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道明寺天満宮 (大阪府藤井寺市道明寺)

社号道明寺天満宮
読みどうみょうじてんまんぐう
通称
旧呼称土師神社 等
鎮座地大阪府藤井寺市道明寺1丁目
旧国郡河内国志紀郡道明寺村
御祭神菅原道真、天穂日命、覚寿尼
社格旧郷社
例祭2月25日

 

道明寺天満宮の概要

大阪府藤井寺市道明寺1丁目に鎮座する神社です。

当社は当地に居住し古墳の築造および葬送に携わった「土師氏」が創建したという「土師神社」を前身にしていると伝えられています。

 

土師氏と古墳

土師氏は天穂日命を祖とし、古来より土器の生産および葬送儀礼に携わった氏族で、特に古墳時代においては埴輪等の土器の生産および古墳の祭祀を担っていたと考えられます。

他地域を見ると、奈良県の佐紀盾列古墳群には土師氏の一族である菅原氏の拠点「菅原」(菅原氏の奉斎した「菅原天満宮」が鎮座)、及び同じく土師氏の一族である秋篠氏の拠点「秋篠」があります。また同じ大阪府内の百舌鳥古墳群には「毛受腹」と呼ばれる土師氏の一族がいたことが知られています。さらに三島野古墳群にも土師氏が祖を祀った式内社「野身神社」が「上宮天満宮」(高槻市天神町に鎮座)の境内に鎮座しています。

当地では言うまでもなく「古市古墳群」があり、この古墳群に携わった土師氏の一族が当地に居住していたと考えられます。

『倭名類聚抄』河内国志紀郡にも「土師郷」が見え、これは当地に比定されています。江戸時代でも当地付近は「土師ノ里」と呼ばれ、現在も近鉄南大阪線の駅名に採用されています。

そしてこの当地に居住した土師氏の子孫が自身の祖を祀ったのが当社の前身「土師神社」であると言えます。後には土師氏の氏寺の「土師寺」も開基され、土師神社の神宮寺になったようです。

 

このように当地を含む畿内の巨大古墳群には土師氏の居住した痕跡が残っており、これら古墳群に土師氏が携わっていたことが窺えます。

土師氏が古墳と関わるようになった経緯について、『日本書紀』の垂仁天皇三十二年七月条に次のように記載されています。

『日本書紀』(大意)

天皇の皇后の日葉酢媛命が薨去したとき、天皇は公卿らに葬送をどうすべきか尋ねた。そこで野見宿禰は「生きた人を埋めるのは後世に伝えるべきでない。代わりに人や馬、その他様々なものを土で作って立ててはどうか」と提案したところ、天皇は大いに喜び、日葉酢媛命の墓に始めてこれらの土物を置き、これを「埴輪」と名付けた。これより後は陵墓にこうした土物を立て、人を犠牲にすることはなくなった。

天皇は野見宿禰の功を賞して土部職に任じ、土部臣の姓に改めさせ、天皇の葬儀に携わった。野見宿禰は土部連らの始祖である。

野見宿禰とは天穂日命の十四世孫の人物で、上記のように土師氏の職能である土器生産や葬送儀礼の基礎を築いた人物とされています。

また上記は「埴輪」の起源を記したものとしても広く知られています。

ただし埴輪は弥生時代末期より作られ始めた特殊器台・特殊壺を起源とし、四世紀以降に徐々に家形埴輪など、五世紀以降に人物埴輪などが登場するため、上記の記事とは矛盾が生じています。

埴輪の製作を土師氏が担い、古墳の葬送儀礼を司ったことは史実だったと見て良いでしょうが、人物埴輪が作られるようになって以降にその伝説的な始祖として野見宿禰があてられたものであることが考えられます。

先に見たように古市古墳群、百舌鳥古墳群、佐紀盾列古墳群、三島野古墳群といった五世紀前後の巨大古墳群の側に土師氏の存在があることから、古墳時代の最高潮とも言うべき時代において巨大古墳の文化を埴輪などの物理面、儀礼などの精神面の両方から支えたのが土師氏だったことが推測されます。

こうして土師氏は古墳の巨大化と共に栄華を極めましたが、やがて時代が流れて古墳の規模は縮小し埴輪も作られなくなっていき、土師氏の勢力も徐々に縮小していくことになったと考えられます。

さらに追い打ちをかけるように大化二年(646年)に発布された薄葬令で古墳の造営が終了したことで職掌が大幅に削減され、土師氏の勢力縮小は決定的になります。

 

土師氏と菅原道真

以降の土師氏は細々と血脈を保ち、桓武天皇の御代の天応元年(781年)に土師氏は居住地の地名に因んでの改姓が認められ、「菅原氏」「大江氏」「秋篠氏」に分かれました。

この内、菅原氏は上述のように佐紀盾列古墳群に携わった土師氏の一族で、「菅原天満宮」(奈良市菅原町に鎮座)付近を本拠としていました。

そしてこの菅原氏から輩出した人物が「菅原道真」です。薄葬令以来、土師氏の後裔は長らく下火だったものの、菅原道真はその極めて優秀な政治手腕が認められ大幅に出世しました。

