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十市御県坐神社 (奈良県橿原市十市町)

社号十市御縣坐神社
読みとおちのみあがたにます
通称
旧呼称十三社明神 等
鎮座地奈良県橿原市十市町
旧国郡大和国十市郡十市村
御祭神豊受大神
社格式内社、旧村社
例祭5月5日、10月15日

 

十市御縣坐神社の概要

奈良県橿原市十市町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、かつて大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「倭の六県」(高市県、葛木県、十市県、志貴県、山辺県、曽布県)の一つ「十市県」の守護神として祀られたものと考えられます。

これら「倭の六県」は『延喜式』祝詞に見え、蔬菜類を栽培し献上するための農園のような地だったことがわかります。

天平二年(730年)の『大和国正税帳』に当社が記載され、神戸に稲1068束とありそこそこ大きな経済基盤を持つ神社だったことが分かります。

 

御県の多くはそれらを管理したと思しき「県主」が知られていますが、十市県の県主は『新撰姓氏録』に登載されておらず詳らかでありません。

しかし『日本書紀』によれば孝安天皇の皇后や孝霊天皇の皇后は一書に曰く十市県主氏の娘であると記されており、「十市県主氏」が存在していたことを示しています。

室町時代の文書『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)によれば、十市県主氏は事代主命の子「鴨主命」を祖とする氏族で、また高市県は春日県の後身であることが記されています。

再び『日本書紀』を見れば綏靖天皇の皇后や安寧天皇の皇后は一書に曰く春日県主の娘であると記されており、『五郡神社記』の引く系図によればこうした春日県主が後に十市県主に改めたことを示しています。

ただ春日県はもっと北方にあり添県に吸収されたとする説も有力で、上記は信憑性のあるものではありません。

 

また『五郡神社記』によれば式内社「十市御縣坐神社」について、河辺郷十市村にあり、筆者の考案として「草神野雷命」なる神を祀るとしています。記紀に登場せず、いかなる神かは不明。

一方同書によれば式内社「十市御縣坐神社」とは別に「縣主神社」なる神社があり、「鴨主命」を祀り、これは「中原連」らの祖であるとしています。

中原氏は十市県主氏の後身であるという十市氏から出た氏族で、十市有象なる人物が天禄二年(971年)に十市宿禰から中原宿禰に改めたのを発祥としています。(後に朝臣へ改姓したが、『五郡神社記』の記すように姓が連だった記録は無い)

『五郡神社記』の記述に従えば「縣主神社」とは十市県主氏が祖を祀ったもので、一方の式内社「十市御縣坐神社」は十市県の守護神ということになりましょう。

ただ「縣主神社」の所在は現在は不明となっており、或いは式内社「十市御縣坐神社」へ合祀された可能性も考えられます。(逆に式内社「十市御縣坐神社」が「縣主神社」へ合祀された可能性も?)

他の「倭の六県」の守護神たる式内社は、「高市御縣神社」などその県主の祖を祀っている例も見られますが、本来はこのように御県の守護神と県主の祖神を別々に祀っていたのかもしれません。

 

当社は江戸時代には「十三社明神」と称していました。その当時には本来の社名は忘れられていたものの、当社が式内社「十市御縣坐神社」であることに異論はありません(ただし上述のように「縣主神社」だった可能性はある)。

現在の御祭神は「豊受大神」となっています。この神が祀られている経緯は不詳で、「十三社明神」と呼ばれていた頃からのものかもはっきりしません。

本来の御祭神とは考えにくいものの、蔬菜などの食物を供した農園の守護神として食物神を祀るのは理に適っているとも言えなくもないでしょう。

 

境内の様子

当社は十市町の集落の東方に鎮座しています。

境内は玉垣で囲われており、集落から東へ伸びる道の南側に入口があります。

 

十市御県坐神社

入口を進み左(東側)へ曲がると当社の鳥居が西向きに建っています。

扁額には当社の御祭神である「豊受大神」と刻まれています。

 

鳥居をくぐったところの上部に長い縄が掛けられ、境内の両端の木に結び付けられています。

これは「勧請縄」、つまり道切りの一種で、本来は集落の境界などで災厄や疫病などを防ぐために掛けられたものです。いつの頃か神社で行うようになったものでしょう。

奈良県から滋賀県にかけては勧請縄が非常に盛んに行われており、多種多彩な勧請縄が各地で見られます。

当社の勧請縄はかなり簡素なもので、縄に数本の束が垂らされているものとなっています。

 

