社号 | 味舌天満宮 |
読み | ましたてんまんぐう |
通称 | |
旧呼称 | 馬場宮、八幡宮、天神社 等 |
鎮座地 | 大阪府摂津市三島3丁目 |
旧国郡 | 摂津国島下郡味舌下村 |
御祭神 | 菅原道真、天照大神、天忍穂耳命、瓊瓊杵命、鵜葦草葦不合命、天児屋根命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 7月25日、10月16日 |
味舌天満宮の概要
大阪府摂津市三島3丁目に鎮座する神社です。
社伝によれば、当社の創建・由緒について次のように伝えられています。
- 源満仲の後裔であるという馬場当次郎尚久なる人物が、当地を開拓して八幡大神を勧請し「馬場宮」「八幡宮」等と称して祀ったのが始めである。
- その後、尚久の三代孫である尚次が淀川の氾濫のために荒れた田畑から天満天神の御神体を発見して合祀した。
- 江戸時代に入り、寛永十二年(1635年)に初代柳本藩主である織田尚長が社殿を造営し、天満宮を本社として八幡大神を境内社とした。
このように当社は八幡神を祀る神社として創建され、後に天満宮を合祀したのが江戸時代に主客顛倒したようです。
江戸時代に当社を整備したという柳本藩主の織田尚長は織田有楽斎(織田信長の弟)の五男で、当地で生まれたとされています。
当地は柳本藩領でなく、有楽斎を藩主とする味舌藩の領地で、有楽斎の死後は幕府領となりました。しかし尚長にとって父のゆかりの地であり、また自身の生誕地でもあることから、産土神である当社の整備を主導したのでしょう。
この時に造営された本殿および境内社「八幡社」社殿は現存しており、貴重な建築として大阪府指定文化財となっています。
現在では当地付近を広く指した「味舌(マシタ)」の地名は住所としては消滅したものの、当社社名や小学校名として残っており、宅地化した当地における歴史を感じさせる貴重な地となっています。
境内の様子
当社は安威川に注ぐ山田川の左岸側に鎮座しています。
境内入口には鳥居が南東向きに建っています。
鳥居の左右に草木に隠れるように狛犬が配置されています。やや古めかしさの感じられるもの。
鳥居をくぐった様子。斜めに伸びた松の木が目の前に飛び込んできます。
鳥居の右側(北東側)に手水舎が建っています。
鳥居から参道をまっすぐ進むと正面奥に社殿が南東向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造。
拝殿前の左右に斜めに提灯台が設置されているのも特徴的。
拝殿前に配置されている狛犬。こちらは比較的新しいもの。
拝殿後方、瑞垣に囲まれて建つ本殿は檜皮葺の流造に千鳥破風と軒唐破風の付いたもの。
寛永十二年(1635年)に当地で生まれたという初代柳本藩主の織田尚長が造営したもので、貴重な建築として大阪府指定有形文化財となっています。
案内板には一間社流造とあるものの、外見からは柱が内側に二本あるため三間社のように見えます。内部は一部屋となっているのかもしれません。
ただ、案内板には正面に蟇股が四つある旨が記されているものの、この点については明らかに四つでなく三つです。
境内の南端には境内社の「八幡宮」が北東向きに鎮座。
玉垣に囲まれて檜皮葺・一間社流造の朱塗りの社殿が建っています。
こちらも寛永十二年(1635年)に織田尚長が造営したもので大阪府指定有形文化財。
なお概要にも記した通り本来は八幡大神を主祭神としていたといい、寛永十二年に八幡大神をこのように境内社とし、天満宮を本社としたと伝えられています。このように変更した理由ははっきりしません。
本社本殿の左側(南西側)に境内社が南東向きに鎮座。社名を記す札は掠れて読めないものの、Googleマップには「春日神社」とあります。
社殿は本瓦葺の流見世棚造。
本社本殿の右奥(北側)に境内社が南東向きに鎮座。社名を記すものは無いものの、朱鳥居や狐の置物が配されていることから稲荷系の神社でしょう。
二基の朱鳥居の奥に桟瓦葺の妻入切妻造の社殿(覆屋?)が建っています。
本社拝殿の右手前(東側)には遥拝所があります。
神明鳥居が建っているものの、北東向きに遥拝することになり、伊勢神宮とは異なる方角です。どこへの遥拝なのか不明。
遥拝所の右側(南東側)には覆屋があり、天満宮らしく牛の石像が納められていました。


由緒
案内板
味舌天満宮本殿・摂社八幡神社本殿
地図