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春日神社 (奈良県磯城郡田原本町千代)

社号 春日神社
読み かすが
通称
旧呼称
鎮座地 奈良県磯城郡田原本町千代
旧国郡 大和国十市郡八条村
御祭神 天児屋根命、武甕槌命、齊玉命
社格
例祭

 

春日神社の概要

奈良県磯城郡田原本町千代に鎮座する神社です。現在、当地の地名は「千代」ですが江戸時代以前は十市郡の「八条村」でした。

社伝によれば、元々八条村には式内社の「千代(チシロ)神社」が鎮座していましたが、天長年間(824~833年)に洪水のため流失し、北東に隣接する大安寺村に漂着、千代神社は大安寺村の「森市神社」に境内社として祀られたと伝えられています。

この後に八条村では新たに「春日神社」(当社)が創建されたと考えられ、いつの頃か当社に「千代神社」がまた復帰して境内社として祀られたようです。

千代神社がいつ頃当社の境内社になったかは不明ですが、明治元年(1868年)に編纂された村誌に境内社として千代神社が見えないことからそれ以降ではないかと『式内社調査報告』は指摘しています。

なお、八条村が阿部田村と合併して千代村(現在の田原本町千代)となったのは明治八年(1876年)のことで、この地名は明らかに千代神社に因んだものです。となれば明治元年~八年の間に千代神社が復帰したと推測できそうです。

 

式内社「千代神社」についてわかることは極めて乏しく、奉斎氏族は不明で、神階昇叙などの記録も見えません。

現在の「千代神社」の御祭神は「八千々姫命」。この神は記紀に見えず詳細不明ですが、天棚機姫神の別名であるとも、その孫であるとも言われているようです。

上述のように当地は江戸時代以前は十市郡でしたが、式内社「千代神社」は『延喜式』神名帳には城下郡(式下郡)に記されています。

境界の変更があった可能性があるものの、江戸時代中期の地誌『大和志』には「正保三年(1646年)此地を以て本郡(十市郡)に隷す」とありこの頃に十市郡に編入されたことを示唆する一方、天平十九年(747年)の大安寺の記録には既に「十市郡千代郷」とあります。

複数回の郡境の変更があった説、『延喜式』が誤って記載した説も考えられますが、千代神社の流されたと伝えられる時期が『延喜式』の完成の100年ほど前であることから、漂着先の式下郡だった大安寺地区に祀られていたのが反映されているのかもしれません。

 

境内の様子

春日神社 千代

当地は千代地区(旧・十市郡八条村)の集落の中心となる地に鎮座しています。

境内の南側に玉垣が並び、入口に南向きの鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐって右側(東側)に手水鉢らしき穴の穿たれた岩石が置かれています。導水施設はありません。

 

春日神社 千代

鳥居からは石畳の参道がまっすぐ伸び、奥の社殿まで続いています。

社殿は南向きに並んでおり、拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に銅板葺の妻入切妻造の向拝の付いたもの。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製です。

 

春日神社 千代

拝殿後方の基壇上に玉垣に囲まれて三宇の本殿が並び、その手前に鳥居が建っています。

本殿はいずれも銅板葺の一間社春日造。手持ちの資料によれば、中央の本殿が「春日神社」、左側(西側)の本殿が「八阪神社」、右側(東側)の本殿が「千代神社」です。

さらに本殿の手前側の左右にそれぞれお互いを向き合うように二社の境内社が鎮座しています。いずれがそうなのかは不明ながら「稲荷神社」と「琴平神社」のようで、社殿はいずれも銅板葺の春日見世棚造です。

 

境内の南東隅には反橋や「吾唯足知」の蹲などが配置され、ちょっとした庭園になっています。

 

タマヨリ姫
元々この地に式内社があって、洪水で流されたけどまた元に戻ってきたんだね!
そうね。この地に戻ってきたのは明治以降のことみたいだけど、長い歴史をかけて元の地に戻ってきたとすると感慨深いものがあるわね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「田原本町 町・村の歴史 大字 八条」

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田原本町 町・村の歴史 大字 八条

八条村の歴史

H22.12.16

江戸時代の初め、八条村から阿部田村が分村する。明治八年(1875年)に両村合村し千代村となる。明治二十二年(1889)に多村の大字千代村となる。昭和三十一年(1956)に田原本町の大字になる。八条村とは、奈良時代の条里制で城下郡路東十八条一里に立地したことから、十八条から「十」を略した村名である。また、天平十九年(747)の大安寺の記録によれば、当地に十市郡千代郷があり、神社の荘園であった。村屋神社の記録によれば、当地に千代神社があったが、天長年間(830年頃)の洪水により社殿が大安寺領に漂着し、そこで祀ったとある。しかし、地元の崇敬が厚く、大正九年(1920)には、当地の春日神社の境内社として祭祀を行なっている。当地には古くから勝楽寺(しょうらくじ)があって明治七年(1874)に廃寺になったが、その由緒のため、明治三十一年(1898)に添上郡にあった本光明寺を勝楽寺跡に移して再興した。本光明寺の十一面観音立像は、平安時代中期の作で国・重要文化財。明善寺は、永正十年(1513)、僧空念の開基創立と伝える。妙称寺は、天文元年(1532)、僧達念の開基創立と伝える。極楽寺は、近在の大字の墓郷を管理した墓寺であり、本尊の阿弥陀如来立像は十三世紀の作。

宝暦三年(1753)、当八条村ほか八村が年貢の減免を求めて一揆をおこしたが、幕府の弾圧を受けた。当村庄屋山口与十郎はこの時、伊豆の新島にながされたが、その子庄右衛門が新島へ渡って父を助け、安永七年(1778年)に赦免されて帰郷した。庄右衛門の事跡は安永八年刊行の「八条ものがたり」に詳しい。

 

地図

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