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枚岡神社 (大阪府東大阪市出雲井町)

社号枚岡神社
読みひらおか
通称枚岡大社 等
旧呼称平岡社 等
鎮座地大阪府東大阪市出雲井町
旧国郡河内国河内郡出雲井村
御祭神天児屋根命、比売御神、経津主命、武甕槌命
社格式内社、河内国一宮、旧官幣大社、別表神社
例祭2月1日、10月15日

 

枚岡神社の概要

生駒山の西麓、大阪府東大阪市出雲井町に鎮座する神社です。式内社・名神大社であることに加え、河内国一宮でもあり、大阪府では有数の社格を持つ神社です。

社伝によれば、神武天皇の東征に際して「天種子命」なる人物(中臣氏の祖の一人とされる。一説にアメノコヤネの孫)が中臣氏の祖神「天児屋根命」および「比売神」を生駒山の中腹にある「神津嶽(カミツダケ)」に祀ったのが始まりであり、その後白雉元年(650年)に麓である現在地に遷され社殿が築かれたと伝えられています。

元々は生駒山の中腹に鎮座していたことから当社の祭祀の原初は素朴な山岳信仰の神社だったと考えられ、現在も旧地には石祠が建ち「神津嶽本宮」として祀られています。

 

当社の祭祀を担ったのは、古代の祭祀氏族である「中臣氏」、中でもその一族である「平岡氏」でした。

この地を含む中河内地方は物部氏の本拠であり、周辺の神社や史跡も物部氏に関するところが多い一方、中臣氏もまた中河内に拠点を置き、祖神を祀る地として重要視したことが当社を通して垣間見ることができます。

『新撰姓氏録』には河内国神別に非常に多くの中臣氏関連氏族が登載されています。その中に津速魂命の十四世孫、鯛身臣の後裔であるという「平岡連」が登載されており、この氏族が当社を奉斎したのでしょう。

中臣氏の本貫は山城国宇治郡山階(現在の京都市山科区西野山中臣町付近)とされる一方、中臣氏の拠点は他の地にも散在しています。その重要なものの一つが当地で、山階に並ぶ本貫の一つとすら言えるものだったと考えられます。

山階には特に中臣氏に関係する式内社が存在しない一方で、後述のように当社から中臣氏の祖神が春日大社へ勧請されたことから、当社が中臣氏の精神的支柱たる氏神として、そして当地が中臣氏の一大拠点として非常に重視されたことが窺えます。

 

奈良時代の神護景雲二年(758年)に奈良に「春日大社」を創建する際、「武甕槌命」が「鹿島神宮」から、「経津主命」が「香取神宮」から分霊を遷されましたが、中臣氏および藤原氏の祖神たる「天児屋根命」と「比売神」は当社から勧請されたと伝えられています。

このために当社は「元春日」と呼ばれ、その後の宝亀九年(778年)に当社も「春日大社」から「武甕槌命」と「経津主命」が勧請されたと伝えられています。

中臣氏から出た藤原氏も春日大社と並んで当社を重視したと思われ、中臣氏・藤原氏の祖神を祀っていることは勿論、加えて平城京と難波を結ぶ暗峠の麓という立地も重要だったことが想像されます。

また都が平城京から平安京へ遷った後も、『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日条に当社に祀られる天児屋根命が正一位に叙せられるなど、藤原氏が権勢を誇るようになるに従い隆盛を極めたことが史料から知ることができます。

 

中世には平岡氏の後裔である「水走氏」が奉仕するようになり、当社も河内国を代表する一宮として不動の地位を築くようになっていきました。

近世以降も庶民から厚い崇敬を受け、隆盛が続いたようです。

初めは恐らく素朴な山岳信仰だったろう当社も、徐々に有力な氏族として頭角を現し始めた中臣氏、そしてやがて絶大な権力者として上り詰めた藤原氏の保護を受けつつ、時代と共に整備されていったことでしょう。

緑豊かな生駒山を仰ぎながら当社に参拝すれば、その悠久の歴史を感じずにおられません。

 

