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枚岡神社 (大阪府東大阪市出雲井町)

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社号 枚岡神社
読み ひらおか
通称 枚岡大社 等
旧呼称 平岡社 等
鎮座地 大阪府東大阪市出雲井町
旧国郡 河内国河内郡出雲井村
御祭神 天児屋根命、比売御神、経津主命、武甕槌命
社格 式内社、河内国一宮、旧官幣大社、別表神社
例祭 2月1日、10月15日

 

枚岡神社の概要

生駒山の麓、大阪府東大阪市出雲井町に鎮座する神社です。式内社・名神大社であることに加え、河内国一宮でもあり、大阪では有数の社格を持つ神社です。

現在の御祭神はいわゆる春日四神ですが、本来は中臣氏の祖神「天児屋根命」および「比売神」を生駒山の中腹にある「神津嶽(かみつだけ)」に祀ったのが始まりであると伝えられています。元々は生駒山の山岳信仰の神社だったと言えるでしょう。後、白雉元年(650年)に麓である現在地に遷され社殿が築かれたと伝えられます。

その祭祀を担ったのは、古代の祭祀氏族である中臣氏、およびその一族である平岡氏でした。この地を含む中河内地方は物部氏の本拠であり、周辺の神社や史跡も物部氏に関するところが多いのですが、中臣氏も中河内に拠点を置き、祖神を祀る地として重要視したことが当社を通して垣間見ることができます。

枚岡神社は「元春日」とも呼ばれています。奈良時代に奈良に春日大社を創建する際、武甕槌命は鹿島神宮から、経津主命は香取神宮から分霊を遷されましたが、天児屋根命と比売神は当社から勧請されたと伝えられています。このために当社は「元春日」と呼ばれ、当社も春日大社の創建とほぼ同じ時期に武甕槌命と経津主命が勧請されたようです。

中臣氏から出た藤原氏も春日大社と並んで当社を重視しました。中臣氏・藤原氏の祖神を祀っていることは勿論、加えて平城京と難波を結ぶ暗峠の麓にあるという立地も重要だったのではと想像されます。一方で都が平城京から平安京へ遷った後も、藤原氏が権勢を誇るようになるに従い、当社も正一位に叙せられるなど隆盛を極めたことが史料から知ることができます。

中世には河内国を代表する一宮として不動の地位を築き、近世以降も庶民から厚い崇敬を受けました。初めは恐らく素朴な山岳信仰だったろう当社も、徐々に有力な氏族として頭角を現し始めた中臣氏、そしてやがて絶大な権力者として上り詰めた藤原氏の保護を受けつつ、時代と共に整備されていったことでしょう。緑豊かな生駒山を仰ぎながら当社に参拝すれば、その悠久の歴史を感じずにおられません。

 

境内の様子

一の鳥居は境内からかなり西側、鳥居町にあります。ここから神社へ行くには、生駒山を仰ぎ見つつ坂を上っていくことになります。

 

当社は生駒山の裾野をやや登っていったところにあるため、麓から歩いていくとやや大変ですが、近鉄電車を利用すると枚岡駅を降りてすぐなので便利です。駅を降りると嘉永六年(1853年)の「元春日平岡大社」と刻まれた立派な社号標が出迎えてくれます。

 

鳥居をくぐると長い参道が伸びています。参道の奥、石段の手前はやや広い空間となっています。

 

石段下にある手水。春日神を祀る神社なので、春日神の神使である鹿の銅像が水を注いでくれています。

 

石段下で左右に佇むのもかわいらしい狛鹿となっています。やはり春日神の神社といった印象。

 

社殿へはこの石段を上っていきます。

 

石段を上ったところに生駒山を背とする西向きの社殿が建っています。拝殿は向拝付きの平入の入母屋造。『河内名所図会』の挿絵には拝殿が描かれておらず、江戸時代には無い施設だったようです。

 

