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当麻山口神社 (奈良県葛城市當麻)

社号 當麻山口神社
読み たいまやまぐち
通称
旧呼称 新宮、熊野権現社 等
鎮座地 奈良県葛城市當麻
旧国郡 大和国葛下郡當麻村
御祭神 大山祇命、天津彦火瓊瓊杵命、木花佐久夜比売命
社格 式内社、旧郷社
例祭 9月22日

 

當麻山口神社の概要

奈良県葛城市當麻に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○(坐)山口神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○(坐)山口神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

また当社は含まれていませんが、『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

当社は二上山・雌岳の東麓に立地しており、この山の水源や樹木を守護する神であったと共に、非常に古くからあったと思われる近隣の「當麻寺」と合わせて当地における聖域として信仰されたことが窺えます。

現在の御祭神は「大山祇命」「天津彦火瓊瓊杵命」「木花佐久夜比売命」の三柱です。他の「○○山口(坐)神社」と同様、本来は大山祇命のみを祀っていたと思われ、後にいつの頃からか天津彦火瓊瓊杵命と木花佐久夜比売命の夫婦二柱が併せ祀られたのでしょう。この二柱が祀られた経緯についてははっきりしません。

一方で当社は江戸時代以前には「新宮」と呼ばれると共に「熊野権現社」とも呼ばれていました。このため一時期は熊野神を祀っていたと思われるものの、現在はそのような形跡はありません。

 

當麻津比古(たいまつひこ)神社

當麻山口神社の境内社として「當麻津比古神社」が鎮座しています。御祭神は「麻呂古皇子」「当麻津姫」。

式内社「當麻津比古神社」は当社に比定されています。

当社は江戸時代には當麻寺の参道にあったと言われており、いつの頃からか當麻山口神社の境内に遷座したようです。その時期や経緯は不明。

 

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、当地を拠点とした「当麻氏」が祖を祀ったものと考えられています。

『新撰姓氏録』には右京皇別に「用明皇子、麿古王の後」とある「当麻真人」が登載されています。

この当麻氏の祖であり、当社の御祭神である「麻呂古皇子」は「当麻皇子」とも称し、用明天皇の第三皇子で、聖徳太子の異母弟にあたります。

伝承上では當麻寺の開基も麻呂古皇子であると伝えられており、史実かは不明ながら当地を拠点に活躍したことが考えられます。

 

一方、物部系の史書である『先代旧事本紀』にはニギハヤヒが降臨する際に随伴した二十五部の天物部の中に「当麻物部」が見え、当地に物部氏の一族が居住していたことが考えられます。

一説にはこの「当麻物部」が奉斎したのが当社であったともされ、そうであるならば本来の御祭神はニギハヤヒであったと思われます。

しかし当地は聖徳太子の異母弟たる麻呂古皇子が居住し、伝承上とはいえ一大仏教寺院である當麻寺が創建されたともされており、廃仏を主張していた物部氏は追われていったことが推察されます。

そのであるならば、神社という概念が成立する以前から当地における物部氏の影響が衰えていたと思われ、当社が直ちに物部氏に結びつくとは考えにくいかもしれません。

 

また一方で『日本書紀』によれば垂仁天皇の御代に大和国當麻邑において「当麻蹴速」なる人物がおり野見宿禰と角力の勝負をしたことが見えています。

この勝負により蹴速は死亡し野見宿禰の勝利となり、蹴速の領地は没収されて野見宿禰のものとなったと記されています。

この記事から遥かに古い時代に有力な人物が當麻邑、すなわち当地付近を支配したことが窺われます。

この人々が当社の信仰に関わっていたことも考えられますが、記事には蹴速の死亡によりその地が野見宿禰のものとなったとあり、やはり当社が直ちに彼らと結びつくとは考えにくそうです。

しかしながら社名から「當麻津比古」なる神を祀っていたことは確実であり、その名からして当地における豪族の祖を祀ったものと見て良いでしょう。

その豪族がいずれの氏族であるかは諸説あるものの、現状では麻呂古皇子の子孫である当麻氏と見ておくのが穏当な見解と思われます。

 

境内の様子

当社は二上山・雌岳の東麓に鎮座しています。

当社の境内の東方400mほどの地に一の鳥居が東向きに建っています。

 

当麻山口神社

一の鳥居から西へ進んでいくと鬱蒼とした森が見え、石段を上ったところに二の鳥居が東向きに建っています。二の鳥居は朱塗りの両部鳥居。

 

鳥居をくぐると境内は鬱蒼とした社叢に覆われています。

参道を進むとすぐに参道が左右二手に分かれています。どちらを通っても参拝は可能ですが、左側に境内社が鎮座しているためこの記事では左側の参道を紹介します。

 

左側の参道の様子。山裾だけあって立体的な境内となっており、随所に石段が設けられています。

 

参道途中、右側(北側)のやや小高くなったところに境内社の「春日若宮神社」が鎮座しています。御祭神は「天忍雲根命」。

社殿は銅板葺の一間社春日造。

 