境内の様子

一の鳥居は境内の西方800mほど、鳥居町に西向きに建っています。

ここから神社へ行くには生駒山を仰ぎ見つつ坂を上っていくことになります。

 

当社は生駒山の裾野をやや登っていったところにあるため麓から歩いていくとやや大変ではあるものの、近鉄奈良線を利用すると枚岡駅を降りてすぐなので便利です。

駅を降りると嘉永六年(1853年)の「元春日平岡大社」と刻まれた立派な社号標が出迎えてくれます。江戸時代以前の社号標は珍しいもの。

 

枚岡神社

駅から石段を上っていくと二の鳥居が西向きに建っており、ここが境内入口となります。

平成・令和の大造営により真新しい鳥居が再建されました。

 

二の鳥居をくぐった様子。石畳の敷かれた長い参道が伸びています。

 

緩やかな勾配の参道を進んでいくと開放的な広い空間があります。

この空間の奥に逆鉾を模した柱や注連柱が建っており、そこから再び石段が伸びています。

 

注連柱の右側(南側)にある手水。春日神を祀る神社なので春日神の神使である鹿の銅像が水を注いでくれています。

 

注連柱をくぐると石段下の左右に狛鹿が配置されており、やはり春日神の神社といった印象です。

この狛鹿は弘化三年(1846年)に奉納されたもので、「なで鹿」と呼ばれており撫でることで様々の霊験があるとされているようです。

案内板

なで鹿(神鹿)

 

この石段の上に社殿が建っているのが見えます。

 

枚岡神社 紅葉

社殿は生駒山を背にして西向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺・平入入母屋造に向拝の付いたもの。江戸時代中期の地誌『河内名所図会』の挿絵には拝殿が描かれておらず、当時には無い施設だったようです。

 

枚岡神社 本殿

拝殿後方に中門と透塀が建ち、その奥の二段ほど高い空間に四棟の本殿が建っています。いずれも檜皮葺の一間社春日造で鮮やかな朱塗りの施されたもの。

これらの本殿は文政九年(1826年)に造営されたもので東大阪市指定文化財となっています。

平成・令和の大造営によりこれら本殿や中門・透塀などはかなり綺麗なものとなりました。

また、以前は本殿の様子が見えにくかったものの、大造営により後述の一言主神社の脇から本殿への遥拝所が新設されてよく見えるようになりました。

なお、現在は塀内には立入できませんが、『河内名所図会』の挿絵では本殿前で参拝してる人が描かれており、江戸時代には自由に入れたようです。

神前の門は「皇天門」と呼ばれたことも『河内名所図会』に記されています。

 

境内社等

本社本殿の右側(南側)にも通路が伸びており、こちらは境内社の鎮座する空間となっています。

 

本社本殿の右側(南側)に「一言主神社」が西向きに鎮座。御祭神は「一言主神」。

かつて境内社だった十九社の末社のうち、平成・令和の大造営で二社が再建され、その内の一社がこちらです。

社殿は銅板葺の一間社流造。

案内板

末社 一言主神社

 

一言主神社の右側(南側)に「若宮社」が西向きに鎮座。御祭神は天児屋根命の御子である「天押雲根神」。

この神社は平成・令和の大造営より以前から一貫して鎮座しており、当社の中でも特に重要な境内社だったことが窺えます。

一方で社殿は大造営により一新され、銅板葺の一間社流造に朱塗りの施されたものとなりました。

 

若宮社の左奥(北東側)に「出雲井」と呼ばれる井戸があります。

当社の創建以来涸れることなく湧き出る清水と言われ、当地の地名「出雲井」の由来となっています。

 

この出雲井の水は若宮神社の石段下の左側(北側)に導水されています。

この設備も大造営で新設されたもので、以前はひっそりと人知れずあるだけだったのが一気に御神水として親しめるものとなりました。

 

若宮神社の右側(南側)に池があり、その奥に「飛来天神社」が西向きに鎮座。御祭神は「天之御中主神」。

こちらの神社も平成・令和の大造営で再建された末社の一社。飛来天神社は「春日大社」の境内社にもあり(ただし直接の参拝は不可で遥拝所がある)、やはり同神を祀っています。

