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若桜神社 (奈良県桜井市谷)

社号若櫻神社
読みわかざくら
通称
旧呼称白山権現 等
鎮座地奈良県桜井市谷
旧国郡大和国十市郡谷村
御祭神伊波我加利命
社格式内社
例祭10月5日

 

若櫻神社の概要

奈良県桜井市谷に鎮座する神社です。池之内地区に鎮座する「稚櫻神社」と共に式内社「若櫻神社」の論社となっています。

『延喜式』神名帳には「若櫻神社」は城上郡(式上郡)に記載されている一方で、当地は江戸時代以前は十市郡に属していました。平安時代後期頃に境界が変更されたとも言われています。

また後述のように式内社の「高屋安倍神社」が境内社として鎮座しています。

 

当社の創建は次の『日本書紀』履中天皇三年十一月六日の条に関わっています。

『日本書紀』(大意)

天皇が磐余市磯池で船を浮かべて遊宴していたとき、「膳臣余磯(かしわでのおみあれし)」という人物が酒を献じたが、このときに盃に季節外れの桜の花びらが落ちた。天皇はこれを怪しみ、「物部長真胆連(もののべのながまいのむらじ)」という人物を召してこの花がどこにあるかを調べるよう命じた。長真胆が探していたところ、「掖上室山」というところで発見し、これを献じた。天皇は喜んで、その宮の名を「磐余稚桜宮」とし、また長真胆連の本姓を「稚桜部造」と改め、膳臣余磯の名を「稚桜部臣」とした。

この故事に因み、「物部(稚桜部)長真胆連」もしくは「膳臣(稚桜部)余磯」のいずれかの氏族が祖神を祀ったのが式内社「若櫻神社」だったと考えられます。

関係する氏族として『新撰姓氏録』には次の氏族が登載されています。

  1. 右京皇別「若桜部朝臣」(阿倍朝臣同氏 / 大彦命の孫、伊波我牟都加利命の後)
  2. 右京神別「若桜部造」(神饒速日命の三世孫、出雲色男命の後)
  3. 和泉国神別「若桜部造」(饒速日命の七世孫、止智尼大連の後)

この内、1.が膳臣余磯の子孫の阿倍系氏族で、2.と3.が物部長真胆連の子孫の物部系氏族となります。(以降、当記事では前者を「阿倍系若桜部氏」、後者を「物部系若桜部氏」と表記)いずれも大和国には登載されておらず、恐らく漏れているのでしょう。

当社の御祭神「伊波我加利命」は阿倍系若桜部氏の祖の伊波我牟都加利命(磐鹿六鴈)のことかとも思える一方、『奈良県史』には伊波俄牟都加利命の後裔であるとあり、別人としています。ただ、とすれば何故に一般に阿倍系氏族の祖とされる伊波我牟都加利命(磐鹿六鴈)でなく、わざわざ史料に登場しない人物を祭神にしたのか疑問です。

いずれにしても当社は阿倍系若桜部氏が奉斎した神社とされています。

一方、もう一つの論社である池之内地区の「稚櫻神社」は御祭神を「出雲色男命」としており、物部系若桜部氏が奉斎した神社とされています。

このように式内社「若櫻神社」の論社二社は由緒は同じ故事に基づくものの別系統の氏族を祀っている神社となっています。

当社の南方にはかつて阿倍氏の奉斎した「高屋安倍神社」が鎮座しており(現在は当社境内に遷座。後述)、また南西に隣接する阿部地区はその地名もさながら、阿倍氏の氏寺として創建された華厳宗の寺院「安倍文殊院」があり、当地一帯は阿倍系氏族の一大本拠地であったことがわかります。

 

この一方で上記の故事に登場する「磐余市磯池」は池之内地区・橿原市東池尻町辺りあったとする説が有力で、平成二十三年(2011年)には実際に橿原市東池尻町から古代の池の堤を思わせる盛り土が発見されています。

これに対して当社の西方約200mほどのところに鎮座する「石寸山口神社」の辺りであるとする説もあり、未だ確定はしていません。

磐余市磯池の所在地としては池之内地区の方が有力ですが、池之内地区が城上郡(式上郡)だったとは考えにくく、郡域を見れば式内社としては当社の方が妥当だと言えそうです。実際、『大和志料』はじめ多くの地誌では当社を式内社としています。

 

なお、当社は江戸時代以前は「白山権現」と呼ばれ、白山信仰の神社とされていたようです。

 

高屋安倍神社

若櫻神社の本殿に隣接して鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは非常に有力な神社だったようです。

御祭神は「大彦命」「屋主彦太思心命」「産屋主思命」の三柱。

当地を本貫とする一大氏族「阿倍氏」が祖を祀ったのが当社だと考えられます。上述のように隣接して「阿部」の地名、そして阿倍氏の氏寺である「安倍文殊院」があり、さらに若櫻神社もまた阿倍氏の一族が奉斎したことから、当地一帯が阿倍氏の一大本拠地だったことが今でも窺えます。

