社号 | 玉祖神社 |
読み | たまおや |
通称 | |
旧呼称 | 玉祖明神、高安明神 等 |
鎮座地 | 大阪府八尾市神立 |
旧国郡 | 河内国高安郡神立村 |
御祭神 | 櫛明玉命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 7月16日、10月10日 |
式内社
玉祖神社の概要
大阪府八尾市神立に鎮座する式内社です。神立(こうだち)の地名は当地が神の降り立つ神聖な地であることを示したものでしょう。
当社は玉の製造に従事した玉造部が祖神を祀ったと考えられます。周防国佐波郡(山口県防府市)にも同名の玉祖神社があり、周防国一宮とされる大変格式ある神社となっています。当社は和銅三年(710年)にその周防の玉祖神社から住吉津、恩智神社を経て当地へ勧請されたと伝えられています。
御祭神の櫛明玉命は『日本書紀』の国譲りの段において玉を作るとあります。また天岩戸の段では豊玉(玉作部の遠祖)が、別伝では天明玉(玉作の遠祖で伊弉諾尊の子)が八尺瓊勾玉を作ったとあり、いずれも同じ神と思われます。『古事記』では天岩戸の段においてズバリ玉祖命が玉を作ったとあり、やはり同じ神と思われます。
一方『新撰姓氏録』では、右京神別に天明玉命の後裔である「忌玉作」が見え、瓊々杵命の降臨の際に付き従い、この時に玉を作って神幣としたので「玉祖連」と名付けられたことが記されています。河内国神別には同じ氏族と思われる「玉祖宿祢」が見え、彼らが当社を奉斎したことでしょう。
さて、古代においては当地付近で玉造部が宝玉を製造していたのでしょうか。もしそうだとしたら和銅三年に勧請というのはやや遅いような印象もあります。より古くから当地に玉造部が居住していたが、都が平城京へ遷るこの年、当社の山上にある十三峠が難波との往来の要衝となることから神威を強化すべく周防から祖神を勧請した、というのは妄想が過ぎますでしょうか。
ただ、十三峠を経由して摂津と大和を結ぶ道である十三街道(俊徳街道)は、摂津側は玉造を起点としています。摂津の玉造もまたその名の通り玉造部が居住していたと考えられています。十三街道は摂津の玉造と河内の玉祖神社を結ぶ道であり、さらに大和へ続いていることを想えば、古代における宝玉の一大流通路だったことも考えられます。となれば、これに伴う当地の玉造部の役割は極めて大きなものだったことでしょう。
当社の所蔵する北条時政の制札は国指定重要文化財。また男女神像も古くから祀られてきた貴重なもので大阪府指定有形文化財となっています。
境内の様子
境内入口に非常に大きなクスノキがあります。樹齢は不明ですが大変見事なもので、大阪府指定天然記念物。「神立」の地名に相応しい、当社の古さを感じさせるものです。
クスノキの裏側の根元に男根状の石柱が埋め込まれるように立っており、男根状になって祀られています。際に置かれた蛇の置物は、このクスノキに龍蛇の類のおられることを示すものでしょうか。
参道途中の左側(北側)に手水舎があります。
石段を上ると左側(北側)に鳥居が建ち、社殿の建つ空間が広がります。
東側に生駒山地が聳えているのに対し、社殿は南向きとなっているのが特徴。当社は山岳信仰の神社でないと暗に示しているかのようにも思えます。拝殿は平入の入母屋造で向拝が付きます。
拝殿前の狛犬。
本殿は非常に変わった形式で、妻入りの切妻造で反りのある屋根となっており、前面は切妻屋根が幣殿となって拝殿と接続しています。春日造の庇が幣殿となったものと言えるのかもしれません。また、どういうわけか千木は内削ぎになっています。この本殿は江戸時代中期頃の建築とされています。
境内社は境内の東側の空間に集まって鎮座しています。
境内の東側、手前の空間には左に「天神社」(「菅原道真」を祀る)、右に「津山神社」が鎮座しています。津山神社は幕末に疫病が流行したので五代前の神主がこれを鎮めて祈願神を祀ったもので、別名「地病神」を祀っています。
境内東側の空間の北側に池があり、「罔象女命」を祀っています。身代わりに鯉を入れると長生きすると言われています。
境内東側の奥の空間にも多くの境内社が鎮座しています。こちらは近隣の神社を合祀したもののようで、大字服部川の「菅原神社」(祭神「菅原道真」)、大字郡川の「稲荷神社」(祭神「倉稲魂命」)、大字服部川の「八幡神社」(祭神「誉田和気命」)を祀っています。
その隣のこちらの神社は神立宮筋に鎮座していた「山口神社」で「猿田彦命」を祀っています。
さらにその右側に五間社流造の立派な社殿が建っています。こちらには「蛭子神社」(祭神「蛭子命」)、「吉野権現」(祭神「木花開屋姫命」)、「住吉神社」(祭神「表筒男命」「中筒男命」「底筒男命」「息長帯比売命」)、「恩智神社」(祭神「大計都彦命」「大計都姫命」)、「八王子神社」(祭神「国狭槌命」)を祀っています。いずれも天長七年(830年)に勧請されたと伝えられており、古くから当社の末社だったようです。
境内東側のさらに奥の空間は流水に石を配置した庭園となっています。
さらに奥に石祠がありますが、どのような神が祀られているのかはわかりません。
最奥部には崖から水が流れ落ちていて滝行場になっています。生駒山地の麓や山腹の神社ではよく見かけるもので、恐らく生駒山の修験道と結びついたものでしょう。先の庭園の水源にもなっています。
当社は生駒山地の裾野の高地に鎮座するので境内からの見晴らしは最高です。大阪平野の遥か西方まで見渡せます。
当社周辺の神立地区は古い家屋も残っています。いかにも生駒山地西麓の昔ながらの町並みで懐かしさを感じます。
由緒
石碑「玉祖神社」
案内板「玉祖神社」
『河内名所図会』
地図
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