後ろの透塀の内側に四棟の一間社春日造の本殿が建っています。文政九年(1826年)に造営されたもので東大阪市指定文化財となっています。塀内には立入できませんが、『河内名所図会』の挿絵では本殿前で参拝してる人が描かれており、江戸時代は自由に入れたようです。神前の門は「皇天門」と呼ばれたことも『河内名所図会』に記されています。

 

本殿の右側(南側)は境内社の鎮座する空間となっています。

 

本殿のすぐ右側に「若宮社」が鎮座。天児屋根命の御子、「天押雲根神」を祀っています。

 

わかりにくい場所にありますが、若宮社の左奥に「出雲井」というのがあります。当社の創建以来涸れることなく湧き出る清水と言われ、当地の地名「出雲井」の由来となっています。

 

出雲井とは別に「白水井」というのもあります。こちらは通路に面しているのでよく目立ちます。

 

若宮社、白水井に隣接して小高いところに「天神地祇社」が鎮座しています。当社の境内社や当地周辺の神社をここに合祀しています。当社が大きな神社である割に境内社が少ないのはここに集められたためでしょうか。

案内板「末社 天神地祇社にお祀りしている御祭神」

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末社 天神地祇社にお祀りしている御祭神

【明治期に左記の神社(現氏子内)の御祭神がお祀りされました】

(額田村)額田明神社、若宮八幡社、恵比寿社、山神社、高城社

(豊浦村)春日神社、東山神社

(出雲井村)八坂神社

(五條村)八幡社

(客坊村)市杵島姫神社

(四條村)春日神社

(松原村)春日神社、八幡社

[境内各所に鎮座していた左記の末社もお祀りしています]

椿本社、青賢木社、太刀辛雄社、勝手社、地主社、笠社、住吉社、飛来天神、岩本社、佐氣奈邊社、一言主社、坂本社、素箋鳴命社、八王子社、戸隠社、大山彦宮、門守社、角振社、官社殿社

 

天神地祇社のさらに南側、枚岡梅林へと出るところに「楠正行公縁の井戸」があります。このように当社は多くの井戸があり、生駒山から湧き出る水を神聖視していることが窺えます。

案内板「楠正行公縁の井戸」

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楠正行公縁の井戸

正平三年(一三四八年)一月、小楠公・楠正行、正時兄弟、和田高家、賢秀兄弟をはじめ一族郎党が、高師直率いる北朝軍の大軍と戦った「四条縄手の合戦」が、この地であったとの言い伝えが伝わっています。

 

境内にある滝行場。生駒山の麓や山腹に鎮座する神社ではよく見かけるものです。恐らく生駒山を拠点に活動した修験道と結びついたものでしょう。

 

境内は鬱蒼とした森に覆われていますが、よくよく観察してみると四季折々の彩りを楽しむこともできます。

 

神津嶽

境内から背後の生駒山の方へ登っていきます。途中にある枚岡展望台は休憩所となっており、大阪平野を見渡すことができます。

 

枚岡展望台からしばらく登っていくとこのような一画があります。ここが「神津嶽(かみつだけ)」と呼ばれ、枚岡神社の元々の鎮座地だと伝えられる場所です。

 

生駒山の中腹にあたる神津嶽の上はかつて禁足地だったようですが、現在は石祠が建てられ、誰でも参拝できるようになっています。一説に、この神津嶽が平らな岡になっているから平岡(枚岡)と呼ばれるようになったとも言われています。

石碑

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此処は枚岡神社創祀の地なり その昔 神武天皇御東征の砌浪速から大和に進み給はむとす その時 天種子命 勅命を奉じ生駒山西方の霊地神津嶽の頂上に一大磐境を設け 国土平定祈願のため天児屋根大神 比売大神の二神を奉祀す ときに神武天皇即位紀元前三年即ち枚岡神社の起源なり その後孝徳天皇白雉元年神津嶽の霊地より現在地に社殿を作り奉遷す

 

