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高龗神社・脇浜戎大社 (大阪府貝塚市脇浜)

社号高龗神社・脇浜戎大社
読みたかおかみ・わきはまえびす
通称脇浜のえべっさん 等
旧呼称高龗神社:龍王宮 / 戎神社:事代主神社 / 神前神社:妙見 等
鎮座地大阪府貝塚市脇浜3丁目
旧国郡和泉国日根郡脇浜村
御祭神高龗大神、事代主命 他
社格
例祭9月22日

 

高龗神社・脇浜戎大社の概要

大阪府貝塚市脇浜3丁目に鎮座する神社です。

当地は高龗神社の前身である「龍王宮」の鎮座地です。

この「龍王宮」についての創建・由緒は詳らかでありませんが、古くより雨を司る神として信仰されていたといい、旱魃の際に祈願すれば必ず雨があると信仰されていたようです。

現在は海岸線は埋め立てにより遠く西方へ移りましたが、かつては当地は浜辺に近く、雨乞いの際には沖合八町(約872m)ほどの浅瀬に竹を立てて老若男女が踊りを奉納したと伝えられています。

 

近木川の河口となる脇浜や二色浜といった当地付近の海浜は良い漁場であり、古くから海を舞台に生活した漁民が暮らしていたと考えられています。

和泉国にあった内膳司領の御厨(神社に神饌として奉納するための食材を調達する地)である「網曳(あびこ)御厨」は和泉国の湾岸一帯を範囲としていたと考えられます。その中の重要な拠点の一つが当地だったとも推測され、当地で獲れた海産物が神饌として供えられたものと思われます。

こうした地に祀られる龍神は元は彼ら漁民の信仰した海神であった可能性が考えられ、古くは海の安寧や豊漁を司る神格だったのが、やがて稲作の拡大により農民に信仰されるようになり、雨乞いの神として神格を変えていったことも考えられるかもしれません。

また雨乞いの際に、水源の地である山でなく、敢えて海の沖合の浅瀬で行うのは、かつて当社の神が海の神であった名残である可能性も考えられそうです。

 

江戸時代中期頃の当社の様子は同時期の地誌『和泉名所図会』の挿絵に描かれています。それによれば海浜もしくは田圃に土盛りされて木に囲われた区画が境内となっており、鳥居と社殿が描かれています。

拝殿は桁行九間もの大規模な割拝殿で、その背後に塀に囲われて平入入母屋造の本殿が描かれています。記事本文には「石室の社」とあり、珍しいことに石造の本殿だったようです。

当社は明治年間の神社合祀政策により非常に多くの神社を合祀しています。その中の一つ「戎神社」は特に有力だったようで、現在の社号は「龍王宮」とこの「戎神社」を並立して「高龗神社・脇浜戎大社」としています。

「戎神社」は元は「事代主神社」と称し、当社に合祀された現在も「脇浜のえべっさん」としてその信仰が受け継がれています。

 

神前神社

ややこしいですが、上記の「戎神社」は「龍王宮(高龗神社)」に合祀される前に「神前神社」なる神社を合祀しています。

この神社は江戸時代には「妙見」と呼ばれていましたが、江戸時代中期の地誌『和泉志』などの資料は日根郡の式内社「神前神社」を当社に比定しています。

『和泉志』本文に「神前村にあり」とあるためこの地名を根拠としているのでしょう。ただし資料によっては当社を畠中村に属すとするものもあり、当社の所属は錯綜していたようです。

当社の創建・由緒は詳らかでなく、江戸時代には妙見信仰の神社とされていたものの、当社が式内社であったならば少なくともそれは本来の信仰ではありません。

式内社「神前神社」の本来の祭神の候補として「船戸神」(『神名帳考証』)や「少彦名命もしくは武甕槌命」(『大阪府史蹟名勝天然記念物』)などが挙げられているものの、現状では如何なる神を祀り如何なる氏族が奉斎していたかは全く不明としか言いようがありません。

 

境内の様子

高龗神社・脇浜戎大社

当社は脇浜3丁目、阪神高速4号湾岸線の貝塚ランプのすぐ南側に鎮座しています。現在は埋め立てが行われていますがかつてはすぐ側が海岸線だったようです。

境内は東西に細長く、東端が入口となっており銅製の鳥居が東向きに建っています。

 

鳥居の両脇に配置されている狛犬。花崗岩製です。

 

鳥居をくぐって少し進んだ様子。非常によく整備された境内で、石畳が敷かれており、社殿や手水舎、社務所などへと通じています。

 

途中、左側(南側)に手水舎が建っています。どういうわけか手水鉢は三基も配置されており、右端には井戸があります。

 

高龗神社・脇浜戎大社

石畳に従って奥へ進むと社殿が東向きに建っています。

拝殿は銅板葺の平入切妻造に妻入切妻造の庇の付いたもので、眩いばかりに真っ白なRC造。拝殿の右側部分は授与所を兼ねています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。こちらも花崗岩製。

 

拝殿は幣殿と一体化した凸型拝殿で、さらに後方の本殿とも一体化しています。

本殿は銅板葺の妻入切妻造。ただ、これは覆屋で中に本殿が納められている可能性もあります。

 

本社拝殿の手前左側(南東側)の空間にエビス像が安置されています。花崗岩製の真新しいもので真っ白な状態。

当社に合祀された「戎神社」の信仰が現在も生きている証左であると言えましょう。

むしろそちらの信仰の方が、当地における本来の「龍王宮(高龗神社)」の信仰に取って代わってるとすら言えるかもしれません。

 

エビス像から本社本殿南側の空間へ行けますが、その入り口には何故か二基の朱鳥居が横並びに建っています。くぐってすぐに合流するので二基も鳥居がある必要性があるのかは不明。

 

朱鳥居をくぐると本社本殿の左側(南側)に「八百萬稲荷神社」と「祖霊社」の相殿が東向きに鎮座。

案内板によれば前者は「人々の健康や病の平癒などに関わり深い神々を合祀して」いるといい、後者は戦没者と当社発展に関わる人々の霊を祀っているようです。

社殿は銅板葺の流造風の建物で、手前には朱鳥居が建ち、朱塗りの瑞垣で囲われて鎮座しています。

案内板

 

道を戻ります。本社拝殿の手前側に石畳が左側(南側)に分岐しており、ここに北向きの鳥居が建ち、その奥に北向きの石祠が建っています。

この境内社の社名・祭神は不明。

 

この境内社の鳥居傍らに配置されている狛犬。こちらは砂岩製で、恐らく当社境内にある狛犬の中で最も古いものでしょう。

元々本社にあったものを移したのかもしれません。

 

タマ姫
二つの神社が合わさった社名なの珍しいね!元々は別の神社だったのかな?
そうね。戎神社がこちらに合祀されてきたけれど、今でも根強くこちらの信仰が続いているみたいね。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

高龗神社(脇浜戎大社)

 

地図

大阪府貝塚市脇浜3丁目

 

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