将軍社」が鎮座。御祭神は「武槌命」。

 

境内の北東隅にはムクノキの御神木が聳えています。

樹齢800年、高さ15m、幹周り5.2mの大木です。

ただ、主幹は老衰のためか切断されておりやや痛ましい姿です。

案内板「御神木」

+ 開く

御神木

御神木とは古神道における神籬としての木や森を指し御神体、神域、結界の意味も内包する木を指す。

神籬は神の宿る場所としての神域、本神木は木霊が宿るとの伝えがあり、安産、子宝、学力向上、諸々の病い、苦難等に霊験あらたかです。

現世にとって禍や厄難を招くものが、簡単に行き来できない様に結界として本神木に注連縄を張っている。

高さ約15メートル、幹周り最大5.2メートルのムクノキ(ニレ科ムクノキ属)。樹齢800年と言われている。

平成元年3月30日に高槻市から保護樹木に指定されました。

阿久刀神社社務所

 

境内周辺

境内のすぐ北方は芥川が流れています。

「芥(あくた)」は「阿久刀」と同根であり、高槻市を南北に流れる芥川が当社と関わっていた可能性があります。

 

当社の南方350mほどのところに「嶋上郡衙跡」とされる遺跡があります。律令制下における摂津国島上郡の政治の中心となった場所です。

当社のすぐ近隣にあることから、島上郡司となった三島県主氏の一族が当社の祭祀に関わっていたことも考えられます。

案内板「史跡 嶋上郡衙跡 附 寺跡」

+ 開く

史跡 嶋上郡衙跡 附 寺跡

芥川の西岸に位置する嶋上郡衙は、旧西国街道(山陽道)の北側にひろがり、北は延喜式内社である阿久刀神社、西は芥川廃寺に囲まれた地域にあります。郡衙は、柵や溝で囲まれたなかに長大な建物群が整然とならぶ、律令制下の郡行政の中枢です。昭和45年の調査では、立派な石組井戸から「上郡」の墨書のある土器が発見されました。上郡は摂津国三嶋上郡の意味で、付近一帯が郡家と呼ばれていることからも、この地がまさに嶋上郡衙の中心部であることを示しています。

嶋上郡を治める郡司は、郡家川西の村の首長の後裔、三嶋県主の一族でした。彼らは山陽道に面して郡衙をつくり、村の西側に倉庫群を建てました。芥川廃寺に都の繁栄を願い、一族の神を阿久刀神社に祀り、先祖の葬られた岡本山一帯に墓域を定めました。また、郡衙に通う下級役人たちは郡家今城の村に住んでいました。しかしこうした村や寺は律令制に支えられたものであったために、律令制の崩壊とともにやがて放棄されたのです。

嶋上郡衙跡は、近畿地方で最初に確認された地方官衙であるとともに、郡衙成立前後の集落構造や地理的。歴史的空間構成を考えていくことのできる貴重な遺跡です。

昭和59年2月 高槻市教育委員会

 

当社のすぐ西方にある和菓子屋「長岡京都久誌」さん。どら焼きが有名ですが生菓子も非常に多くの種類を取り揃えており、選ぶのを迷ってしまいます。参拝の際にはお土産に是非どうぞ。

 

タマヨリ姫
神社のすぐ側を流れてる川、「芥川(あくたがわ)」って言うんだ!やっぱりこの神社と関係あるのかな?
恐らくそうね。同じ語が由来になってると思うわ。でもどのような人たちがこの神社を祀ってきたかはよくわからないわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「阿久刀神社」

+ 開く

阿久刀神社

阿久刀神社は、十世紀に編纂された『延喜式神名帳』記載の式内社で、住吉大神を祀り、住吉神社ともいわれる。創建の年月は不詳であるが、永禄年間(十六世紀)に三好・松永氏の兵火で消失。その後再建され、明治維新(一八六六)後、近在の諏訪神社、大将軍社等が境内社として当地に移転された。

社名は、『新撰姓氏録』(八一四編纂)にある阿刀連によるという説があり、芥川の地名もこれに因むといわれている。

落ち着いた境内から、盛時が偲ばれる。

高槻市教育委員会

『摂津名所図会』

+ 開く

阿久刀神社

芥川村にあり。延喜式出。当村の生土神とす。今住吉明神と称す。阿久刀は芥に相通ず。

 

地図

大阪府高槻市清福寺町

じゃらんで見る

JTBで見る

日本旅行で見る

 

-1.大阪府, 2.摂津国
-,

Copyright© 神社巡遊録 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.