境内周辺

枚岡神社の境内南側一帯は「枚岡梅林」と呼ばれる梅の名所でした。しかし2019年現在、この梅は見られなくなっています。ウメ輪紋ウイルスの感染が確認され、根絶のため伐採されているのです。寒さの緩むころに梅の花越しに眺める大阪平野の景色はまさに郷土の誇りと言えるものだっただけに、残念でなりません。ウイルスの根絶が確認された暁には枚岡梅林の復活を強く願っています。(写真は2016年のもの)

 

枚岡神社の境内北側には「コ」の字型の「姥が池」というのがあります。600年前、枚岡神社の灯籠の油を盗んだという貧しい老婆が身投げしたと伝えられ、その後は雨の夜に青白い炎が現れたと言われています。

案内板「姥が池」

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姥が池

この池は昔から「姥が池」と呼ばれていました。それは、今をさかのぼること約六百年前の出来事「悲しい老婆の身投げ伝説」に由来しています。

その伝説とは、枚岡神社の御神燈の油が毎夜なくなり、火が次から次へと消えていきました。妖怪変化の仕業と不気味がられていましたが、その正体をつきつめると、生活に困っていた老婆が油を盗んでは売っていたのでした。そのわけを知り、気の毒に思って老婆を釈放してやりました。しかし、人の噂が広まっていたたまれなくなり、老婆は池に身投げてしまいました。村人は明神の罰が当たったとして誰も同情しませんでした。その後、雨の晩になると池の付近に青白い炎が現れ、村人を悩ましたと伝えられています。

この物語は、井原西鶴の短編話など多くの俳諧、戯曲に「姥が池の姥が火」として登場しています。また、「和漢三才図会」「河内名所鑑」などにも記載されています。

平成23年3月 東大阪市

 

恩智川から望む生駒山。この山の山岳信仰が枚岡神社の初めであったと考えられます。生駒山地を神域とする神社は式内社に限っても河内側・大和側ともに多く、当社はその代表的な神社と言えることでしょう。

 

御朱印

 

 

由緒

案内板「河内国一之宮 枚岡神社」

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神気満ちみちた境内

河内国一之宮 枚岡神社

【御由緒】

当社は紀元前六六三年に、神武天皇の詔によって、現在地の東方、霊山と崇める神津嶽に、天児屋根命、比売御神の両神がお祀りされ、白雉元年(六五〇)に現在地に神殿を造営し、山上より遷祀されたわが国有数の古社です。

奈良の春日大社創建に際して、両神が分祀されたことから、春日の元宮とも称えられ、その後、経津主命、武甕槌命が合祀され、四棟並列の美しい枚岡造の御殿が完成いたしました。

「延喜式」では 名神大社として祈年・月次・相嘗・新嘗の各祭に官幣を奉られ、殊に春冬二回、勅使を遣わされる等、朝廷より最高の優遇を受け、先の大戦まで官幣大社に列していました。

主祭神の天児屋根命は、祭祀を行なって天の岩戸開きをされたことから、神事を司る神さまとして称えられ、除災招福・開運厄除けのほか、幅広い信仰を集めており、社叢は全国「かおり風景百選」に認定されております。

太古より受け継がれて来たこの聖域には、神気が満ちみちています。この大いなる神気をいただかれ、皆様方の内なる気が蘇り、元気で幸せでありますよう願っております。

【御祭神】
御本殿 <ご神徳>
天児屋根命 国家安泰・家内安全・夫婦和合・開運招福
比売御神 安産・子授け・除災
経津主命 商売繁盛・病気平癒・元気回復・交通安全
武甕槌命 必勝・厄除け

摂社 若宮社

天押雲根命 学業成就・五穀豊穣

末社 天神地祇社

天神・国神 諸願成就

案内板「枚岡神社の粥占神事(かゆうらしんじ)」

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枚岡神社の粥占神事(かゆうらしんじ)

粥占は、小正月(1月15日)に行われる年占いの1つです。古くは正月儀礼は1月15日でしたが、暦の関係から元旦に祝うようになり元旦正月を大正月、15日正月を小正月と区別するようになりました。しかし農耕関係の儀礼は、ほとんど小正月のまま伝承されています。

