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長谷山口坐神社 (奈良県桜井市初瀬)

社号長谷山口坐神社
読みはせやまぐちにいます
通称
旧呼称手力雄神社 等
鎮座地奈良県桜井市初瀬
旧国郡大和国式上郡初瀬村
御祭神大山祇神、天手力男命、豊受大神
社格式内社、旧村社
例祭12月8日、9日

 

長谷山口坐神社の概要

奈良県桜井市初瀬に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社は他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと考えられます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

 

一方、当社は江戸時代以前は「手力雄神社」と呼ばれ、「手力雄神」を祀っていました。

社伝によれば、垂仁天皇の御代、倭姫命が御杖代として天照大神の鎮座するべき地を求めていたとき(いわゆる「元伊勢」伝承)、当地付近の「磯城厳橿之本」に天照大神を八年間祀り、その時に随神として手力雄神を、また北の山の中腹に豊秋津姫命を祀ったと伝えています。

「磯城厳橿之本」とは、天照大神の鎮座すべき地を探す役目を豊鋤入姫命から倭姫命に引き継がれて最初に天照大神が祀られた元伊勢ですが、『日本書紀』の一書にのみ登場し、『皇太神宮儀式帳』『倭姫命世記』といった元伊勢関係史料には記載がありません。

その一方で『倭姫命世記』には豊鋤入姫命のときに「伊豆加志本宮」にて八年間祀ったことが記されており、「磯城厳橿之本」はこれと同じであるとも考えられます。「伊豆加志本宮」は三輪山、与喜天満神社、長谷寺など当地付近が候補地として挙げられています。

しかし『日本書紀』の当該箇所や元伊勢関係史料に手力雄神は登場せず、付会と言うべきでしょう。

古くは鎌倉時代の『長谷寺縁起』に手力雄神が鎮まることが見え、『式内社調査報告』は平安末期の伊勢信仰と長谷寺の信仰が結びついたのではと指摘しています。

経緯は不明ながら、当地で「手力雄神」が祀られるようになり、当社が式内社であったならば本来の山の神としての信仰は後退し、新しい神が主祭神となっていったことが推測されます。

また式内社「長谷山口神社」は同地区の「與喜天満神社」であるとする説もあり、いずれにしても背後の「與喜山(天神山)」に水源地の守護神、樹木の守護神として祀られたことと考えられます。

與喜山は長谷寺の寺領として伐採が禁じられたため貴重な極相林が残されており国指定天然記念物に指定されています。

式内社「長谷山口神社」は材木の供給地でもあったため、古くは與喜山の樹木も伐り出されていたと思われますが、その後の寺社の情勢の変化により山の植生が保護されるようになったのでしょう。

手力雄神を祀るとされた当社にしても與喜天満神社にしても山の神としての信仰は薄くなっていたと思われるものの、與喜山が禁足地となったことから結果的にはこうした山々の守護神として山の神を内包していると言えるのかもしれません。

 

なお現在の当社の御祭神は「大山祇神」「天手力男命」「豊受大神」の三柱です。

上記のように長らく「天手力男命」を祀っていたものの、式内社「長谷山口神社」の本来の神はやはり「大山祇神」だったと考えられ、当社が式内社とされて以降に改めて大山祇神が祀られたのでしょう。「豊受大神」は明治四十二年(1909年)に近隣の豊受神社から合祀されたものです。

 

境内の様子

長谷山口坐神社

当社は「與喜山(天神山)」の南西に舌状に伸びた尾根の中腹に鎮座しています。この尾根の西方で大和川と吉隠川が合流しており、水流の要所となっています。

この合流地点のすぐ北側に当社の参道となる朱塗りの欄干が印象的な「神河橋」が架かっています。この辺りの川の淵は「神河浦」と呼ばれたようです。

 

橋を渡ってすぐ正面に当社の鳥居が北向きに建っており、境内への入口となっています。

 

鳥居をくぐって突き当りにある木の根元に「水神」と刻まれた石碑が安置されています。

 

水神の石碑のところで参道は左側(東側)へ曲がって再び石段が続き、さらにこの上段の方はジグザグに曲がっています。

 

長谷山口坐神社

長谷山口坐神社

石段を上ったところは狭い平らな空間となっており、ここに社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に軒唐破風の付いたもの。軒唐破風の部分は本瓦葺で、鯱や鬼瓦も設けられており、小さな建築ながらも厳かさを醸し出しています。

 

拝殿後方、石垣上に中門と透塀が設けられ、その中に銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。

 

本殿石垣前に配置されている狛犬。砂岩製で赤い涎掛けと注連縄が掛けられています。

 

手水舎は本殿の石垣の右側(南側)下に配置されています。動線から大きく外れており、手水舎の存在に気付かない参拝客も多いかもしれません。

なお蛇口にはホースが取り付けられており、手水として使われていなさそうです。

 

境内の隅には小規模ながら銅板葺・入母屋造の社務所が建てられています。

 

タマヨリ姫
山口神社って社名だけど手力雄神を祀ってきたんだね。手力雄神って力持ちの神様って印象だけど山の神様でもあったのかな?
多分、関係無いんじゃないかしら。経緯はわからないけれど、後から手力雄神を祀るようになって主祭神になったのだと思うわ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

長谷山口神社由緒記

+ 開く

当神社は長谷山の鎮の神として大古より大山祇の神を祭神としている。第十一代垂仁天皇の御代倭姫の命を御杖として、この地域の「磯城厳橿の本」に約八ヶ年天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に手力雄神、北の山の中腹に豊秋津姫の神をまつる二社を鎮座せられた。

長谷寺縁起やその他の古文書によると この地方は三神の里、川は神河、この附近の淵は神河浦と書かれている。第四十五代聖武天皇の天平二年(西暦七三〇年)の大和大税帳には、長谷山口の名が見られる延喜式内社である。近世になり明治四十二年 初瀬平田にあった豊受神社の豊受姫神を合祀されている。

当神社は由緒は深く五穀豊穣商売繁昌の神としてうやまはれ、国や家々の安泰と繁栄を祈願し氏子里人の守り神として、あまねく人々の敬い奉るところである。

案内板

長谷山口坐神社由緒記

+ 開く

当神社は長谷山の鎮の神として大古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、この地域の「磯城厳橿の本」に約八ヶ年天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に天手力雄神を、また北の山の中腹に豊秋津姫命を祀る二社を鎮座せられた。

長谷寺縁起や其の他の古文書によると、この地方は三神の里、初瀬川は神河表参道の朱塗の橋は神河橋と書かれている。長谷寺験記の冒頭には、長谷寺開山の時の手力雄神の霊現と功徳が述べられている。

聖武天皇の天平二年(西暦七百三十年)の大和大税帳には長谷山口の名が見え、当神社の古いことを物語っている、延喜式内社である。

清和天皇の御代、貞観元年(西暦八百六十年)九月八日に風雨祈願の奉幣使が当神社に参拝されている。

中世には天手力雄明神を敬う明神講が生まれ明神信仰は今につづいている。

当神社本殿の建築につき慶長十八年(西暦千六百十三年)の棟札が残っている。

近世になり、明治四十二年 初瀬平田にあった豊受神社の豊受姫神(保食の神)を合祀している。当神社の鎮座は遠く古代にさかのぼり 由緒は極めて深く、あまねく人々の安泰繁栄と五穀豊穣の祈願所として広く知られまた氏子里人の守護神として崇敬されている。

本殿東の山上には磐境がありここより東約四百米の南面山麓に横穴式古墳が残っている。

 

地図

奈良県桜井市初瀬

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