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夜支布山口神社 (奈良県奈良市大柳生町)

社号 夜支布山口神社
読み やきふやまぐち
通称 神野宮(こうのみや) 等
旧呼称 天王 等
鎮座地 奈良県奈良市大柳生町
旧国郡 大和国添上郡大柳生村
御祭神 素盞嗚命
社格 式内社、旧県社
例祭 10月18日

 

夜支布山口神社の概要

奈良県奈良市大柳生町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○(坐)山口神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○(坐)山口神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと思われます。

「○○山口(坐)神社」は忍坂山口坐神社を除き全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

また当社は含まれていませんが、『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

現在の当社の御祭神は「素盞嗚命」ですが、近世以前には牛頭天王を祀っており、明治の廃仏毀釈により仏教色の強い神である牛頭天王に代わって素盞嗚命を祀ったものでしょう。

しかし本来の神は他の「○○山口(坐)神社」と同様に「大山祇神」だったと思われ、『神名帳考証』などいくつかの資料は大山祇神を祀るとしています。

当社は元々は南方600mほどにある「上出」と呼ばれる集落に鎮座していたのを、中世に「立磐神社」(後述)の鎮座する現在地へと遷座したと伝えられています。

かつて8月には胸に吊るした太鼓など様々な楽器を鳴らしながら踊る「大柳生太鼓踊り」が奉納され、これは奈良県無形民俗文化財となっているものの、残念ながら平成二十四年(2012年)を最後に途絶えてしまっています。

一方で集落の当屋の家に分霊を迎え入れ一年交代で祭祀する「廻り明神」の風習があり、これは現在でも行われているようです。

 

立磐神社

夜支布山口神社の境内摂社で、式内社「天乃石吸神社」の論社の一つです。御祭神は「天手力男命」。

上述の通り当地は元々は当社の社地であり、中世に夜支布山口神社が当地へ遷座したことに伴い夜支布山口神社の境内社となったようです。

創建・由緒は詳らかでありませんが、当社の社殿の背後に巨石があり、これを磐座として祭祀したのが当社であると考えられます。

社殿は延享四年(1747年)に春日大社の第四殿を移したもので、江戸時代中期の春日造の様子をよく伝えるものとして国指定重要文化財となっています。

 

境内の様子

当社境内を北方から眺めた様子。ちょっとした丘になっており、針葉樹の多い森となっていることがわかります。

 

この丘の東側に石段が伸びており、当社への入口となっています。

 

石段の途中に南北に道が伸びており、この南側に鳥居が南向きに建っています。動線としては微妙なところですがこの鳥居が一の鳥居にあたるのでしょう。

笠木・島木・貫は突き出た部分が極端に短いのが特徴。鳥居は朱に塗られ、後方にだけ稚児柱の設けられた両部鳥居のような形式です。

 

夜支布山口神社

夜支布山口神社

先の石段を上っていくと東向きに鳥居が建っています。こちらは二の鳥居となるのでしょう。

こちらの鳥居も朱に塗られていますが、形式としては神明鳥居で、かつ後方にだけ稚児柱の設けられた両部鳥居的な特徴も持ったもの。なかなか珍しい鳥居です。

 

二の鳥居の手前左側(南側)に手水舎が建っています。

 

夜支布山口神社

夜支布山口神社

二の鳥居をくぐると正面に社殿が東向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造で、床と壁の無い開放的な構造となっています。ただし竹を渡して柵としており、拝殿内に立入を禁ずる旨の札も掲げられています。

 

夜支布山口神社

拝殿後方の石垣の上に朱鳥居が建ち、朱の瑞垣が設けられています。

その後方に建つ本殿は銅板葺・一間社流造に唐破風の付いたもので、こちらにも朱が施されています。

 

本殿前に配置されている狛犬。材質は不明ですがそう古いものではなさそうです。

 

本社周辺の境内社

本社本殿の石垣下の左側(南側)に「祓戸神社」が東向きに鎮座。

一般に奈良県の大きな神社では祓戸神社が境内に祀られることが多く、本社参拝前にまず参拝することで穢れを祓うのが習わしとなっていますが、もし当社でもそうなら動線上やや不便です。

 

