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伊射奈岐神社 (奈良県天理市柳本町)

社号伊射奈岐神社
読みいざなぎ
通称
旧呼称楊本天満宮 等
鎮座地奈良県天理市柳本町
旧国郡大和国式上郡柳本村
御祭神伊奘諾命、伊奘冉命
社格式内社、旧村社
例祭10月14日

 

伊射奈岐神社の概要

奈良県天理市柳本町に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかではありません。社伝によれば崇神天皇の御代に創建したと伝えられています。

当社は元々は現在地の東方500mほど、崇神天皇陵(行燈山古墳)の後円部の南東側、櫛山古墳前方部南側の地尊池西側の「ノゾキ」と呼ばれる小字にあったとされ、寛永十八年(1641年)に二代目柳本藩主が現在地に遷座したと言われています。

柳本藩主の織田氏は殊更に当社を殊更に崇敬し、柳本の総鎮守としてのみならず、柳本藩社として庇護しました。

当社は現在は御祭神として「伊奘諾命」「伊奘冉命」の二柱を祀っていますが、江戸時代以前は「楊本天満宮」と呼ばれ、「菅原道真公」と「法性房」(道真の仏学の師とされる天台宗の僧)が祀られる天神信仰の神社でした。

大正三年(1914年)刊行の地誌『大和志料』によれば、当社には古くて朽ちているものの衣冠束帯と僧形の二躯の神像が伝わっており、前者は道真公、後者は法性房と伝えられるとする一方、当社の神官は前者を伊射奈岐神、後者を伊射奈美神として社名も「伊射奈岐神社」に変更したが謂れは無いとしています。

当時の神官がそのように主張した根拠は不明ですが、式内社「伊射奈岐神社」は現在も一般に当社であるとされています。

江戸時代中期の地誌『大和志』は式内社「伊射奈岐神社」の所在は不明としつつも或いは柳本村の「三輪祠」だとしています。現存しない神社なので不詳ですが、柳本に式内社「伊射奈岐神社」があったとする何らかの伝承があったのでしょうか。

 

一方、『延喜式』神名帳を見ると、「イザナギ」と名乗る式内社は大和国に三社、摂津国に一社、伊勢国に一社、若狭国に一社、淡路国に一社、阿波国に一社の計八社があり、畿内とその周辺にまとまって鎮座しています。

イザナギ・イザナミの二神は記紀神話において「国産み」という極めて重大な役目を負っており、さらにイザナギはアマテラス、ツキヨミ、スサノオの「三貴子」の誕生に関わるなど、指折りの重要な神として描かれています。

しかしイザナギ・イザナミの二神は元は淡路島を中心とする海人の信仰したローカルな神で、これが神話に取り入れられたとする説があります。

元はそうした海人が海を離れ、大和国における陸の拠点の一つとして祀ったのが式内社「伊射奈岐神社」だったのかもしれません。

 

境内の様子

当社は柳本の集落の南東側に鎮座。入口は境内の西側にあり石段が設けられています。

伝承では寛永十八年(1641年)に当地へ遷座してきたとされていますが、当社境内は深い森に囲まれ古社の趣も感じられます。

 

手水舎は境内の外となる石段下の左側(北側)に建っています。手水鉢にはかつての呼称である「天滿宮」と右書きで刻まれています。

 

伊射奈岐神社 柳本

入口の石段上には鳥居が西向きに建っています。

 

鳥居をくぐった様子。石畳が社殿までまっすぐ伸びています。

 

伊射奈岐神社 柳本

伊射奈岐神社 柳本

石畳の先の社殿は西向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造で向拝の付いたもの。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製です。

 

拝殿後方の基壇上に神明鳥居と透塀が設けられ、その中に銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。

 

本社本殿の左側(北側)に玉垣に囲われて「厳島神社」「大山咋神社」「八坂神社」の三社の相殿社が西向きに鎮座しています。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

翻って本社本殿の右側(南側)には同様に玉垣に囲われて「春日神社」「若宮神社」「秋葉神社」の三社の相殿が西向きに鎮座しています。

社殿は同じく銅板葺の春日見世棚造。

 

南側の相殿のさらに右奥(南東側)に「稲荷神社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「宇迦之御魂命」「太田命」「大宮比賣命」。

石鳥居一基と多数の朱鳥居が並び、その先の石垣上に瑞垣に囲まれて銅板葺・一間社春日造の朱塗りの社殿が建っています。

石垣前に朱塗りの角材で組まれた変わった形の鳥居が建っているのが特徴的。

 

当社社殿の背後には柳本古墳群を構成する古墳の一つ、「大和天神山古墳」があります。

墳丘長113mの前方後円墳で三世紀末から四世紀頃の築造と推定されています。

国道169号の整備により東半分が削られているものの、調査により水銀朱の納められた木製容器や国指定重要文化財の銅鏡など多数の遺物が発掘されています。

 

道を戻り、本社拝殿前の左側(北側)に「建勲神社」が南向きに鎮座しています。

桟瓦葺・平入切妻造の拝殿と、その背後の石垣上に玉垣に囲まれて銅板葺・一間社流造の本殿で構成されています。境内社としてはかなり厚遇された設備です。

 

建勲神社の左側(西側)に境内社が南向きに鎮座。

掲げられている札には「琴平神社」とありましたが、桟瓦葺・妻入入母屋造のお堂のような建物の中には三間社流見世棚造と二宇の春日見世棚造の社殿が安置されており、複数の神社が祀られているようです。

 

当社には多数の灯籠が配置されており、その殆どに当社の旧称である「天満宮」と刻まれています。

 

当社の東方500mほど、崇神天皇陵(行燈山古墳)の後円部の南東側の景色。この辺りが当社の旧地という小字「ノゾキ」のようです。

古墳時代前期に築造された柳本古墳群の中心的な場所であり、ここからは遥か西に二上山などの山々を見渡すことができます。

 

タマヨリ姫
古墳の側にある神社なんだね!神社と関係あるのかな!?
江戸時代に遷ってきたから信仰上は関係無いと思うわ。でも旧地とされるところは柳本古墳群の中心的な場所だったみたいね。
トヨタマ姫

 

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