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石寸山口神社 (奈良県桜井市谷)

社号石寸山口神社
読みいわれやまぐち
通称
旧呼称雙槻神社 等
鎮座地奈良県桜井市谷
旧国郡大和国十市郡谷村
御祭神大山祇神
社格式内社、旧村社
例祭4月12日

 

石寸山口神社の概要

奈良県桜井市谷に鎮座する神社で、高田地区に鎮座する「山口神社」と共に式内社「石村山口神社」の論社となっています。

式内社「石村山口神社」は『延喜式』神名帳に大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

 

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと考えられます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

式内社「石村山口神社」についてはかつてイハレと呼ばれた桜井市中部~橿原市東部付近の山を水源の地、また用材の産地としてその守護神たる山の神を祀ったものでしょう。

天平二年(730年)の『大倭国正税帳』にも記載があり、「石村山口 神戸稲801束 租10田場云々」と記されています。

 

室町時代中期の文書『和州五郡神社神名帳大略註解』(通称『五郡神社記』)によれば、式内社「石村山口神社」について次のように記しています。

  • 当時は「石寸水分神社」と称する。
  • 池上郷石寸山裂谷にあり、石寸川の上である。
  • 筆者が考案するに、石寸山口座神は水分御子守神で、「大和国八部水分社」の内である。
  • また案ずるに、『大和国山川名所記』に曰く石寸山はまた石村といい、ここに至ってこれを見たところ、石寸山は多武峰西に並び今中香山の南東にある。
  • 斉明天皇紀に載るところの、天皇が水工に渠を穿ち香山の西より石上(イハカミ)山に通したとあるのはこれである。この石上山は山辺郡石上(イソノカミ)山と同字異訓である。
  • また案ずるに、石寸山の谷水川は倉橋山(多武峰より続く西山)の流水川と落ち合い、城下郡を通って大和川へ流入する。件の大川(二水の合流するものを言い、つまり寺川である)を名付けて石寸川、また八釣川、或いはまた多武峰川という。

これによれば寺川(米川との説もある)をかつて石寸川と言い、この上流に式内社「石村山口神社」が鎮座し、また多武峰の西に石寸山があったとしていますが、いずれもその具体的な場所ははっきりしません。

当時は「石寸水分神社」と称したことから石寸川の水流と関わりが深く、水源の守護神、山からの水流を分配する神としての神格がより強まっていたことも窺えます。

一方、「斉明天皇紀に載るところの」云々については『日本書紀』斉明天皇二年の条にあたりますが、ここに言う「石上山」はやはり山辺郡(現・天理市)の石上と見るべきで、「石村山口神社」「イハレ」とは特に関係無いものと思われます。

 

これに対して江戸時代中期の地誌『大和志』は式内社「石村山口神社」を当社に比定しています。

当時は「雙槻神社」と呼ばれていたようで、これは用明天皇の皇居である「磐余池辺雙槻宮」がこの辺りとされたことに因むものと思われます。

磐余池辺雙槻宮は磐余池の畔にあったと考えられ、平成二十三年(2011年)には橿原市東池尻町から古代の池の堤を思わせる盛り土が発見されていることからその地が磐余池であるとする説が有力ですが、依然当地に磐余池があったとする説もあり、磐余池の所在は未だ確定していません。

また当社の南の山は「コモ山」と呼ばれる一方で「磐余山」とも呼ばれるようで、これも当社が式内社比定の根拠となっています。

ただし寺川(あるいは米川)の上流とは言い難く、『五郡神社記』の言う「石寸山」の所在地とも異なることから当社は『五郡神社記』の記述と合致しません。

とはいえもう一方の論社である高田地区の「山口神社」も『五郡神社記』に合致しているとも言い難く、その一方でどちらも「イハレ」地域内であるためどちらが式内社であってもおかしくない状況です。

そもそも『五郡神社記』の記述からしても、石寸山は寺川の上流かつ多武峰の西にあるとするなど地形的にかなり無理のあるものとなっており、誤りを含んでいる可能性があります。

『五郡神社記』が正確であるとも限らず、論社二社もいずれもそれなりに説得力があるため、式内社「石村山口神社」の比定は困難を極めていると言わざるを得ません。

 

なお、近代以降に陸上運搬が主流となったことにより、木材供給地である吉野地域との交通の便が格段に良くなった桜井市は木材の一大集積地となり、当社は彼ら木材の運搬や加工に従事する人々から厚く崇敬されるようになっているようです。

 

境内の様子

石寸山口神社

石寸山口神社

当社は谷地区の西方、ちょっとした小高い丘になっているところに鎮座しています。

当社境内はかなり小さく、道に面して鳥居が南向きに建っています。

 

石寸山口神社

鳥居をくぐって石段を上ると社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入切妻造で、コンクリートの基壇上に床や壁を設けずに建つ開放的な造りとなっています。

とはいえ敷地がかなり狭いため圧迫感は否めません。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製の比較的新しいもので一部に彩色が施されています。

 

拝殿後方の石段を上ると拝所を兼ねた中門があり、その後方に塀に囲われて銅板葺・一間社春日造の本殿が建っています。

 

当社のすぐ南側にある「菰池」。この池の南方の山を恐らく「コモ山」或いは「磐余山」と言うのでしょう。

池の傍らには「御祓戸」と刻まれた石碑が建っています。

 

タマヨリ姫
むむ、社前の池に妖しの煙!まさに神様の顕現の前兆だ!
近くで畑を焼いた煙が流れて来ただけよ。
トヨタマ姫

 

由緒

石碑

式内 石寸山口神社

 

地図

奈良県桜井市谷

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