本社社殿のすぐ右側(北側)に二社の境内社が東向きに建ち並んでいます。

 

この二社の内、左側(南側)に鎮座するのは「戸隠神社」。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。

 

戸隠神社の右側(北側)に鎮座するのは「靖国神社」。

社殿は小規模なトタン屋根の春日見世棚造。

 

立磐神社とその周辺の境内社

立磐神社

先の二社の境内社のさらに右側(東側)に「立磐神社」が東向きに鎮座。式内社「天乃石吸神社」の論社の一つで「天手力男命」を祀っています。詳細は概要をご参照ください。

立磐神社は本社とは別に手前側に石造の鳥居が建っています。

 

立磐神社

立磐神社

石段の上に朱鳥居が建ち、その後方に立磐神社の本殿が建っています。

立磐神社本殿は檜皮葺の一間社春日造で朱の施されたもの。延享四年(1747年)に春日大社の第四殿を移したもので、国指定重要文化財となっています。

案内板「国指定重要文化財 立盤神社」

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国指定重要文化財 立盤神社

社殿形式

一間社春日造 檜皮葺

建立年代

江戸時代 享保十二年(一七二七)

祭神

天手力男命

當社地は立岩に神霊が宿る霊地として巨石信仰の古代から崇拝さ れ、立岩の前には早い時期から社殿 が建てられていたが後世に山口神社が當社地へ移され立盤の神が攝社 となった神社である。

春日大社蔵の記録及び社殿から發見された墨書によると現社殿は春日大社享保御造替時に新造された本社本殿の第四殿を延享御造替時(一七四四~一七四七)に當地へ移譲されたものである。

社殿は切妻造妻入の正面に軒の付いた古い形式をよく傳え、また當初材が多く残り移建の事情も明らかな點に注目すべきものがある。

 

立磐神社本殿の後方にこのような岩石があります。この岩石を磐座として祭祀したのが立磐神社の創建と考えられています。

ネット上の写真では注連縄が掛けられたものをよく見かけますが、筆者の参拝時は注連縄はありませんでした。

 

立磐神社の石段下に配置されている狛犬。花崗岩製でしょうか。比較的新しいものです。

 

立磐神社の付近には楓の木があり、秋にはこのように美しく染まります。

鳥居や社殿の朱と相まってよく映え、とても美しい光景を楽しむことができます。

 

立磐神社の社殿左側(南側)の斜面上に簡素な石段が伸びており、ここを上っていくと境内社の「八幡神社」が東向きに鎮座しています。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。

 

立磐神社の社殿右側(北側)にも石を置いただけの簡素な石段が伸びており、ここを上ると「春日神社」が東向きに鎮座しています。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。非常に狭く急な斜面なので参拝には注意が必要。

 

境内北側の境内社

立磐神社から北側へ道が伸びており、この道に沿って四社の境内社が鎮座しています。

 

この道の途中に二つの石段が並んでおり、その上にそれぞれ一社ずつ境内社が東向きに鎮座しています。

 

この二社の境内社の内、手前側(南側)に鎮座するのは「宗像神社」。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。

 

奥側、宗像神社の右側(北側)に鎮座するのは「白山神社」。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。宗像神社より一回り小さな社殿です。

 

この道の最奥部にも二社の境内社が鎮座しています。

 

最奥部の左側(西側)に「津島神社」が東向きに鎮座。近世以前に牛頭天王を祀っていた本社とは別にこちらでも牛頭天王を祀っていたのでしょうか。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。

 

道の最奥部の突き当りに「御年神社」が南向きに鎮座。

社殿はトタン屋根の春日見世棚造。

 

この境内北側の空間は杉の巨樹などが多く、当社の中でも特に神秘的な空間となっています。

 

タマヨリ姫
でっかい木や磐座があって神々しいね!ここは元々は立磐神社の地だったの?
そう伝えられているわ。今は本社となっている夜支布山口神社は元々はもっと南の方に鎮座していたみたいね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「夜支布山口神社」

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夜支布山口神社

大柳生の氏神で、平安時代の延喜式にもあらわれている古い社です。境内にある摂社立磐神社の本殿は、春日大社の第四殿を延享4年(1747年)に移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り神明」と言う、珍しい行事が伝わっており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。

 

地図

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