大阪府の文化財に指定されている枚岡神社の粥占神事は、江戸時代には1月15日に行なわれていましたが、現在は11日に秘密神事として行なわれ、15日に占いの結果が参詣者に知らされます。農作物の豊凶、1年間の天候を占うものです。神饌所内で、大きな釜の中に米五升・小豆3升が用意され、竈にかけられます。古式により火鑚杵(ひきりきね)で杉葉に点火し、薪で焚かれます。黒樫でつくった長さ13cmの占木を平年には12本、閏年には13本用意され、竈に入れられ焦げ具合で日々の晴雨が占われます。粥の煮えたつ時、53種の農作物の豊凶を占うため、篠竹の占竹(15cm)53本を1束にして釜の中に吊り下げられ、中に入った粥の多少によって作物の豊凶が占われます。江戸初期の「御粥引付日記」によると、当時は5穀47種の農作物が占われていました。享和元年(1801)の「河内名所図会」には、当時の粥占の様子が描かれています。

平成18年3月 東大阪市

由緒書「河内国一の宮 枚岡神社略記」

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河内国一の宮 枚岡神社略記

御祭神

第一殿 天兒屋根命

第二殿 比賣御神

第三殿 齋主命(經津主命)

第四殿 武甕槌命

由緒

奈良から生駒山の暗峠を越えて真直ぐに西へ降った古い街道、山麓近くに朱の春日造の社殿が西向きに鎮座し、神社の主神は天兒屋根命即ち我国の祭祀の始めを掌り給い、中臣・藤原氏の祖神であり、春日大社の第三殿(天兒屋根命)と第四殿(比賣御神)の神は、神護景雲年間(西暦七六七~七七〇)に当社から春日神社へ分祀せられた為、当社を元春日と呼び習わして来た。因に、当社の第三殿・第四殿の二神は、宝亀九年(七七八)春日大社から迎えて配祀せられた。神階は次第に昇り、貞観元年(八五九)には正一位に叙せられ、『延喜式』には名神大社に列した。古くから中臣氏の一族平岡連の斎く社であったが、平安末期から水走家が祀職となり、河内一宮として朝野から篤く祀られた。天喜四年(一〇五六)・宝治元年(一二四七)・天正二年(一五七四)と度々火災に遭い、慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼が社殿を修復した。現社殿は文政九年(一八二六)氏子の総力を挙げての修造である。社領は百石を有した。

明治四年官幣大社に列し、神宮寺等が廃された。本社四殿の他に、本殿背後の神津嶽に摂社神津嶽本宮、本殿南に摂社若宮神社更に南に末社天神地祇社が祀られ、その南部一帯は「枚岡神社梅林」として春は観梅の人達で賑わう。

催事・行事

当社三大祭は、例祭二月一日・祈年祭二月十七日・新嘗祭十一月二十三日であるが、祭礼神賑を伴った「秋郷祭」(十月十五日)は氏子の秋祭として各町の布団太鼓台約二十台が、神社の神輿に続いて境内へ勢揃いし、前日の宵宮祭・当日の本祭と、氏子青壮年の叩く太古の音が終日鳴り響き、緑に包まれた神社境内もこの時ばかりは大阪・奈良その他からの参拝者・露店があふれ十数万人の人出で境内は埋め尽される。周辺道路の規制は勿論であるが、河内国の祭の総力が此処にこの日に結集したかと思われる盛大な大祭となる。

年中恒例の中・小公式祭の他、節分祭の夕刻と八月第四日曜の夕刻には千灯明奉納神事があり、境内の釣灯篭・石灯篭を始め参道に沿って釣提灯が淡い灯をともし、春日大社の万灯篭を想わせる境内となる。八月の千灯明奉納は、河内音頭の奉納があり、近在の氏子の子女の輪踊りで夜遅く迄賑わう。又、夏越の大祓(六月三十日)は、茅の輪を立ててくぐり抜ける蘇民將来の古伝、夏病除けの信仰を伴う。