鳥居をくぐって左側(北側)には手水舎が建っています。

 

十市御県坐神社

鳥居をくぐってまっすぐ進むと正面奥に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は本瓦葺の平入切妻造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。

拝殿前には玉垣で囲われた区画があります。どのような意味があるのかは不明ながら、これはこの地域(田原本町周辺)でよく見かける特有の形式となっています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

十市御県坐神社

十市御県坐神社

拝殿後方の基壇上に朱塗りの瑞垣と白壁の塀に囲まれて、檜皮葺・一間社春日造の本殿が建っています。

本殿も鮮やかな朱塗りとなっており、本殿前は中門を兼ねた朱鳥居が建っています。

 

境内社

本社拝殿の左側(北側)に境内社がまとまって南向きに鎮座しています。

手前側から紹介していきましょう。

 

この境内社群の最も手前側(西側)には「金毘羅大権現」と刻まれた岩石が安置され、注連縄が掛けられています。

 

金毘羅大権現の岩石の右側(東側)に「玉津島神社」が鎮座。御祭神は「衣通郎女命」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

玉津島神社の右側(東側)に「八坂神社」が鎮座。御祭神は「素戔嗚命」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

八坂神社の右側(東側)に「八幡神社」が鎮座。御祭神は「品陀和氣命」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

八幡神社の右側に「五社神社」が鎮座。御祭神は「大日靈女貴命」「春日大神」「廣幡八幡神」「熊野大神」「菊理日女命」。

こちらの社殿は他より一回り大きく、トタン葺の春日見世棚造で朱が施されています。

 

翻って、本社拝殿の右側(南側)に「四柱神社」が北西向きに鎮座。御祭神は「天之御中主神」「高御皇靈神」「神御皇靈神」「天照皇大神」。造化三神と皇祖神という錚々たる顔ぶれです。

社殿は銅板葺の一間社春日造。手前に朱鳥居が建っています。

 

境内その他

道を戻ります。

参道の途中、北側に遥拝所がありますが、真北を遥拝することになり、一体どこへ向けての遥拝所なのか全く不明です。

 

遥拝所の左側(西側)に歌碑があり、戦国武将の十市遠忠が詠んだ「かすみきて 天のかく山 明るより とをちの里に 春をしるかな」の歌が刻まれています。

案内板「歌碑に就いて」

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歌碑に就いて

歌碑に刻まれている(かすみきて 天のかく山明るより とをちの里に春をしるかな)の一種は『続群書類従』巻四百十七・十市遠忠百番自歌合に載っています

香久山の彼方に早やくも霞がたって明るく見える春が十市にもやって来たのだ
どうか今年も平和な春であってほしいものだ…

という意味で大きな希望を言外に詠みこんだ歌です

「とをちの里」を十市郡全域と受けとると歌のスケールは一層大きくなります 作者の十市遠忠は(一四九六-一五四五)武人として優れ書家としてまた学問も極め信仰心の厚い人でした

殊に歌道においては戦国武将中最高峰のひとりです

この歌は十市氏中興に尽力した英主にふさわしい光彩をはなった歌です

『群書類従』に歌集五巻七百余首がおさめられています

十市町

 

鳥居の手前左側(北側)、入口のすぐそばに玉垣で囲われた八角形の池があり、「鏡池」と呼ばれています。

 

タマヨリ姫
境内の上に注連縄みたいなのが掛かってる!珍しいね!
「勧請縄」ね。元々は集落の境界などに掛けられた「道切り」の一種だったのが、いつの頃か神社で掛けられるようになったものだと思うわ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「十市御縣坐神社」

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十市御縣坐神社

鎮座地

奈良縣橿原市十市町壱番地

祭神

豊受大神

由緒

御創建年代は不詳であるが 清和天皇貞観元年(皇記一五一九年 西暦八五九年)正月二十七日既に從五位上の神位を授けられており 高市 葛木 十市 志貴 山邉 曾布 と大和國六御縣神社の一座として朝廷の尊崇厚く醍醐天皇延喜の制には大社に列し 祈年新嘗月次の案上官幣に預かる 又 古この地方は朝廷の御料地でありその守護神として蔬菜の生育を祈願せられ庶民よりも農業の神として廣く信仰をあつめ後年俗に十三社明神と稱された。

祭日

例祭 五月五日
秋祭 十月十六日

 

地図

奈良県橿原市十市町

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