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宇太水分神社 (奈良県宇陀市榛原下井足)

社号 宇太水分神社
読み うだのみくまり
通称
旧呼称
鎮座地 奈良県宇陀市榛原下井足
旧国郡 大和国宇陀郡下井足村
御祭神 天之水分神、国之水分神、天児屋根命、品陀和気命
社格 式内社、旧県社
例祭 10月21日

 

宇太水分神社の概要

奈良県宇陀市榛原下井足に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列し、古くから有力な神社だったようです。

古市場地区の「宇太水分神社」、上芳野地区の「惣社水分神社」と共に式内社「宇太水分神社」の論社となっています。

当社の創建・由緒は不明ですが、『延喜式』神名帳では「葛木水分神社」(御所市関屋に鎮座)、「吉野水分神社」(論社は吉野町吉野山に鎮座)、「都祁水分神社」(論社は奈良市都祁友田町に鎮座)と共に大和国の四社ある水分神社の一つとなっています。

「水分(みくまり)」とは「水配り」の意で、河川や水路の流水を分配して土地を潤し、豊かな土壌を維持する灌漑の神として信仰されています。

特に大和国の水分四社は山口神社十四社と共に朝廷により国家的に祭祀されたものと思われ、大和国内の水流の安寧、そして豊かな実りを祈願したものと考えられます。

『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座にも大和国の水分四社が含まれ、水分神は降雨を司る神としても信仰されたようです。

 

当社は淀川水系の支流・宇陀川に芳野川が合流する地に鎮座しています。これらの川を水源として宇陀郡を灌漑し開発したことが推測され、その水流を司る神として祀られたのが当社だったのでしょう。

芳野川に沿って上流側から上芳野地区に「惣社水分神社」が、古市場地区に「宇太水分神社」が、下井足地区に当社が鎮座している形になっており、上述のようにこの三社は式内社「宇太水分神社」の論社となっています。

しかしそれぞれ「上社」「中社」「下社」とも呼ばれており、上芳野の惣社水分神社の神輿が秋祭りにおいて古市場の宇太水分神社まで渡御があり、さらにかつては下井足の当社まで渡御があったとの記録もあることから、三社は強い関係性を持っていることが考えられ、三社で「宇太水分神社」であるとも言えなくもないでしょう。

このことから旧・宇陀郡の水分神の信仰が芳野川と深く関わっていたことが推測されます。

ただ、『延喜式』神名帳には特に三座であるとは記されておらず、本来は三社の内のいずれかだったはずです。

 

上述のように当社は芳野川が宇陀川と合流する地に立地しており、旧・宇陀郡の水流において極めて重要な地と言えます。

芳野川の右岸側にある舟形山と呼ばれる丘の上に鎮座し、古社の趣が感じられます。

また水流だけでなく、伊勢本街道と青越道の分岐する要衝であり宿場町として栄えた萩原地区にも隣接しており、陸上交通においても要所でありました。

式内社「宇太水分神社」がいずれだったかは諸説あり、かつての旧・宇陀郡の中心は古市場だったともされるものの、当地もまた水陸両面の要地であり水分神を祀るに相応しいと言えるでしょう。

 

境内の様子

当社は芳野川が宇陀川へ合流する地の右岸側、舟形山と呼ばれる丘の上に鎮座しています。その名の通り舟の形に似た南北に細長い地形の丘となっています。

この丘の南側に境内入口があり、一の鳥居が南西向きに建っています。

 

宇太水分神社 下井足

一の鳥居から参道を進むと鬱蒼とした森の中へ入り、そこに二の鳥居が南向きに建っています。

二の鳥居は柱の細い木製の神明鳥居。森の中へ続く参道は砂利が敷き詰められています。

 

参道途中の右側(東側)に手水舎が建っています。手水鉢は丸い形で、大きく「水分宮」と刻まれています。

 

参道を進み鬱蒼とした森を抜けると一気に明るく広い空間へ出ます。

この先はちょっとした段差が設けられており、奥側の社殿等の建つ空間はやや土地が高くなっています。

 

宇太水分神社 下井足

宇太水分神社 下井足

正面奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺で、神明造に似た真っすぐな屋根の平入切妻造。床は張られておらず土間となっています。

 

拝殿後方、塀の奥に銅板葺の神明造の本殿が建っています。

千木は内削ぎで、鰹木は八本載せています。古い記録には当社の神は女体であるとするものもあり、それが反映されているのでしょう。

なお現在は古市場の宇太水分神社は男神を、上芳野の惣社水分神社は女神を祀ると言われています。

また明治の初めごろまでは春日造だったようです。

 

なお、2015年参拝時の本殿は檜皮葺でした。

上の銅板葺の写真は2017年参拝時のものであり、この二年の間に葺き替えられたようです。塀の板も真新しくなっています。

 

本社拝殿の左側(西側)には「石神神社」が南向きに鎮座しています。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

石神神社の社殿には小さな狛犬の置物が多数置かれていました。

 

本社本殿の右側(東側)に「稲荷神社」が南向きに鎮座。こちらは稲荷神社らしく狐の置物が多数置かれています。

社殿は銅板葺の春日見世棚造で朱塗りとなっています。

 

本社拝殿前の右側(東側)には柵で囲われて複数の樹木が聳え、注連縄が渡されています。御神木か神籬でしょうか?

 

本社拝殿前の左側(西側)には神庫などの建物が建っています。

当社社殿が全体的に真新しいのに対し、これらの建物はやや古そうです。

 

境内西側にも入口があり、ここからの参道は一気に石段を駆け上がって社殿前の広い空間へ出ます。

鳥居などはなく社号標が建っているのみですが、榛原駅から参拝する場合はこちらを利用する人が多いでしょう。

 

西側の参道の途中に桧の切り株があります。

樹齢約300年の巨樹だったようですが、1998年の台風7号の被害を受け伐採し、本殿前の中門の用材としたようです。

案内板「伐採記」

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伐採記

桧樹令約三〇〇年

座周囲 〃三米

樹高 〃十米

一九九八年九月二十二日台風七号の被害を受中途折損し社務所の屋根を直撃する。

よってやむなく伐採し本殿中門の造営用材に使用する。

一九九九年七月
宇太水分神社

 

タマヨリ姫
川に沿って水分神社が三つあるんだ!どれも互いに関係あるのかな?
上流側から上社、中社、下社とも呼ばれているわ。古くは上社から下流側のここまで神輿があったとも言われているから、関係は深いんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「宇太水分神社略記」

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宇太水分神社略記

主祭神

天水分神(あめのみくまりのかみ)
国水分神(くにのみくまりのかみ)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
品陀別命(ほんだわけのみこと)

末社

石神神社・稲荷神社・金刀比羅神社

奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。

当神社の創祀は、太古の国史「三代実録」(奈良時代-平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年」(八五九年)九月八日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、その由来は実に古く、水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る。

延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされていたが、応保年間(一一六〇年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。

明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建物はすべて古い形式(春日造)であったが、明治十一年、神社形式令により県社の指定を受け現在の神明造りになっている。

平成九年五月

 

地図

奈良県宇陀市榛原下井足

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