しかし周知の通り菅原道真は大宰府へ左遷されて無念の内に薨去、やがて怨念となって恐れられ、天神信仰の神として信仰されていくことになります。(詳しくは「北野天満宮」の記事を参照)

 

ところで菅原氏は上述のように奈良市菅原町を本拠としたものの、土師氏の縁からか当地にも縁者が居住していたらしく、当地に菅原道真の叔母にあたる「覚寿尼」が居住していたといい、菅原道真も度々訪れていたと言われています。

昌泰四年(901年)、菅原道真が大宰府へ左遷される際にも当地に立ち寄って覚寿尼との別れを惜しんだといい、「啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな」の歌と共に道真の遺品を残したと言われています。

この道真の遺品とされる神宝は現在も当社に伝わっており、この内「銀装革帯」「玳瑁装牙櫛」「牙笏」「犀角柄刀子」「伯牙弾琴鏡」「青白磁円硯」の六点は国宝に指定されています。

その後、天暦元年(947年)に菅原道真が自ら刻んだという十一面観音像を土師寺に安置して「道明寺」と改称し、同時に土師神社境内には菅原道真を祀る「天満宮」が創建されました。

なお、この道真自刻と伝えられる「木造十一面観音立像」は現在も道明寺に伝わっており、こちらも国宝に指定されています。

 

道明寺天満宮

当初は土師神社が主で天満宮が従(境内社)の関係だったものの、天神信仰の高まりにより次第に天満宮が中心となったらしく、いつしか天満宮が主、土師神社が従(境内社)となり、現在もこの体制が続いています。

寛永十年(1633年)の石川の氾濫により道明寺は当社境内へ遷ったといい、江戸時代中期の地誌『河内名所図会』の挿絵には当社社殿の西側に隣接して道明寺の本堂が並んでいる様子が描かれています。

明治年間の神仏分離により道明寺は再び移転し、上記の十一面観音立像と共に当社境内の西隣の地へと遷っています。

明治年間には当社は「土師神社」へ改称したものの、戦後の昭和二十七年(1952年)には現在の社名へと再び改称しています。

やはり菅原道真ゆかりの地であることに加え、土師氏の祖神よりも天神信仰の方が人々に馴染み深かったのでしょう。

当社境内には梅園が広がっており、現在では大阪府内における梅の名所として広く親しまれています。

 

境内の様子

当社は近鉄南大阪線道明寺駅の西方200mほどの地に鎮座しています。

ちょっとした段丘上にあるので境内入口は石段となっており、その上に本瓦葺・平入切妻造の神門が南向きに建っています。

神門の形式は袖塀付きの薬医門。寺院のような入口で、かつて道明寺と境内を共有していた名残と言えるかもしれません。

 

神門をくぐった様子。注連柱が建ち、石畳の長い参道が続きます。

訪問時は梅の時期で多くの屋台が出店していました。昼間は多くの人で賑わっていたので人の少なくなる夕方に撮影。

 

参道を進むと鳥居が南向きに建っています。

 

鳥居の両脇に配置されている狛犬。なかなか貫禄があります。

 

手水舎は参道から左側(西側)へ分岐した道の先にあり、参拝客の動線を考えれば不便な配置です。

 

道明寺天満宮

道明寺天満宮

鳥居をくぐった先は広い空間となっており、その正面奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は檜皮葺の平入入母屋造に千鳥破風と唐破風の付いたもの。

基壇上に建っているため、足腰の弱い参拝客を考慮してかスロープが設けられています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。銅製のものです。

 

拝殿後方の建つ本殿は檜皮葺の三間社入母屋造。幣殿で拝殿と接続した権現造の形式となっています。

 

本社拝殿の左手前(南西側)には能舞台が建っています。

本瓦葺の入母屋造で、鏡板などの設けられた本格的なもの。

 

天満宮は牛を神使としているため、境内のあちこちに新旧問わず牛の像が配置されています。

 

道明寺天満宮

また当社境内は梅の名所でもあり、春先には境内にある梅の木が綺麗に花を咲かせます。

 

土師神社

能舞台の西側、境内の西端に「土師社」が東向きに鎮座しています。御祭神は「野見宿禰命」「天夷鳥命」「大國主命」。

「元宮」とも呼ばれ、元々はこの神社(土師神社)が最初にあり、後に天満宮が勧請されました。いつしか天満宮が本社に、土師神社は境内社になり、主客顛倒したようです。

当地に居住し古市古墳群の築造や葬送に携わった土師氏の子孫が祖を祀ったのがこの神社であるとされています。

鳥居が建ち、これをくぐると本瓦葺の平入入母屋造の割拝殿が建っています。

 

土師社の割拝殿前に配置されている狛犬。

 

割拝殿をくぐると土師社の本殿が建っています。本瓦葺の三間社流造で朱塗りの施されたもの。

 

