社号 | 東高津宮 |
読み | ひがしこうづぐう |
通称 | |
旧呼称 | 仁徳天皇社、平野社 等 |
鎮座地 | 大阪府大阪市天王寺区東高津町 |
旧国郡 | 摂津国東成郡東高津村 |
御祭神 | 仁徳天皇、磐之姫命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 7月12日 |
東高津宮の概要
大阪府大阪市天王寺区東高津町に鎮座する神社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、中央区高津に鎮座する「高津宮」と同様に「仁徳天皇」を、そしてその皇后である「磐之姫命」を祀っています。
「高津宮」と同様、豊臣秀吉が大阪城を築城した際に遷座したと伝えられており、当時の遷座先は現在の近鉄大阪上本町駅に位置していましたが、昭和七年(1932年)の駅拡張工事の際に現在地に遷座しました。
当社は「元高津」とも呼ばれ、一説にここから高津宮が遷座したから、また一説に高津宮に合祀された北高津宮に遷座したからとも言われていますが、この辺りもはっきりしません。
また大阪城築城前にどこに鎮座していたのかも不明(一説に「生國魂神社」の南にあったとも)で、来歴のはっきりしない部分の多い神社です。
現在は桜が植えられ、市街地にありながらも春には見事な光景を楽しませてくれる神社となっています。
境内の様子
境内入口。境内はサクラの木が植えられてあり、桜の花の咲く時期は実に華やかで見事です。
石段を上ったところに鳥居が東向きに建っています。
鳥居をくぐって右側(北側)に手水舎が建っています。
境内は広くなく、鳥居をくぐってまっすぐ進み、石段を上るとすぐに東向きの社殿が建っています。
拝殿は平入の切妻造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。
拝殿前の左右に配置されている狛犬。花崗岩製で、カエルのような大きな口が特徴。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の一間社流造。
参道を戻り、境内左側(南側)に「願い楠」と呼ばれるクスノキがあります。案内板に「両手を大楠幹に当て心願、口唱し御神威をお授かり下さい」とありました。
大阪市内ではクスノキに龍蛇が住まわれるとする信仰がよく見られますが、こちらは特に祠等はありません。
願い楠の側に「王仁神社」が東向きに鎮座。御祭神は「王仁博士」。
真っ白な鳥居が建ち、その奥に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
王仁は応神天皇の時代に百済から渡来した人物で、優れた学者であり本邦に様々な文物をもたらしました。
応神天皇の崩御後、三年間の空白の後に仁徳天皇が即位しましたが、その際に王仁が詠んだ歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」は極めて有名です。
鳥居をくぐって右側(北側)に「磐船稲荷神社」が南向きに鎮座。御祭神は「宇賀御魂神」。
朱鳥居が建ち、奥に銅板葺・流見世棚造の朱塗りの社殿が建っています。
当社の詳細は不明ですが、やや気になる神社です。
『摂津国風土記』逸文によれば、天稚彦が天下ったときに次いで天探女が磐船に乗ってここまで来て泊まったので高津という、とする語源説話があります。
さらに江戸時代中期の地誌『摂津名所図会』によれば、当地の東方にあたる小橋村の西南田圃の中に「磐船山」と呼ばれる丘があり、天探女が磐船から降りて留まった地であり、土中に磐船が埋まっている、とも記されています。
「磐船山」なる丘は現在は消滅しているようですが、或いは当社はこれに関係するのかもしれません。
境内は広くないものの、桜の花に包まれた当社はまさに「今は春べと 咲くやこの花」の歌の通りです。隠れた花見の名所と言えましょう。(ただし「今は春べと 咲くやこの花」は梅の花を詠んだものという)


由緒
案内板
東高津宮
地図
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