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横野神社跡 (大阪府大阪市生野区巽西)

更新日:

社号 横野神社
読み よこの
通称
旧呼称 印地宮、印色宮 等
鎮座地 大阪府大阪市生野区巽西
旧国郡 河内国渋川郡大地村
御祭神 印色入日子命
社格 式内社
例祭 当地での祭祀は廃絶

 

横野神社の概要

大阪府大阪市生野区巽西に鎮座していた式内社です。明治四十年に巽神社へ合祀されました。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、『日本書紀』仁徳天皇十三年の条に「横野堤を築く」とあり、この横野堤と関係があると考えられています。横野堤の場所は不明ですが、江戸時代中期に畿内の式内社の比定を行った並河誠所による考証の結果、当地付近と考えられるようになったようです。この地は低湿であり、海水が押し寄せるので潮を防ぐための堤だった、或いはこの地を流れていた大和川水系の川の堤だった等の説がありますが、詳細は不明です。

いずれにせよ、当社は当地に築かれた横野堤の守護神的な役割を持っていたと考えられています。同様の神社に、茨田堤の守護神として祀られたと思われる茨田郡(門真市)の堤根神社があります。

当社は江戸時代には印地宮、もしくは印色宮と呼ばれていました。御祭神の印色入日子命は垂仁天皇の第二皇子であり、横野堤を築いたとされる仁徳天皇とは微妙に遠い関係となっています。ただ、印色入日子命は河内国・和泉国において池を築造する等の土木事業を行ったことが記紀に記されているので、この関係で堤の神とされたとする説もあるようです。

当社は江戸時代中期には荒廃していたようで、一時は八幡宮(現在の巽神社)に遷されていましたが、享保年間に並河誠所によって横野神社とされ、旧地に復して再興されたと伝えられます。しかし先述の通り明治四十年に巽神社に合祀されて今に至るので、ある意味で元の状態に戻ったとも言えます。

堤の守護神として祀られた当社は、時代を経て堤がなくなると共に信仰が薄れ忘れられてしまうというのも仕方のないことなのかもしれません。

 

境内跡の様子

境内跡地は雑居ビルの切り欠けとなるほんの狭い一画にあります。

 

金網の内側に石碑等が建っています。看板には「大阪市内でも特に有名な史蹟」「沢山の人が遠くからこの史蹟をわざわざ見学に来られます」と書いてあります。それ故にここに駐車しないようにという旨の看板ですが、ちょっと盛りすぎな気もします。

 

石碑には「式内 横野神社舊跡」と刻まれています。注連縄が掛けられ、酒(?)が供えられており、今でも祭祀場として大切にしてる人がいるようです。

 

タマヨリ姫
合祀されたから仕方がないとはいえ、忘れ去られたようなところで寂しいね。
跡地が残ってるだけ素晴らしいことよ。この神社は横野堤の守護神だったとも考えられているから、堤がなくなると共に神社がなくなっててもおかしくないもの。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「史跡 横野神社蹟」

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史跡 横野神社蹟

(巽西三丁目九ノ二十七)

この社地はもと河内国渋川郡大地村の神社で、古来より印地之宮または西之宮と呼ばれ、平安時代に編纂された神名帳にその名を記された延喜式の古社であった。御祭神は第十一代垂仁天皇の皇子印色入日子の命で、社地は元々三百坪の境内であった。

その起源は、日本書紀仁徳天皇十三年の條に「冬十月横野堤ヲ築ク」と云う記述があり、昔この付近を流れていた橘川(古平野川)の氾濫を防ぐため巨大な堤防を築かれたと云われ、その堤の安全と河水の穏流を願って造営されたのが当社の始まりと云われている。

又当地を詠んだ古歌、万葉集に

「紫の根延ふ横野の春野には君をかけつつ鶯鳴くも」

続いて続古今集に

「霜枯の横野の堤風さえて入り汐遠く千鳥鳴くなり」

と云う歌があり、当時この辺りが海に近かったことが偲ばれるのである。

神社の変遷

江戸時代前期延宝年間に至り、社地は荒果て社殿も吹倒されたため同村、大地村八幡宮(現・巽神社)の境内に御祭神を移したことがあった。

その後享保年間になって、有名な五畿内志を著した当時の国学者の並河誠所がこの社地をお調べになり、由緒ある旧社である旨を庄屋松久善左衛門に申し聞かせ、これにより享保十六年公儀のお許しを得て村民達により立派に再興された。以来、宮座を組んで連綿と神燈を守ってきたが、明治四十年の神社合祀令により巽神社に合祀され廃社となった。

正面の碑は大正八年宮座、横野講の人々によって建てられたものである。尚、前方左側の碑は平成四年に建立された万葉碑である。万葉学の大家、犬飼孝先生の揮毫になるもので同年三月三十一日同氏によって除幕された。

平成五年九月吉日

横野万葉会 謹記

『河内名所図会』

+ 開く

横野神社

大地村にあり。延喜式出。今印色宮と称す。この所の生土神とす。

横野堤

横野社頭の辺ならんか。今さだかならず。日本紀曰 仁徳天皇十三年十月築横野堤云々。むかしこのほとり海浜か。この郷内他境に勝れて地形低し。溝渠及び井水も亦鹹鹵なり。これ海の近き証なり。

(略)

 

地図

大阪府大阪市生野区巽西

 

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