阿倍氏は孝元天皇の第一皇子「大彦命」を祖とする皇別氏族で、藤原氏の台頭までは政治の中枢を担う非常に有力な氏族でした。平安時代以降は低迷したものの、「阿倍」から「安倍」へと改め、陰陽師として著名な安倍晴明を輩出しています。

 

当社は元々は現在地の南方400mほどの「松本山」に鎮座していたと伝えられています。具体的な場所は不明ながら、現在の桜井公園や桜井小学校のある丘に鎮座していたことが考えられます。

江戸時代中期頃に大雨に伴う山崩れにより社殿が破壊されたため若櫻神社に遷座したと伝えられています。享保十九年(1734年)に刊行された地誌『大和志』には既に遷座していたことが記されており、当時は「高屋明神」とも呼ばれていたとあります。

 

御祭神について、「大彦命」は上述のように阿倍氏の祖ですが、「屋主彦太思心命」「産屋主思命」の二柱については史料に登場せず不明です。大彦命の子孫なのでしょうか。

似たような名の「屋主忍男武雄心命」という人物はいますが、大彦命の弟、彦太忍信命の子であり、大彦命から見れば甥にあたる人物です。 数多くの氏族の祖であり伝説的な人物である武内宿禰の父にあたる人物ですが、阿倍氏とは直接的に繋がりません。

現在の御祭神が当初からのものかは不明ながら、『延喜式』神名帳には三座とあるため、大彦命をはじめとする阿倍氏関係の三柱が祀られたのでしょう。

 

境内の様子

若桜神社

当社は谷地区のほぼ中心に位置し、ちょっとした丘陵(松本山?)の北端に立地しています。

入口は丘の東麓にあり、東向きの鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐった様子。西方の丘の上まで石段が伸びており、参道は鬱蒼とした社叢に覆われています。

 

鳥居をくぐってすぐ右側(北側)に玉垣で囲われた井戸があり、傍らの石碑には「若桜の井戸復元記念」と刻まれています。

当社近隣に「櫻の井」と呼ばれる井戸があります(後述)が、それとはまた別のよく知られた井戸だったのでしょうか。詳細不明。

 

石段途中の踊り場の左側(南側)に手水舎が建っています。

 

石段の上はやや広い平らな空間となっており、右奥(北西側)に社殿が南向きに建っています。

 

若桜神社

若桜神社

拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製でやや古めかしいもの。

 

拝殿後方に本社および「高屋安倍神社」の二宇の本殿が建っていますが、高い塀に囲われている上、木々も鬱蒼としているため全く見ることができません。

手持ちの資料によれば、東殿が本社本殿、西殿が「高屋安倍神社」の本殿となっており、いずれも銅板葺の一間社春日造で、覆屋に納められて建っているようです。

 

本社社殿の右側(東側)に玉垣に囲まれて「祓戸□(殿?)」と刻まれた石碑が建っています。

奈良県の大規模な神社では参道上に祓戸神社が鎮座し、本社参拝前に参拝することで穢れを祓い身を清める風習が見られ、当社でもそれがこの石碑で行われているのかもしれません。

 

また石段上のすぐ左側(南側)には同様に玉垣に囲まれて「金毘羅大権現」と刻まれた石碑が建っています。

 

当社周辺の様子

当社のすぐ北側の道を少し進んだところに「櫻の井」と呼ばれる井戸があります。古い井戸のようで、履中天皇が愛でた清水だと伝えられています。

当地の市名「桜井」はこの井戸に因んでいます。ただし本来の桜井(旧・十市郡桜井村)は谷地区の北東に隣接した地区(現在の桜井地区)です。

また履中天皇の皇居「磐余稚櫻宮」は当地付近であったとも伝えられています。

石碑

「櫻の井」

 

谷地区の北側の入口(谷東交差点のすぐ南側)には「勧請縄」が掛けられています。

勧請縄とは道切りの一種で、集落の境界などで災厄や疫病などを防ぐために掛けられたもの。現在では神社で行われるようになった例も多いですが、谷地区では今でも集落の境界で行っています。

奈良県から滋賀県にかけては勧請縄が非常に盛んに行われており、多種多彩な勧請縄が各地で見られます。

当地の勧請縄は比較的簡素なもので、左側の樹木と右側の支柱に縄が掛けられています。恐らく元々は右側にも樹木が聳え、そこに掛けられていたのでしょう。

 

縄の中央には三本の小さな縄が垂らされ、そこに三束の木の枝(榊か?)が横に刺さっているのが特徴。

また縄を括りつけている左右の木の幹・支柱には、藁苞と紙垂付きの竹が括りつけられており、これも大きな特徴となっています。

 

タマ姫
名前の通り桜に関係のある神社なんだ!やっぱり日本人は昔から桜が好きだったんだね。
日本人が殊更に桜を愛でるようになったのは一般に平安時代以降だけれど、『日本書紀』の故事にもあるように昔から印象深い花だったんじゃないかしら。
トヨ姫

 

地図

奈良県桜井市谷

 

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