除夜・元日の所謂「年越詣り」は当社でも盛んで、夜中から正面参道に参拝者が列を作って並び、元日午前零時の新年初太鼓と共に参拝が始まる。境内では、氏子の奉仕する神酒授与の拝戴所に人の列が並び終日参拝者の列は切れない。

三月一日には梅花祭、四月三日には桜花祭があり、境内梅林と紅白梅・桜花の季節は花見を兼ねた参拝者で賑わう。

特殊神事祭典として、先ず一月十一日の「粥占神事」がある。御竃殿で桧の板と杵で火を鑚り出し、着いた火で小豆粥を大釜で松薪を以て炊き、篠竹を五十三本纏めて縄で縛りこれに入れる。その間、竃中の薪の燠火上に樫の小木を十二本並べ、これの焦げた有様で先ず一年十二ヶ月の晴雨を占う。やがて粥が炊き上がる少し前項からは、神職が大祓詞を繰返し奏上し、清浄な中にも清浄を期して神意を迎える。炊き上った釜の日を止め神職は粥の詰まった篠竹(占竹)を取り上げて三方に乗せて本殿前案上に奠し置く。午後、神前に於いて占竹を割り中の小豆粥の入り方で、米以下雑穀や芋・瓜・綿に至る迄、上中下の田畑、早稲・中手・奥手迄細かく占い、「占記」に記入し、一月十五日、この占記は印刷されて一般へ配られる。近頃は近在の農家が減って占記を受ける人も少ないが、神事は古来の手法の手を省かず昔通りに執り行われ、今後もこの姿勢は守って行くこととされている。

五月二十一日には平国祭が行われる。祭典中、神職が古式の鉾で拝殿の床を左右中と三度突き、奉幣行事を思わせる作法がある。

八月二十五日(二百十日)には風鎮祈願祭、九月二十五日には風鎮奉賽祭と、祈願と御礼の祭が執行されるのも、古い手振りの残った祭である。更に「上申祭」が十二月初申の日に斎行される。これもまた古風の祭である。十二月二十五日には「注連縄掛神事」が執り行われる。早朝から拝殿前石段下の境内広場で、藁を打ち縄を綯い注連縄を作り、祓川(夏見川)前の石の注連柱に懸け、次に神職が装束を着用、祓を修し、宮司正中して縄に向かいワッハッハと三度笑って神事を終る。これも珍らしい古式の神事である。

これ等神事のうち、一月の粥占神事は大阪府の無形民俗文化財、十二月の注連縄掛神事は東大阪市の無形民俗文化財として指定されている。

境内は、神津嶽から参道を社殿のある境内へ、更に街中の第一鳥居(石造)迄の東西に細長い約一万八千坪。この面積には本殿南に隣接する梅林が含まれる。枚岡神社梅林は約六百本の紅梅白梅が早春香を競い、一望大阪の平野を眺める高燥・風光絶佳の神苑である。

『河内名所図会』

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牧岡神社四座

出雲井村にあり。国民敬神して当国一ノ宮と称す。例祭、九月九日、近村十四ヶ村の本居(うぶすな)として、祭祀を俱にす。

祭神 南より 壱、大日霊尊 二、天津児屋根命 三、経津主命 四、武甕槌命

若宮 天押雲命を祭る。本社、南にあり。

末社 豊磐間戸命、櫛磐間戸命、石階の下に鎮座。其外、末社多し。

猿田彦祠 若宮の南にあり。

榊祠 神主の宅にあり。天磐立命を祭る。

延喜式云 大。月次相嘗新嘗。承和六年冬十月、授正三位勲二等天児屋根命従二位、従四位上比売神正四位下。

三代実録曰 貞観元年正月、授従一位勲三等天子屋根命正一位、正四位上勲六等比咩神従三位、承和十年、勅平岡大神宦等、永預把笏。貞観七年冬十月、勅神主一人、給春冬当色軾料絹布等。一如平野梅宮神主、又、春秋二祭、差神祇宦中臣宮人一人、検校祭事、兼付幣帛。又、差琴師一人、供事祭場、立為恒例。十二月、勅河内国平岡神四前。准春日大原野神、春冬二祭奉幣。永以為例。

