社号 | 伯太彦神社 |
読み | はくたひこ |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王、躑躅尾社 等 |
鎮座地 | 大阪府柏原市玉手町 |
旧国郡 | 河内国安宿部郡玉手村 |
御祭神 | 伯太彦命、廣國押武金日命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 7月17日、10月17日 |
伯太彦神社の概要
大阪府柏原市玉手町に鎮座する式内社で、円明町に鎮座する「伯太姫神社」と対になる神社です。
当社は明治四十一年(1908年)に羽曳野市誉田に鎮座する「誉田八幡宮」に合祀されましたが、昭和二十一年(1946年)に再び独立し旧地に再興しました。
当社の由緒は詳らかでありませんが、漢系の渡来系氏族である「田辺氏」が「伯太姫神社」と共に祖神を祀ったのが当社と考えられます。
当地の東方の田辺地区には「田辺廃寺」があり、当地を拠点として開発し力を付けた田辺氏が白鳳時代に氏寺として豪勢な寺院を建立したものと思われます。
田辺を文字通り「田の部」と解すれば、当地を灌漑し積極的に開墾を行うことで有力氏族に上り詰めたのでしょう。
この氏族から輩出した人物「田辺史大隅」は藤原不比等の養育者としてその名が知られています。
『新撰姓氏録』にはこの「田辺氏」について次の二系統が登載されています。
- 右京皇別「田辺史」 (豊城入彦命の四世孫、大荒田別命の後)
- 右京諸蕃「田辺史」(漢王の後、知惣をより出る)
田辺氏が二系統ある点について、元は右京諸蕃にあるような渡来系の氏族だったものの、一部が後に豊城入彦命を祖とする上毛野氏と何らかの縁で主従関係になり、皇別氏族となったとする説があります。
当社付近の丘陵地(玉手山 / 古くは天王台)は「安福寺横穴群」や「玉手山古墳群」など古墳時代の墳墓が非常に多い地となっています。
特に安福寺横穴群は古墳時代後期のものと考えられ、当地に居住した田辺氏らの墓地だったのかもしれません。
この丘陵地は当地を基盤とした人々にとって死者の世界と見なされていたことでしょう。
中世以降の当社の動向については詳らかでありませんが、当社は江戸時代には「牛頭天王」と呼ばれた他、ツツジの名所でもあったことから「躑躅尾社」とも呼ばれていました。
上述のように明治年間に一度合祀された後、戦後に復興したようで、現在は当社の鎮座する玉手山も公園として整備されており周辺住民の憩いの場となっています。
境内の様子
境内入口。鳥居は北向きに建っています。
大和川とそれに合流する石川、原川に挟まれた丘陵地「玉手山」の上に当社は鎮座しており、鬱蒼とした森の中の長い石段が続いています。
石段を上り切ったところでぐるっと180度回ると拝殿が建っています。
この拝殿は桟瓦葺の平入切妻造で、素朴な建物ながら形式的には割拝殿です。
拝殿をくぐると、正面に透塀、中門(拝所)、及び本殿が南向きに建っています。
拝所の前に配置されている花崗岩製の狛犬。台座には天保十三年と刻まれています。
誉田八幡宮への合祀、そして旧地への復旧を共にしたものでしょうか。或いは当地にずっと置かれたままだったのかもしれません。
本殿は銅板葺で、形式としては平入入母屋造ですが前面が長く伸びており流造的な構造になっています。
向拝部分に扉が設けられているのも特徴。
あまり他に例を見ない形式の本殿です。
本社本殿の右側(東側)の空間に境内社が鎮座しています。
本社本殿のすぐ右隣に「若宮大明神」が南向きに鎮座。御祭神は「大物主命」。
簡素な拝所が立ち、奥に赤く塗られた銅板葺の一間社春日造の社殿が建っています。
若宮大明神の右側(東側)にも境内社が建っています。
社名・祭神は不明で、社殿も妻入切妻屋根に柵状の扉の付いたものとあまり祠らしくない形ですが、どうやら稲荷系の神社のようです。
当社周辺の様子
安福寺
当社の南東側に隣接して「安福寺」があります。
阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院で、行基による開基と伝承され、かつては当社の神宮寺でもあったようです。
中世には荒廃したものの、江戸時代に浄土宗の僧によって再興され、尾張徳川家の庇護を受けました。
尾張藩第二代藩主の「徳川光友」が寄進した硯箱や香筥が国指定重要文化財に指定されています。
安福寺の境内には近くの玉手山3号墳から出土したという「割竹形石棺蓋」が置かれており、こちらも国指定重要文化財です。
この石棺蓋の側面をよくご覧ください。よく見ると直線や円で構成された独特の幾何学模様が刻まれています。
これは「直弧文」と呼ばれるもので、九州や吉備、畿内などの古墳で見られる謎のデザインです。
呪術的な装飾だとも言われたりしますが、どういったことを表すのかは全くわかっていません。
案内板
重要文化財 割竹形石棺蓋
安福寺横穴群
さらに安福寺の参道途中には「安福寺横穴群」があり、大阪府指定史跡となっています。
参道両側の崖にポコポコと穴が開いており、これらは古墳時代後期に造られた横穴墓です。
横穴墓は九州から伝わったと考えられますが、或いは当地に居住した田辺氏がここに葬られたのかもしれません。
この時代は横穴式石室を設けた古墳が多く作られた時代ですが、当地においては大和川を挟んだ対岸にも高井田横穴墓群があり(「宿奈川田神社」の記事を参照)、どういうわけかこの近辺に限っては横穴墓が盛んに造られたようです。
案内板
府史跡 安福寺横穴群
玉手山

玉手山1号墳

玉手山7号墳
伯太彦神社の鎮座する「玉手山」には数多くの古墳があり、「玉手山古墳群」として知られています。多くは古墳時代前期の築造とされています。
ただ一基だけ横穴式石室を備えた後期古墳があったようで、この家形石棺はその後期古墳に納められたものを移したものです。
安福寺横穴群と同時期と見られ、田辺氏との関係も気になるところです。
玉手山から西を望んだ様子。「誉田御廟山古墳」(応神天皇陵 / 左側)と「仲ツ山古墳」(仲津姫命陵 / 右側)がよく目立ちます。
前期古墳が丘の上に築かれたのに対し、中期の大規模古墳は丘の下の平野部に築かれたことがわかります。
玉手山から北側を望むと生駒山地まで見渡せます。当地を支配した豪族を葬るには確かに良いところだったことでしょう。


由緒
石碑
伯太彦神社御縁起
『河内名所図会』
地図
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