社号 | 高橋神社 |
読み | たかはし |
通称 | |
旧呼称 | 笛不吹明神 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市岩橋 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡岩橋村 |
御祭神 | 饒速日尊、樋速日尊 |
社格 | 旧村社 |
例祭 | 10月15日 |
高橋神社の概要
和歌山県和歌山市岩橋に鎮座する神社です。
式内社でも国史現在社でもありませんが、紀伊国の国内神名帳『紀伊国神名帳』の名草郡地祇に見える「正一位 高橋大神」は当社とされています。
当社は「高橋氏」が当地に居住し祖神を祀ったと考えられています。高橋氏は孝元天皇の皇子である大彦命を祖とする皇別氏族(阿倍氏と同系)と、ニギハヤヒ(饒速日)を祖とする物部系氏族の二系統があり、当社を奉斎した高橋氏は後者とされています。
関係する氏族として『新撰姓氏録』に次の氏族が登載されています。
- 右京神別「高橋連」(同神(=神饒速日命)七世孫、大新河命の後)
- 山城国神別「高橋連」( 同神(=饒速日命)十二世孫、小前宿禰の後)
- 河内国神別「高橋連」(同神(=饒速日命)十四世孫、伊己布都大連の後)
そして物部系の史書『先代旧事本紀』天孫本紀にはニギハヤヒの十三世孫、物部建彦連公は「高橋連」らの祖であると記されています。
『新撰姓氏録』は畿内のみを対象としているため紀伊国に物部系の高橋氏が居住していたかを知ることができませんが、当社では古くからそのように伝えられていたようです。
現在も当社の御祭神として高橋氏含む物部氏の祖である「饒速日尊」が祀られており、物部系の神社とされています。
なおもう一方の御祭神「樋速日(ヒノハヤヒ)尊」は、『日本書紀』ではスサノオがアマテラスとの誓約によって生んた神、『古事記』ではイザナギがカグツチを斬った際に血が岩石に飛び散って生まれた神とあり、名は似ているもののニギハヤヒとは全く関係が無く、当社で祀られた経緯は不明です。
一方、当社はかつて「笛不吹(フエフカズ)明神」とも称し、その名の通り境内で笛を吹くことを禁忌としています。
これはホアカリ(天火明命)を祖とする「笛吹氏」に関連するものと考えられ、笛吹氏は葬礼の際に棺などの葬具や祭具などを用意し、楽器、特に笛を吹いて死者や神霊への祭祀を行い魂を鎮めた人々だったと考えられています。
江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』は、『先代旧事本紀』ではニギハヤヒとホアカリを同一の神「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」として記していることから、ニギハヤヒを祖とする高橋氏とホアカリを祖とする笛吹氏を同系とし、この二氏が居住して“同祖”を祀ったのではとしています。
しかし『先代旧事本紀』においてニギハヤヒとホアカリを同一の神として記しているのは、前者を祖とする物部氏と後者を祖とする尾張氏を同系とすることで両氏の連携を図る等の政治的意図で作為されたものと見られており、本来は別神であり物部氏と尾張氏も別系統だったと見るのが妥当です。
従って当地で高橋氏と笛吹氏の両氏が居住していたことは考えられるものの、何らかの連携的な関係があったとしても両氏を同系とするのは保留すべきでしょう。
また、笛吹氏に関わると思しき当社が「笛不吹」と称するようになった事情について、『紀伊続風土記』はその「笛吹」の名を避けて笛を吹くことを禁忌とし、社名も訛って「笛不吹」と称するようになったのではないかと推測しています。しかし何故「笛吹」の名を避けたのかは明らかにしていません。
或いは後世に笛吹氏の職掌が忘れられ、笛を神に捧げる神具として神聖視する風習だけが残った結果、笛を安易に吹くことを畏れ多いとして忌むようになったのかもしれません。
偶々訪問時にお会いした神職の方のお話によれば、「笛不吹」の社名に関わらず当社に神宝として笛が伝えられているといい、笛を吹くことを禁忌としても(だからこそと言うべきか)笛を神聖なものと見做していた名残がここに現れているとも考えられそうです。
いずれにしても「笛不吹」なる一見不思議な呼称は何らかの歴史的な経緯と後世の信仰の変化を反映したもののように思われます。
また社伝によれば当社は元々は宮井川の左岸側、現在地の西方200mほどの地に鎮座していたといい、遷座後も馬場として残っていたようです。
境内の様子
当社は岩橋地区の集落東側に立地しています。
当社境内は鬱蒼とした森になっており、南側にある境内入口に木造の神明鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎と社務所が建っています。
参道の正面奥に桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿が南向きに建っています。
割拝殿の右側(東側)の部屋は手前側の社務所と一体化した構造になっています。
割拝殿の通路をくぐった様子。森の中にあってかなり開けた空間が広がっており、一面にコンクリートが敷かれています。
この空間の正面奥、瑞垣で仕切られた後方に社殿や境内社が南向きに並んでいます。
瑞垣には三ヶ所の拝所が設けられています。
これらの内、中央の拝所は銅板葺の妻入切妻造となっており、その後方に銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
本社本殿の左側(西側)に隣接して三社の相殿が南向きに鎮座。それぞれ次の神社が祀られています。
- 「速玉神社」(御祭神「速玉命」)
- 「八幡神社」(御祭神「應神天皇」)
- 「市杵嶋神社」(御祭神「市杵嶋姫神」)
銅板葺の平入切妻造の中門(拝所)が建ち、その後方に銅板葺の三間社流造の社殿が建っています。
本社本殿の右側(東側)に「豊玉神社」が南向きに鎮座。御祭神は「豊玉彦神」。
銅板葺の平入切妻造の中門(拝所)が建ち、後方に銅板葺の一間社春日造の社殿が建っています。
『紀伊続風土記』には岩橋村の記事に当社の他に「海神宮」を記しており、これがこの神社にあたるものと思われます。恐らく明治年間に遷座したのでしょう。
同記によれば、『紀伊国神名帳』名草郡地祇の「従四位上 海神」はこれであるとし、当時は「うなきの宮」と称し、「うなき」とは「海神(ウナカミ)」が約まったものとしています。
本社社殿前の左側(西側)に「天神社」が東向きに鎮座。御祭神は「菅原道真」。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
対して、本社社殿前の右側(東側)には三社の境内社が並んでいます。
これらの内、最も左側(北側)に「水分神社」が西向きに鎮座。御祭神は「水分神」。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
水分神社の右側(南側)に「八衢神社」が西向きに鎮座。御祭神は「八衢比古神」。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
八衢神社の右側(南側)に「八王子神社」が西向きに鎮座。御祭神は「五男三女神」。
社殿は鉄板葺の春日見世棚造。
当社境内は社殿前が広々とした空間になっているのに対し、参道沿いや社殿背後は鬱蒼とした社叢になっています。
参道沿いには巨大なクスノキも見られ、注連縄が掛けられて御神木となっているようです。
由緒
扁額
和歌山縣海草郡西和佐村大字岩橋字宇田鎮座
村社 髙橋神社
地図