石段を上り、右側の参道と合流すると辺り一面は広い空間となっています。

この空間の奥の石段上に社殿が東向きに並んでいます。

 

社殿前の左側(南側)にかなり大きな手水鉢が置かれています。

 

当麻山口神社

当麻山口神社

境内奥の石段上に建ち並ぶ社殿。

拝殿は桟瓦葺・平入切妻造。割拝殿に近い構造ですが通路があるわけでなく床が設けられています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

拝殿後方に塀に囲まれて本殿が建っています。

見えにくいですが、銅板葺の三間社流造で千鳥破風と軒唐破風の付いたもののようです。

また塀のため完全に見えませんが、この本殿の傍らに境内社の「當麻津比古神社」が鎮座しているようです。

 

道を戻ります。

当社に属するものではありませんが、二の鳥居の右側(北側)に「傘堂」と呼ばれる極めて珍しい建築があります。

本瓦葺・宝形造の屋根が中央の一本の太い柱によって支えられています。

当地を領していた郡山藩の本多政勝の位牌堂として延宝二年(1674年)に建てられたもので、奈良県指定有形民俗文化財となっています。

案内板「傘堂」

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奈良県指定有形民俗文化財

傘堂

梵鐘一口
位牌一基
石碑二基

所在地

葛城市大字染野字新山七二六番地

所有者

葛城市染野・今在家・新在家三大字共有

指定年月日

昭和六十年三月十五日

真柱一本で宝形造木瓦葺の屋根を支える独特の姿から傘堂と呼ばれる。部材は総欅作りで、真柱東側上部には、阿弥陀仏を納置し、北側軒下には梵鐘が吊り下げられていた。基壇中央に礎石を二重に据え、柱穴を掘り、約六十センチメートルの深さで間柱を挿し込み、足元の四隅の添板で支えている。

この建物は、江戸時代前期に当地を領していた郡山藩主本多政勝(一六一四~一六七一)の没後、延宝二年(一六七四)にその「影堂」「位牌堂」として家臣の郡奉行吉弘統家らにより建てられたことが、梵鐘(明円寺保管)や露盤の刻銘、棟札から判明する。影堂はその後、吉弘統家らが開さくした大池により益を蒙った三大字の人々によって守り続けられ、現在も九月初旬には大池(傘堂)の施餓鬼が三大字によって営まれている。またいつの頃からか、真柱周囲を巡って安楽往生を願う風が生じ、五月十四日の當麻レンゾには多くの人々がこの堂を訪れる。

この傘堂は、民俗的に価値が高いばかりでなく、建造物としても、構造・手法等が優れ、他に類例が少なく、珍しい遺構である。

昭和六十三年三月

奈良県教育委員会

 

当社付近から二上山方面を見た様子。

当社は二上山への登山口にもあたり、多くの登山者がここから山頂を目指します。まさに「山口」に相応しい立地です。

 

タマヨリ姫
なんか入口に変な建物があるね!一本の柱で立っててまるで傘みたい!
「傘堂」ね。当社と共に付近の人々が守り伝えているのよ。似たような例では天理市柳本町の「五智堂」もあるわ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「式内大社 當麻山口神社」

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式内大社 當麻山口神社

(鎮座地)奈良県北葛城郡當麻町當麻一〇八一番地

一、御祭神

本殿

天津彦々火瓊瓊杵命(あまつひこひこほほにぎのみこと)
木花開耶比売命(このはなさくやひめのみこと)
大山祇命(おおやまづみのみこと)

摂社

當麻都比古神社(たいまつひこじんじゃ)本殿の左右に鎮座
麻呂子皇子(まろこのおうじ)
當麻津姫(たいまつひめ)

末社

春日若宮神社(かすがわかみやじんじゃ)境内に鎮座
天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)

一、御由緒

住古より近郷十六ヵ村(當麻、大橋、西中、勝根、今在家、染野、市場、岡崎、大中、有井、神楽、築山、大谷、池田、野口、鎌田)の郷社鎮守産土大神として広く崇敬、信仰されてきた旧指定郷社です。延喜式神明帳(九〇一年)に「人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(八五三年)夏四月、冬十一月これを祭る」と当時すでに式内大社の官社であった事が記されています。

また、三大実録には清和天皇の貞観元年正月二十七日(八五九年)に当神社に正五位を贈られ、勅使が参向して幣帛を奉納とあり、神社縁起の上からもまことに古い歴史を持つ由緒深いお社です。

摂社當麻都津比古神社の祭神麻呂子皇子は用命天皇の皇子で聖徳太子の異母弟にあたり、當麻氏の先祖とされています。當麻寺を創建したこの地の豪族當麻氏の氏神として男女二神をお祀りしております。延喜式神明帳に式内小社と記載されています。

一、御神徳

五穀豊穣
国家安泰
家内安全
開運
長寿
縁結び
夫婦和合
子育て
厄除け

一、年中行事

祈年祭 御田植祭り(春の例祭) 四月二十三日
宵宮祭(秋の例祭) 九月二十二日
新嘗祭(新穀感謝祭) 十二月二十三日
歳旦祭 一月元日
月次祭 毎月一日

 

地図

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