社号 | 恩智神社 |
読み | おんぢ/おんじ/おんち |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府八尾市恩智中町 |
旧国郡 | 河内国高安郡恩智村 |
御祭神 | 大御食津彦大神、大御食津姫大神 |
社格 | 式内社、旧府社 |
例祭 | 8月1日、11月26日 |
恩智神社の概要
大阪府八尾市恩智中町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳では名神大社に列せられており、古くは非常に有力な神社でした。時代を下っても有力な神社だったようで、河内国二宮とも言われています。ただし中世以前に二宮と呼ばれた記録は無く、江戸時代頃から呼ばれ出したようです。
当社の御祭神は大御食津彦大神と大御食津姫大神で、これは『文徳天皇実録』や『三代実録』といった国史にも記されてあり、古くから食物神であるこの二柱が祀られていることが確かめられます。恐らく当地付近が一大穀倉地帯だったのでしょう。
社伝では当社の創建は雄略年間(470年頃)としています。神功皇后の三韓征伐の際、当社の神が住吉大神と共に海路・陸路を案内し神功皇后に加勢した功により朝廷より高安郡の七郷を賜ったと伝えられています。『住吉大社神代記』(住吉大社に伝わる古典籍)にも当社の記載が見られ、実際に江戸時代頃まで住吉大社への渡御があったようで、古くから住吉大社と関係の深かったことが示唆されます。
また社伝では天児屋根命を香取神宮より当社に奉還して社を建立し、その後枚岡神社を経て奈良の春日大社へ遷ったので当社を「元春日」と言う、としています。しかしながら枚岡神社では元から天児屋根命を祀っていたとしているし、実際に香取神宮に祀られているのは経津主大神であることから、大きく矛盾を含む伝承となっています。いつの頃からか春日大社の社家が当社の社家になったようで、一説にこれに伴い中世以降に生まれたものだとも言われています。ただ明治以前は当社が春日大社の猿楽を受け持っており、春日大社と古くから関係が深かったことは確かだったようです。
一方で当社は「下水分社」とも呼ばれました。建水分神社を上水分社、美具久留御魂神社を中水分社として、共に楠木氏が崇敬した神社とされています。古くは石川と合流した大和川が北進しており、当社もその流水を司る神と見なされたのかもしれません。事実、旱魃の際に当社等に祈雨を行ったことが国史にも見えています。
このように当社は朝廷の崇敬を受けつつ多くの神社と関わりあいながら河内国有数の大社として今日に至っています。非公式ながら河内国二宮の称も納得の神社と言えましょう。
境内の様子
一の鳥居は境内西側の道路上、国道170号(東高野街道)に面する地にあります。
一の鳥居から生駒山地の裾野の坂道を上っていくと境内入口が見えてきます。参道はこんもりとした森となっています。
境内入口からは長い長い石段が続いています。山の中腹と言えるような高低差があります。
石段を上りきると左側(北側)に手水舎があります。当社の神使は兎とされているため、兎が水を注いでいます🐰
石段上の空間に西向きの社殿が建っています。拝殿は千鳥破風の付いた平入の入母屋造りに向拝が付いています。由緒書には拝殿は江戸時代末期の建築とありますが、あまり古さを感じさせません。改修されてるのでしょうか。
拝殿には狛犬の代わりに神使である兎と龍の石像が配置されていました。拝殿には兎と龍のかわいらしい置物も🐰🐉 兎と龍が神使とされるのは、当社で行われる卯辰祭によるものと思われます。
拝殿後方の空間には二棟の本殿が横に並んでおり、それぞれの前に拝所が設けられています。本殿は屋根に反りのある妻入の切妻造、言うなれば庇の無い春日造のような珍しいもので、由緒書によれば「王子造」という形式らしいです。(由緒書には流造の一種とありますが、流造とは似ても似つかないような…)こちらも江戸時代末期に建て替えられたものとありますが、近くの石碑には明治二十年に改築したとありました。
狛犬は本殿を囲む透塀の前に配置されています。
当社は境内の北側に多くの境内社があります。こちらは「春日社」で「天児屋根命」を祀っています。社伝では香取神宮から遷され、その後枚岡神社、春日大社へと遷されたとしています。「元春日」の呼称の由縁となる神社です。
隣接して「愛宕社」と「三輪社」の祠があります。
境内の北東奥には「六社」と呼ばれる六基の祠があります。左から「住吉社」「安閑社」「熊野社」「蛭子社」「玉祖社」「天照大社」です。神立の玉祖神社は創建の際当地で一旦留まったとも言われており、このために玉祖社が祀られていると思われます。
境内右手(南側)には「皇太神宮遥拝所」と「橿原神宮遥拝所」。
さらに境内の南東奥には「八大龍王」が鎮座しています。
境内の南側には「祖霊社」が鎮座。
さらに境内の南西に「母木稲荷神社」が鎮座しています。御祭神は「倉稲彦大神」。
境内の南西奥には「舟戸大神」を祀る立石があります。
当社付近は古い家屋や蔵も残っています。往時の賑わいの様子が目に浮かぶようです。
さて当社の一の鳥居からさらに西へ進んだところにこのような空き地のような空間があります。ここは恩智神社の頓宮で、恩智神社の旧社地とも言われています。建武年間に恩智左近公が恩智城を築城する際、社殿より上に城があるのは不敬になるとして山上の現在地に遷座しました。一般に神社は時代を経ると山上から里へ遷る傾向があるので、麓から山上へと遷座した当社は珍しい例と言えるかもしれません。
頓宮には「祇園社」が小ぢんまりと鎮座しています。牛頭天王を祀ることから頓宮の地を「天王森」とも称しますが、森と呼ぶには緑が乏しくいささか寂しい空間となっています。一方この地は縄文時代~弥生時代の遺跡で、当地における人の営みの歴史を考えさせる地となっています。
石碑「恩智石器時代遺跡」
御朱印
由緒
案内板「恩智神社」
石碑「恩智神社」
石碑「恩智神社卯辰祭供饌行事」
由緒書「恩智神社由緒略記」
『河内名所図会』
地図
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