土師社本殿の右側(北側)に境内社が東向きに鎮座。社名・祭神は不明。

社殿は本瓦葺の流見世棚造に朱塗りを施したもの。

 

土師社の手前側(東側)には鉢植えの梅の木が配置されていました。

 

土師社社殿の右側(北側)には「宝物館」が建っており、国宝を含む多数の貴重な神宝がここに納められているようです。

なお、江戸時代にはこの辺りに道明寺の本堂があったものと思われます。

 

梅園および梅園内の境内社

当社境内の北側一帯は梅園となっており、大阪府下でも有数の梅の名所となっています。

2月下旬から3月上旬にかけて多くの梅が咲き誇り、良い香りを漂わせながら境内を美しく彩ります。

 

この梅園内にもいくつかの境内社が鎮座しています。奥側となる東側から順に見ていきましょう。

まず、梅園の南東に朱鳥居が南向きに建っています。

 

上の朱鳥居をくぐってまっすぐ進むと石鳥居や朱鳥居が並んでおり、その奥に「和合稲荷社」が南向きに鎮座。

本瓦葺の平入入母屋造の割拝殿、そしてその後方に本殿を納める覆屋が建っています。

 

梅園の北西端には「八嶋社」が南向きに鎮座。御祭神は「土師連八嶋」。この人物は推古天皇の御代、邸宅を聖徳太子に寄進して土師寺(道明寺の前身)を建立したとされています。

覆屋の中に平入入母屋造の石祠が納められています。

 

八嶋社の手前左側(南西側)に「白光社」が東向きに鎮座。龍蛇の類の神を祀っているようです。

覆屋の中に銅板葺の流見世棚造の社殿が納められています。

 

白光社から左奥(西側)へ進んだところに「霊符社」が南向きに鎮座。御祭神は「天御中主大神」。

社殿は銅板葺の一間社流造。

 

道を戻り、梅園の入口辺りの左側(西側)に「白太夫社」が東向きに鎮座。

御祭神の「白太夫命」は伊勢神宮外宮の禰宜「渡会春彦」のことで、彼の祈願により菅原道真が生まれたとされ、また大宰府への左遷の際にも道案内をしたと言われています。

鳥居が建ち、奥に本瓦葺の一間社流造の社殿が建っています。社殿前には備前焼の狛犬も。

 

白太夫社の左側(南側)には「修羅」と呼ばれる石材等を運ぶ橇が置かれています。

これは近隣の三ツ塚古墳から出土したものを朝日新聞社の企画で復元したもの。本物は近つ飛鳥博物館で展示されています。

案内板

修羅見学の皆様へ御案内

 

境内周辺の様子

蓮土山道明寺

当社境内の西方に隣接して真言宗御室派の寺院「蓮土山道明寺」があります。

この寺院は推古天皇の御代、聖徳太子の発願により土師連八嶋が当地にあった邸宅を寄進して建立した寺院「土師寺」を前身としています。

菅原道真が当地に居住していた叔母「覚寿尼」を頼って度々訪れた際、当寺を故郷であるとも表現し、没後には道真が自ら刻んだという十一面観音像を本尊としました。

その際に土師寺は菅原道真の号「道明」に因み「道明寺」と寺号を改めたといい、道真自刻という「木造十一面観音立像」は現在も本尊として安置され国宝に指定されています。

この像は毎月18日と25日に公開され拝観することが可能です。

当寺は江戸時代に道明寺天満宮境内へ遷ったものの、明治の神仏分離により現在地へ移転しました。

案内板

道明寺略縁起

案内板

道明寺

 

古市古墳群

当社周辺には五世紀から六世紀にかけて築造された大規模な古墳群「古市古墳群」があります。

古市古墳群に属するいくつかの古墳は2019年に百舌鳥古墳群と共に世界文化遺産に登録されました。

上の写真は古市古墳群の中でも最大の古墳である「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」。

当地にはこの古市古墳群の築造や埴輪の製作、葬送儀礼などに携わった「土師氏」が居住していました。

この土師氏の子孫が当社の前身である「土師神社」を創建し祖を祀ったと伝えられています。

この土師氏から後に菅原氏が出てさらに菅原道真を輩出し、菅原道真ゆかりの地として土師神社に天満宮が勧請され、これが「道明寺天満宮」となります。

このように当社は菅原道真はもちろん、その祖である土師氏と関係が深く、そしてその土師氏は古市古墳に携わっていました。

古墳と土師氏、そして菅原道真が結ばれたところに当社があると言え、古墳時代から平安時代にかけての長い歴史の詰まった神社と言えましょう。

 

タマ姫
梅の花がむっちゃきれい!境内に梅のいい匂いもするー!
ここは大阪府で有数の梅の名所となっているのよ。それだけでなく、国宝に指定されている道真公ゆかりの多くの文化財も伝えているわ。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

道明寺天満宮

 

地図

大阪府藤井寺市道明寺1丁目

 

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