公事根源云 神護景雲元年六月廿一日、武いかつちノ命、常陸国鹿島より御すみ所たばねに出給ふ。御乗物は鹿にて、柳の木の枝を御むちにもたせ給ふ。伊賀国なばりの郡につかせたまふ。御ともには、中臣の連時風秀行といふ人なり。十二月七日に大和国あべ山につかせ給ふ。同じき三年正月九日、三笠山に跡をたれ給ふて、天児屋根命、いはひ主命、姫太神の御もとへ、おの〱此よしを申させ給ひければ、斎主命は下つふさの国香取よりうつらせ給ふ。天児屋根命は河内国平岡よりうつり給ふ。姫大明神は伊勢国よりうつらせたまふ。姫大神はすなはち天照太神の分神ましますなるべし 下略。また、此月(一月)、かしまの祭、平岡のまつり有。是も、上の申の日、使を発遣せらる。縁起、春日におなじ云々。

当社に、毎歳正月十五日、占穀の祭事とて、神前にて粥を焼(たき)、五穀を其中へ入れて、竹の管を編て一々に名を書付て、熱(にへ)る中へ入れ、神人、これを取出し、管の中へ五穀の入様の次第を考え、其年の豊凶を生土子の諸人に告しらしむ。これを粥卜(かゆうら)といふ。此祭事、所々にあり。難波名所図会にも見へたり。

高津嶽(かうつがだけ) 当社の山嶺をいふ。

照沢 若宮の北にあり。俗に姥ヶ池といふ。

白水池 姥ヶ池の南にあり。池水白し。土色の強きなるべし。

一ノ鳥居 本社より六町許西、京街道にあり。

御旅所 豊浦村に神宮寺ありで、来迎寺の本尊、十一面観音、長壱尺五寸の尊像を安す。

当社御神の霊瑞あり。諺云、天正年中、豊臣秀吉公、三尺を提て百万の兵を指麾し給へば、万国の列侯賓服して、既に天下に威を闘ふ者なし。於是、上奏して曰、近年、足利天下の権を採しより、官領互に鉾先をまじへ、王風衰弊して、天業輝々たる事なし。不侫、尾州に出誕の時、母、夢の中に日輪を呑と見て妊身す。依之、日輪の照す所、麾下に属せずといふ事なし。然れども。三軍五兵の運は徳の末なりと申せば、願は、勅を下して関白の重職を許し給はゝ゛、仁政を施し国民を撫育せん。王道旧に帰して、四海清平ならんと奏し給へば、百官議奏して、遂に、勅許にぞ極りける時に、近衛前久公龍山公曰、関白は執柄の職にして、武家これに任ずるの例いまだ聞ず。むかしより、天子の外戚摂禄の外、これに任する例なしと、独遮り給ふ。然れども、早勅免あれば、是非なく、龍山公、薩摩国へ左遷の御身とぞ成給ふ。然れども、三歳も経ずして帰洛し給ふとぞ聞へし。御下向の砌は、御舩にめされ、難波潟、江口、河尻の辺に御舟を留られ、河内国平岡明神は遠祖天児屋根の御神なれば、こゝに詣しまし〱けり。其時、神前にて御当座あり。
つゝ゛きつゝ近き衛もそれならで身は百敷の遠津嶋守   龍山公
はる〱とつくしの果まて御下向ならせ給ふ。留別の御こゝろにや、神酒を戴かせ給はんとて御土器を乞せ給ふに、其神器、忽然として破れにけり。神人驚き、御土器を取かへ奉る。又、砕て前の如し。故に、前久公、不思議におぼしめし、此度は、先に神酒を勧られ、後に明神へ奉れ給ひしかば、恙もなかりけり。神人、従者も、奇特の思ひをなしにける。此公、御神の遠孫ながら、尊き当官にわたらせ給ひ、特には、徳の勝れさせまし〱て、かゝる奇瑞もありしかと、人々奇異の思ひをなしにける。抑龍山公は、歳星の臣ともいひつべきものか。賢者位に在す時は、徳星天に見る。夷斉は周の粟を喰ず、屈平が廉直たるを、讒人高く張て嘿々たり。子陵は厳子灘に隠れて釣を垂る。これ皆、賢者の炳焉たる也。平岡明神は公の精誠たる賢をしろし召て、御土器を互に取かはし給ふも、又、神徳の新なる所也。其より、額田村の奥なる不動寺、長尾滝など見めぐり給ひ、御舩に召れ、八重の潮風をしのぎ、さつまがたにぞおもむき給ふ。
さつまの国頴娃郡に天満宮を御建立ありて
いつのよにこゝに北野の神となりわかの浦浪よせて見るらん   龍山公
懐中抄 からの湊   たのめともあまの子たにも見へぬ哉いかゝはすへきからの湊に   ゝ

