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稚桜神社 (奈良県桜井市池之内)

社号稚櫻神社
読みわかさくら / わかざくら / ちざくら
通称
旧呼称天満宮 等
鎮座地奈良県桜井市池之内
旧国郡大和国十市郡池之内村
御祭神出雲色男命、去来穂別命、気息長足姫命
社格式内社
例祭10月第4日曜日

 

稚櫻神社の概要

奈良県桜井市池之内に鎮座する式内社です。谷地区に鎮座する「若櫻神社」とともに式内社「若櫻神社」の論社となっています。

当社の創建は次の『日本書紀』履中天皇三年十一月六日の条に関わっています。

『日本書紀』(大意)

天皇が磐余市磯池で船を浮かべて遊宴していたとき、「膳臣余磯(かしわでのおみあれし)」という人物が酒を献じたが、このときに盃に季節外れの桜の花びらが落ちた。天皇はこれを怪しみ、「物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)」という人物を召してこの花がどこにあるかを調べるよう命じた。長真胆が探していたところ、「掖上室山」というところで発見し、これを献じた。天皇は喜んで、その宮の名を「磐余稚桜宮」とし、また長真胆連の本姓を「稚桜部造」と改め、膳臣余磯の名を「稚桜部臣」とした。

この故事に因み、「物部(稚桜部)長真胆連」もしくは「膳臣(稚桜部)余磯」のいずれかの氏族が祖神を祀ったのが式内社「若櫻神社」だったと考えられます。

関係する氏族として『新撰姓氏録』には次の氏族が登載されています。

  1. 右京皇別「若桜部朝臣」(阿倍朝臣同氏 / 大彦命の孫、伊波我牟都加利命の後)
  2. 右京神別「若桜部造」(神饒速日命の三世孫、出雲色男命の後)
  3. 和泉国神別「若桜部造」(饒速日命の七世孫、止智尼大連の後)

この内、1.が膳臣余磯の子孫の阿倍系氏族で、2.と3.が物部長真胆連の子孫の物部系氏族となります。(以降、当記事では前者を「阿倍系若桜部氏」、後者を「物部系若桜部氏」と表記)いずれも大和国には登載されておらず、恐らく漏れているのでしょう。

当社の御祭神は「出雲色男命」「去来穂別命(履中天皇)」「気息長足姫命(神功皇后)」の三柱であり、この中で「出雲色男命」は物部系若桜部氏の祖神です。当社は物部系若桜部氏の奉斎した神社とされています。

一方でもう一つの論社である谷地区の「若櫻神社」は御祭神の「伊波我加利命」がいかなる神(人物)であるかははっきりしないものの阿倍系若桜部氏の祖とされ、彼らの奉斎した神社とされています。

このように式内社「若櫻神社」の論社二社は由緒は同じ故事に基づくものの別系統の氏族を祀っている神社となっています。

 

また、上記の故事に登場する「磐余市磯池」は当社付近の池之内地区・橿原市東池尻町辺りあったとする説が有力で、平成二十三年(2011年)には実際に橿原市東池尻町から古代の池の堤を思わせる盛り土が発見されています。

これに対して谷地区の「若櫻神社」の西方約200mほどのところに鎮座する「石寸山口神社」の辺りであるとする説もあり、未だ確定はしていません。

一方、『延喜式』神名帳には「若櫻神社」は城上郡(式上郡)に記載されています。論社二社はいずれも江戸時代以前は十市郡に属していましたが、谷地区の「若櫻神社」の辺りは平安時代後期頃に境界が変更されたとも言われています。

しかし当地は城上郡(式上郡)とするにはあまりに西へ寄りすぎており、十市郡の式内社「石寸山口神社」の論社二社(谷地区、高田地区にそれぞれ鎮座)よりも西にあるため、当社が式内社であるとするのは無理があると言わざるを得ません。

しかしながら上記のように未確定ながらも当地は「磐余市磯池」のあった可能性が高く、もしそうならば例の『日本書紀』の故事ゆかりの地の一つとなります。履中天皇の皇居、磐余稚櫻宮も一般には谷地区の「若櫻神社」の地に比定されていますが、当地にあったとする説もあります。

また例の故事に関係する若桜部氏は二系統あるため、阿倍系若桜部氏の奉斎した式内社「若櫻神社」とは別に物部系若桜部氏が当地に居住した可能性も考えられなくもないかもしれません。

式内社である可能性は薄いとしても、当社が「稚櫻神社」と名乗るだけの理由は相応にあると言えましょう。

 

なお、当社は江戸時代には「天満宮」と称し、菅原道真公を祀る天神信仰の神社だったようです。現在は本社には菅原道真公は祀られていませんが、本殿に隣接して「天満神社」の社殿があり、恐らくこちらに継承されているのでしょう。

 

境内の様子

当社は池之内地区の集落内にある小さな丘の上に鎮座しています。この丘は平成十年(1998年)の台風7号の影響で木々が倒れ一時は禿山となっていたようですが、現在は早くも樹勢が回復しています。

入口は丘の西麓にあり、北向きの鳥居から石段が伸びています。

手水舎は鳥居の手前左側(東側)にあります。

 

当社には境内社に加え多数の石碑が建っています。便宜上、参道上にあるものは目についた順に紹介していいきます。

まず鳥居をくぐって石段を上った突き当りには「愛宕山大権現」と刻まれた石碑が建っています。

 

参道は突き当りで左(東側)へ曲がり再び石段が伸びています。

その上には妻入入母屋造と平入切妻造を組み合わせた建物がありますが、これが何なのかは不明。境内社なのか神庫なのか社務所・詰所の類なのか神饌所なのか、いずれであってもおかしくない建物です。

 

さらに参道を進むと「不動明王」と刻まれた石碑があります。

 

参道上には石碑だけでなく祠も建っています。

さらに東方へ進むと参道沿いに「稲荷社」が南向きに鎮座。社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

参道の突き当りに西向きに建っている境内社。多くの境内社には社名を示す札があるものの、この神社にはそれが無いため社名は不明。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

突き当りを左(北側)へ曲がって若干の石段を上ると正面に「八坂神社」が南向きに鎮座しています。御祭神は「素戔嗚命(牛頭天王)」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

さらに参道は右へ、そして左へと複雑に曲がりながら進んでいきます。

この石段が最後で、この上がいよいよ社殿の建つ空間となります。

 

最後の石段の上は平らな広い空間となっており、正面奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺・平入切妻造の割拝殿。ただし扉が閉じられており通路を通行することはできません。

また、通路上部には何故か兎の彫刻が施されています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製の古めかしいもの。

 

拝殿後方には石垣上に塀に囲まれて銅板葺・一間社流造の本殿が建っています。

見えにくいですが本社本殿の左右それぞれに境内社があり、左側(西側)に「高麗神社」が。右側(東側)に「天満神社」がそれぞれ南向きに鎮座しています。

左右の境内社はいずれも銅板葺の一間社春日造。

 

本社拝殿の右側(東側)に「厳島神社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「市杵島姫命(弁財天)」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

 

本社本殿の右側(東側)に、「金毘羅大権現」と刻まれた石碑、「富士大権現」と刻まれた石碑、「天照皇太神宮 八幡大菩薩 春日大神宮」と刻まれた石碑がそれぞれ建っています。

畿内において富士山信仰の「富士大権現」が祀られているのはかなり珍しい例でしょう。

 

タマヨリ姫
漢字は違うけど「わかざくら」って名前の神社は二つあるんだ!
そうね。でもこちらは郡境の問題で式内社としては有力じゃないみたいよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板

神社名「稚櫻」の由緒

 

地図

奈良県桜井市池之内

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