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春日神社 (大阪府泉佐野市春日町)

社号春日神社
読みかすが
通称
旧呼称
鎮座地大阪府泉佐野市春日町
旧国郡和泉国日根郡佐野村
御祭神建甕槌神、天兒屋根命、天押雲根命、齋主命、姫大御神
社格旧村社
例祭7月23日、24日

 

春日神社の概要

大阪府泉佐野市春日町に鎮座する神社です。

社伝によれば、宝亀年間(770年~781年)に坂上田村麻呂が「春日大社」(奈良市春日野町に鎮座)から春日神四座を勧請したのが始まりであると伝えられています。

「春日大社」の創建が神護景雲二年(768年)であるため、仮に社伝の通りならばかなり早い時期の創建であると言えます。

また社伝によれば、天授二年(1376年)に坂上正澄なる人物が社殿を建立したものの、その僅か23年後の応永六年(1399年)大内義弘の乱の際に焼失したと伝えられています。

その後、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉による根来攻めで再び焼失したといい、江戸時代に幾度か社殿の造営が行われました。

現在の本殿は江戸時代中期に建立されたものと考えられています。

当社は泉佐野市の旧市街であり古くからの港町でもある佐野の鎮守で、泉佐野市では有数の神社として人々に親しまれています。

特に7月23日および24日の夏祭りに出される太鼓台は勇壮なものとして名高いものとなっています。

 

境内の様子

春日神社 泉佐野

当社は古くからの港町である佐野の旧市街に鎮座し、孝子越街道に面して立地しています。

境内入口には鳥居が南向きに建っています。

 

鳥居の両脇に配置されている狛犬。花崗岩製の古めかしいもの。

 

境内入口付近に多数の灯籠が置かれており、これらの多くは「今村大明神」と刻まれています。

今村大明神とは明治四十一年(1908年)の神社合祀政策で当社に合祀された29社の一つで、中西町と呼ばれていた地に鎮座していました(旧地不詳)。

 

鳥居をくぐって左側(西側)に手水舎が建っています。手水鉢は享保六年(1721年)に奉納されたもの。

 

春日神社 泉佐野

春日神社 泉佐野

鳥居からまっすぐ石畳の参道が伸び、その奥に社殿が南向きに建っています。

拝殿は本瓦葺の平入入母屋造で、妻入入母屋造に軒唐破風の付いた向拝の付いたもの。重厚ながらも豪奢な印象です。

拝殿前に注連柱や変わった形の灯籠が建っているのもアクセント。

 

拝殿前に配置されている水受けは左側(西側)のものは「今村大明神」、右側(東側)のものは「恵比須太神宮」とあり、いずれも享保十一年(1726年)に奉納された同規格のもの。

上述のように明治四十一年の神社合祀政策で当社に合祀された神社のもの。多くの神社が合祀された際、このように旧社にあった多くの石造物が当社に転用されているようです。

 

拝殿後方に建つ本殿は、塀に囲われている上に周囲に樹木が多く、あまりよく見えません。

辛うじて見える範囲では、奥側(西側 / 写真左側)の銅板葺の一間社隅木入春日造に軒唐破風の付いたものが本社本殿であるようです。これは江戸時代中期の建築と考えられています。

手前側(東側 / 写真右側)の銅板葺の流造(恐らく千鳥破風と軒唐破風も付く)は恐らく境内社なのでしょう。

 

本社拝殿の右側(東側)には遥拝所らしきものがあります。東向きに遥拝するもので、恐らく伊勢神宮へのものなのでしょう。

 

遥拝所(?)の鳥居の両脇に配置されている狛犬。こちらも古めかしさが感じられます。

これもまた合祀された神社から持ってきたものなのでしょうか。

 

遥拝所(?)の右側(南側)に「赤手拭稲荷神社」が鎮座。こちらは非常に変わった建物となっています。

まず朱鳥居が西向きに建ち、その左奥(北東側)に本瓦葺の平入入母屋造に大きな千鳥破風の付いた建物が西向きに建っています。

そしてこの建物の内部の左奥(北側)の端に簡素な社殿(縁付きの流見世棚造と言うべきか)が南向きに建っているのです。

大仰な建物とは裏腹に祭祀されている空間はほんの僅かな区画となっており、手前の広い空間は神事等を行うためのものなのかもしれません。

 

赤手拭稲荷神社の朱鳥居の両脇に配置されている狛犬。こちらは花崗岩製の小柄なもの。

 

当社周辺の様子

当社周辺は泉佐野市の旧市街で、「佐野」と呼ばれる古くからの港町・漁村です。

佐野に住んでいた漁民は古くから地引網を行うと共に先進的な漁法を持っていたといい、そこから全国へ広まるなど本邦の漁業文化に多大な影響を与えました。

佐野の町並みは漁村らしく複雑な迷路状になっており、木造の古い家屋もよく残っています。

 

一方で佐野は海運の拠点として廻船業も栄え、また孝子越街道も通っていたため商業も発展し、当地には豪商も生まれました。

こうした佐野の豪商として「食野(メシノ)家」がありました。彼らは廻船業や金融業で巨万の富を築き、鴻池家や三井家などと並ぶ江戸時代有数の豪商として名を馳せました。

食野家は各地の大名に多額の資金を貸していたといい、江戸時代以降に佐野が大いに栄えたのは食野家の存在によるものと言っても過言ではありません。

しかし明治以降に食野家は没落し、残念ながら当地には食野家の屋敷は残っていません。

一方、当地で醤油醸造を営んだ「新川家住宅」の町屋が残っており、見学することが可能。主屋と内蔵が泉佐野市指定文化財となっています。

ここでは食野家の歴史についても学ぶことができます。

案内板

旧新川家住宅(きゅうにいがわけじゅうたく)

案内板

旧新川家住宅 主屋・内蔵

 

佐野の民家の前には無造作に力石が置かれていました。

力石とは腕に自信のある者が持ち上げて力を競ったもので、港など多くの人が集まる場所によく置かれていたものです。これもまた当地の港町としての歴史を示すものでしょう。

 

タマヨリ姫
泉佐野って古くからの大きな港町だったんだね!
そうね。この地の利を生かして巨万の富を築き上げた一族も生まれたのよ。
トヨタマ姫

 

地図

大阪府泉佐野市春日町

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