名寄 うつほ嶋   さつまかたゑのゝ郡のうつほ嶋これやつくしの富士といふらん   ゝ

右の旨趣は、寛永十九年、宇多帝の後胤、葛田従五位上修理権太夫源宣慶の書れし額田寺社縁起の奥書にも粗(ほゝ゛)見へたり。程なく、三年の後御帰洛まし〱て、洛東慈照寺銀閣の風景を賞し給ひ、此寺に閑居し給ふ。又、元禄十二年己夘の秋、天下旱魃す。其時、近衛関白太政大臣基凞公、祈雨の御詠歌御自筆に遊され、御短冊を下し置れ、大明神の神殿へ納奉る所、忽、霊雨頻にして、五穀豊饒す。其時の御歌に、
比良をかにあまくたります神ならば民くささかるゝあはれをはしれ   基凞公
此短冊、神主鳥居氏に有。此後、旱の時、祈雨に神殿へ捧げよと台命ありて、鳥居忠勝へ給ふと也。当神宝、種々、此家に伝来しけるなり。

宝基杜(たからもとのもり) 明神の鎮座、平岡山をいふ。

尾花塚 宇多帝、灯炉寄附ありし跡也。

夏見河 神其の川をいふ。

祝辞石(のつとせき) 四位の橋といふ側にあり。

千代古通(ちよのふるみち) 鳥居の前の道をいふ。

解除川(はらひかは) 神前の細川なり。

夏越岸 はらひ川の岸ならんか。

皇天門 神前の門をいふ。

行合橋 夏越川にかくる橋をいふ。

御旅所 豊浦村属村箱殿と新家との間にあり。土人、一本木といふ。

粥占神事 毎年正月十五日、藍觴年久しくして、本町遯史にも出せり。近隣の農夫集りて、其年の五穀の豊凶をしるなり。

姥ヶ火

土人の諺云、むかし、牧岡の神燈の油を盗取し姥有しに、明神の冥罰にやありけん、かの姥、見る沢の池に身を投、空しくなる。それより、此地の名を姥が池といふ。雨夜には此ほとりより、光もの出て、ゆきゝの人を悩す。其火炎は、姥が首より吹出せる火のやうにも見へ侍るにより、妄執の火なりとて、世俗に姥か火といひ囃しける。高安、恩智までも飛行、雨夜などには今も出るとなり。これは地火ともいふものなり。粗、霖雨の後、暑熱地気に籠りて陰気に刻し、自然と火を生し、地を去る事遠からず、往来の人を送り、あるひは人に、先立て飛行あり。これ、地中の湿気の発するなり。恐るゝに足らず。くはしきは馬場信武の本朝天文志に見へたり。

 

地図

大阪府東大阪市出雲井町

最寄り駅

近鉄奈良線「枚岡」駅

 

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