1.奈良県 2.大和国

大坂山口神社 (奈良県香芝市穴虫)

社号 大坂山口神社
読み おおさかやまぐち
通称
旧呼称 牛頭天王 等
鎮座地 奈良県香芝市穴虫
旧国郡 大和国葛下郡穴虫村
御祭神 大山祇命、須佐之男命、天児屋根命
社格 式内社、旧村社
例祭 10月16日

 

大坂山口神社の概要

奈良県香芝市穴虫に鎮座する式内社です。逢坂地区の「大坂山口神社」と共に式内社「大坂山口神社」の論社となっています。

『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○(坐)山口神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○(坐)山口神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

また当社は含まれていませんが、『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

 

「大坂」については記紀の崇神天皇の条に言及があり、疫病が蔓延し多くの人々が死亡した際、神託によりオオタタネコにオオモノヌシを祀らせることで疫病が収まったことが記されており、大神神社の創建由緒となっています。

そしてこれに関連し、宇陀の「墨坂神」に赤色の盾八枚・矛八竿を祀り、「大坂神」に黒色の盾八枚・矛八竿を祀ったことが記されています。

ここに記される「宇陀の墨坂神」とは宇陀市萩原に鎮座する「墨坂神社」、「大坂神」とは「大坂山口神社」だと考えられ、奈良盆地南方の東の坂・西の坂で神を祀ったことになります。

坂とはつまり「境」であり、境界から侵入する疫病や災厄、悪霊などを防ぐサイノカミとして墨坂神・大坂神が祀られたことが考えられます。

尤も上述のように式内社「大坂山口神社」は山の水源や樹木を守護する神として国家的に祭祀された神社と考えられるため、サイノカミとして祀られたであろう記紀の「大坂神」が神格の異なる「大坂山口神社」と直ちに結びつけるのは聊かの疑問があります。

ただ、「大坂山口神社」が「大坂神」の祭祀を継承し、新たに山の神としての神格を付与したことは考えられるかもしれません。

 

前述の通り式内社「大坂山口神社」の論社は穴虫地区に鎮座する当社と逢坂地区に鎮座する同名の「大坂山口神社」がありますが、地名を見れば逢坂地区の神社が妥当であるように思われる一方、当社は山の麓に立地しており、地形的に「山口神社」に相応しいのは当社の方です。

さらに西方には河内国との境界である穴虫峠へ通じる道があり、「大坂」の地名に相応しい地でもあります。

当社は江戸時代には「牛頭天王」と称し、社名の通り牛頭天王を祀っていました。牛頭天王は疫病退散の神として信仰されたため、もし当社が「大坂神」としてサイノカミ的に祀られたのが当初の姿だったなら、疫病を遮る本来の神格が後世に復活したとも取れるかもしれません。

現在の御祭神は「大山祇命」「須佐之男命」「天児屋根命」です。大山祇命は明治以降に主祭神として加えられたものですが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、この大山祇命が本来の祭神だったと思われます。

須佐之男命は明治年間の神仏分離により仏教的な神だった牛頭天王を同じ神格である須佐之男命に置き換えたものでしょう。

天児屋根命が祀られている事情は不明。いつの頃か春日神が勧請されたのでしょうか。

 

境内の様子

大坂山口神社 穴虫

当社の境内は二上山の北方にあるちょっとした丘に立地しています。

境内入口には鳥居が東向きに建っています。

 

鳥居をくぐってすぐ左側(南側)に手水舎があります。

 

大坂山口神社 穴虫

大坂山口神社 穴虫

鳥居をくぐってすぐ正面に長い石段があり、その途中に拝殿が東向きに建っています。

拝殿は桟瓦葺の平入切妻造の割拝殿。延享元年(1744年)に再建された建築です。

 

拝殿への石段の途中に配置されている狛犬。花崗岩製で比較的新しいものです。

 

割拝殿の通路を通って境内の奥へ。通路の屋根上には安政六年(1859年)に奉納された雌雄の鹿が描かれた絵馬が掲げられています。

 

割拝殿の通路をくぐり抜けた様子。さらに石段が伸びており、その上には桟瓦葺・平入切妻造の中門(形式としては簡素な棟門)が建っており本殿の建つ空間を区画しています。

 

中門へ至る石段の途中に配置されている狛犬。こちらは砂岩製で、比較的古そうに感じられます。

 

大坂山口神社 穴虫

大坂山口神社 穴虫

石段を上り中門をくぐると主要な社殿の建つ空間となっており、正面に銅板葺・三間社流造の本殿が東向きに建っています。

案内板には文化十三年(1816年)の再建と記されていますが、部材などはかなり新しいもののように思われ、江戸時代に遡る建築には見えません。

 

本社本殿の左側(南側)に「厳島神社」が東向きに鎮座。

社殿は小さな銅板葺の一間社流造。

 

本社社殿の右側(北側)に「事比羅神社」が東向きに鎮座。

社殿は同じく小さな銅板葺の一間社流造。

 

当社の拝殿下の石段北側は石垣が段々に築かれており、数段の平坦な面が設けられています。

この面に立つと境内の下方の空間をよく見渡すことができます。

当社では「馬場のお宮さんの相撲」と呼ばれて古くから奉納相撲が盛んに行われていたと言われ、恐らくこの石垣から相撲を観戦したことでしょう。

このように数段に石垣を積んでその上から興行を楽しむための設備は小豆島でよく見られ「桟敷」と呼ばれていますが、畿内でこのような例は殆ど無く極めて貴重なものと思われます。

 

当社周辺は古い家屋がよく残っており、一部はまるで江戸時代のような町並みとなっています。

古くから交通の要衝で多くの人が往来したと思われ、往時の様子を偲ぶことができます。

 

タマヨリ姫
なんか石垣が変わってるね!段々畑みたいになってる!
こちらの神社では相撲がよく行われていたそうで、この石垣から相撲を観戦したんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「大坂山口神社 香芝市穴虫」

+ 開く

大坂山口神社 香芝市穴虫

祭神

大山祇命
須佐之男命
天児屋根命

式内社大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座されます。

本殿は三間社流造の銅板葺きで、文化十三年(一八一六)の再建とされますが、寛永二年(一六二五)以来の棟札が残されています。それには、背後の山の石巌を掘削して神域を広げたことを記すもの、祇園宮寺とみえ、神宮寺の存在が確認できるものがあります。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(一七四四)の再建とわかります。また、平成元年三月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎などが新築されています。

近世の『大和志』には、「在穴蒸村 今称牛頭天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていました。秋の大祭には、この牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久二年(一八六二)や明治三十八年(一九〇五)の奉納相撲板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷席があり、近年まで土俵も残されていました。また、大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大の松為次郎(一八五九~一九二一)は、大正四年(一九一五)に境内で隠(引)退相撲を行ったあと、素人相撲の世話役として活躍されました。

近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。

なお、式内社大坂山口神社は、当社とその北東約六〇〇mに位置する逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。

平成二十八年三月

香芝市

 

地図

奈良県香芝市穴虫

じゃらんで見る

JTBで見る

日本旅行で見る

 

関係する寺社等

大坂山口神社 (奈良県香芝市逢坂)

社号 大坂山口神社 読み おおさかやまぐち 通称 旧呼称 牛頭天王 等 鎮座地 奈良県香芝市逢坂5丁目 旧国郡 大和国葛下郡逢阪村 御祭神 大山祇命、須佐之男命、神大市比売命 社格 式内社、旧村社 例 ...

続きを見る

-1.奈良県, 2.大和国
-,

Copyright© 神社巡遊録 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.