造化三神の一柱である同神を祀る神社は珍しく、注目すべきものでしょう。

社殿は朱塗りの流見世棚造。

案内板

末社 飛来天神社

 

飛来天神社の右側(南側)には遥拝所があり、注連縄の掛けられた御神木を通して遥拝するものとなっています。

神津嶽(後述)や皇居、伊勢神宮、橿原神宮を遥拝するものです。

 

一旦通路へ戻ります。通路の途中には出雲井とは別に「白水井」と呼ばれる泉があります。

この水に触れると眼病平癒や母乳の出の改善などの霊験があると伝えられているようです。

 

通路奥の小高いところに「天神地祇社」が西向きに鎮座。本社の境内社や当地周辺の神社をここに合祀しています。平成・令和の大造営以前は若宮社以外の全ての境内社をここに合祀していました。

大造営で一新され、春日造風の覆屋の中に妻入切妻造の社殿が納められています。

案内板

末社 天神地祇社にお祀りしている御祭神

 

天神地祇社のさらに南側、枚岡梅林へと出るところに「楠正行公縁の井戸」があります。

このように当社は多くの井戸があり、生駒山から湧き出る水を神聖視していることが窺えます。

案内板

楠正行公縁の井戸

 

境内にある滝行場。生駒山の麓や山腹に鎮座する寺社ではよく見かけるものです。

恐らく生駒山を拠点に活動した修験道と結びついたものと思われます。

 

境内は鬱蒼とした森に覆われていますが、よくよく観察してみると四季折々の彩りを楽しむこともできます。

 

神津嶽

境内から背後の生駒山の方へ登っていきます。途中にある枚岡展望台は休憩所となっており、大阪平野を見渡すことができます。

 

枚岡展望台からしばらく登っていくと注連縄の掛けられた小高い森となっている一画があります。

ここは「神津嶽(カミツダケ)」と呼ばれ、枚岡神社の元々の鎮座地だと伝えられる場所です。

 

生駒山の中腹にあたる神津嶽の上はかつて禁足地だったようですが、現在は「神津嶽本宮」として石祠が建てられ、誰でも参拝できるようになっています。

一説に、この神津嶽が平らな岡になっているから平岡(枚岡)と呼ばれるようになったとも言われています。

石碑

 

境内周辺

枚岡神社の境内南側一帯は「枚岡梅林」と呼ばれる梅の名所でした。

しかし2019年以降、この梅は見られなくなっています。ウメ輪紋ウイルスの感染が確認され、根絶のため伐採されているのです。

寒さの緩む頃に梅の花越しに眺める大阪平野の景色はまさに郷土の誇りと言えるものだっただけに、残念でなりません。

ウイルスの根絶が確認された暁には枚岡梅林の復活を強く願っています。(写真は2016年のもの)

 

枚岡神社の境内北側には「コ」の字型の「姥が池」というのがあります。

伝承によれば、600年ほど前、枚岡神社の灯籠の油を盗んだという貧しい老婆が身投げしたと伝えられ、その後は雨の夜に青白い炎が現れたと言われています。

案内板

姥が池

 

恩智川から望む生駒山。この山の山岳信仰が枚岡神社の初めであったと考えられます。

生駒山地を神域とする神社は式内社に限っても河内側・大和側ともに多く、当社はその代表的な神社と言えることでしょう。

 

タマ姫
大きな神社だね!「春日大社」と同じ神様を祀ってるんだ!
その「春日大社」の神様の内、「天児屋根命」と「比売神」はこの神社から勧請されたと言われてるのよ。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

河内国一の宮 旧官幣大社 枚岡神社

案内板

神気満ちみちた境内

河内国一之宮 枚岡神社

案内板

枚岡神社の粥占神事(かゆうらしんじ)

由緒書

河内国一の宮 枚岡神社略記

『河内名所図会』

 

地図

大阪府東大阪市出雲井町

最寄り駅

近鉄奈良線「枚岡」駅

 

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