社号 | 篠畑神社 |
読み | ささはた |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県宇陀市榛原山辺三 |
旧国郡 | 大和国宇陀郡山辺村 |
御祭神 | 天照皇大神 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月17日、18日 |
式内社
篠畑神社の概要
奈良県宇陀市榛原山辺三に鎮座する神社です。式内社「御杖神社」を当社に比定する説があります。
一方で当社は一般に「元伊勢」の一つとされ、創建もこれに因み「天照大神」を祀ったものとして伝えられています。
元伊勢とは、「伊勢神宮」が現在地に鎮座する以前に一時的に「天照大神」を祀っていたとされる地のことです。
崇神天皇の御代、天皇が宮中に天照大神を祀るのを畏れたために天照大神の鎮まるべき地を豊鍬入姫命に求めさせ、途中倭姫命が代わって探し求め、各地を転々としつつ最終的に現在の伊勢神宮の地に落ち着くことになります。
その様子は『日本書紀』に簡単に記され、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』といった後世の史料に詳細に記されています。
『日本書紀』に「菟田筱幡」、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』に「佐佐波多宮」とある地が当社であるとされて、天照大神の祭祀が豊鍬入姫命から倭姫命に代わってから二番目ないし三番目に祀られたところです。
なお、この候補地は当社の他にも同地区の「葛神社」、神末地区の「御杖神社」などがありますが、江戸時代中期の地誌『大和志』にも記されているように当地は古くから「篠畑」と称したようで、最有力の神社となっています。
倭姫命は「御杖代」となって天照大神の鎮まるべき地を求めたことが各史料に記されており、式内社「御杖神社」を当社に比定する説はこれに因んでいます。(「御杖代」については「御杖神社」の記事を参照)
また『大和国風土記』逸文には宇陀郡篠幡の庄に「御杖の神の宮」が鎮座し、倭比売命が天照大神を戴いてその地に至った旨が記されています。この篠幡の庄の「御杖の神の宮」は当社であると考えられ、当社が式内社であることの傍証ともなっています。
ただし現在の当社は式内論社を主張していないようで、社号標には「国史現在社」とあり、あくまで国史に登場する元伊勢であるとしているようです。
当社の秋の例祭では倭姫命に仕える童女に因んで七人の稚児が奉仕し、稚児の頭に輪を載せ、その上に神饌を入れた容器を頭上にいただくような所作で神前へ運ばれるのが特徴です。
この時に備えられる神饌は特殊神饌と呼ばれ、ねむの木の升に盛られた蒸しご飯と、ヒノキ材の輪を付けた桶の内部を竹串で四等分してそれぞれ栗、干し柿、ザクロ、柚を入れたものが用意されます。
これを鱠(えそ)と称するようで、秋の例祭は「鱠祭り」とも呼ばれています。
境内の様子
当社境内の50mほど南方、国道165号沿いに当社の社号標が建っています。
法務大臣時代の奥野誠亮が揮毫したもので「国史現在社 篠畑神社」と刻まれています。当社の公式見解は式内社でなくあくまで国史現在社としているようです。
社号標から道を進むと山の麓に境内入口があり、一の鳥居が西向きに建っています。
一の鳥居はコンクリート製の神明鳥居。そこから石段が続いています。
一の鳥居から石段を上って行くと途中で左側(北側)へ折れ、二の鳥居が南向きに建っています。二の鳥居も神明鳥居。
二の鳥居からも石段が続き、その上の広い空間の社殿が南西向きに並んでいます。
石段から見ると社殿は横向きとなっています。
石段を上って右側(東側)に手水舎が建っています。神明造風の屋根で、千木と鰹木まで載っています。
拝殿は銅板葺の神明造風の平入切妻造。土間となっており、壁の無い開放的な構造です。
内削ぎの千木と六本の鰹木が設けられています。
拝殿後方、石垣の上に瑞垣に囲まれて銅板葺・神明造の本殿が建っています。
こちらも内削ぎの千木、六本の鰹木が設けられています。
本殿前には幣殿とも中門ともとれる妻入切妻造の建物が接続しています。
本殿の建つ石垣の下に配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいもの。
本社本殿の右側(南東側)に「佐佐波多姫社」が南西向きに鎮座。
石垣上に瑞垣に囲まれて鎮座しており、社殿は檜皮葺の一間社春日造となっています。
佐佐波多姫社の前に配置されている狛犬。こちらは砂岩製で古めかしさの感じられるもの。
全体的に真新しい建築や構造物の多い中でこの狛犬は数少ない古いものと言えそうです。
本社社殿の左側(北西側)にある建物。
社務所とはまた別の建物となっており用途不明です。神饌所でしょうか?
由緒
案内板
篠畑神社
地図
関係する寺社等
御杖神社 (奈良県宇陀郡御杖村神末)
社号 御杖神社 読み みつえ 通称 旧呼称 上津江之御宮、国津大明神社、九頭大明神、葛明神、牛頭天王社 等 鎮座地 奈良県宇陀郡御杖村神末 旧国郡 大和国宇陀郡神末村 御祭神 久那斗神、八街比古神、八 ...
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