社号 | 甲斐神社 |
読み | かい |
通称 | 甲斐宮、田中神社 等 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県大和郡山市田中町 |
旧国郡 | 大和国添下郡田中村 |
御祭神 | 天児屋命 |
社格 | 旧村社 |
例祭 |
甲斐神社の概要
奈良県大和郡山市田中町に鎮座する神社です。
式内社ではありませんが、『三代実録』貞観七年(865年)四月二十五日条に「授大和国無位田中神従五位下」とある「田中神」は当社に比定され、国史現在社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
大正三年刊行の地誌『大和志料』は、『古事記』に天津彦根命は倭田中直の祖であると記していることからこの「倭田中氏」が祖を祀ったのが当社ではないかとしています。
また、鎌倉時代の『玉葉和歌集』に収録されている藤原為家の詠んだ歌「山きはの田中のもりに注連はえて今日里人は神まつるなり」は当社を詠んだものと考えられています。
『大和志料』は祭神不詳としているものの、現在は中臣氏・藤原氏の祖神「天児屋命」を御祭神としています。この神を祀るようになった経緯は不明。
また「甲斐神社」と名乗るようになった経緯もはっきりしません。
このように当社ははっきりしない部分が多いものの、「田中」の地名や旧社名が示すように古くから田圃に囲まれた肥沃な地だったと思われ、或いは当社の神は豊穣や水利など稲作に関する神格を持っていたのかもしれません。
境内の様子
当社の一の鳥居は境内の南東端に道路に面して東向きに建っています。
ここから境内の南辺をなぞるように道が伸びています。
この道を進んでいくと右側(北側)に灯籠が配置され、二の鳥居が南向きに建っており、ここが境内入口となります。
二の鳥居をくぐって右側(東側)に手水鉢が建っており、井戸に比してやや小柄な手水鉢には「甲斐宮」と右書きで刻まれています。
二の鳥居をくぐって正面奥に社殿が、そしてその手前側に三の鳥居が南向きに建っています。
三の鳥居は朱塗りで、後方にのみ稚児柱を設けたもの。
拝殿は本瓦葺の平入切妻造で、桁行十一間にもなる大規模なもの。
拝殿前に配置されている狛犬。氏子の方が奉納したと思われるお手製の前掛けがオシャレ。
拝殿後方に塀に囲まれて幣殿および本殿が建っています。
幣殿は桟瓦葺の妻入切妻造、本殿は銅板葺の一間社春日造に朱塗りを施したもの。
当社境内を引きで見た様子。シンプルな配置ながら大規模な拝殿と森が奥側にまとまっており、実に爽やかな印象の神社です。
案内板には末社として「八幡神社」「神明神社」があると記しているものの、外見からは見当たりません。恐らく本殿の建つ塀内に鎮座しているのでしょう。
由緒
案内板
御由緒
地図