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為志神社 (奈良県葛城市林堂)

社号 為志神社
読み いし
通称
旧呼称 十二所権現 等
鎮座地 奈良県葛城市林堂
旧国郡 大和国忍海郡林堂村
御祭神 伊古比都幣尊
社格 式内社
例祭

 

為志神社の概要

奈良県葛城市林堂に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

当社の御祭神は「伊古比都弊(いこひつべ)命」。記紀をはじめとする各史料に全く登場しない神であり、詳細不明です。

一説に『出雲国風土記』の飯石郡飯石郷の記事に登場する「伊毘志都弊(いひしつべ)命」と同神であるとも言われています。『風土記』には伊毘志都弊命が天降りした場所であるのでその地を伊鼻志(いひし)と言い、神亀三年に飯石に改めたとあります。

現在、伊毘志都弊命は島根県雲南市三刀屋町多久和に鎮座する式内社の「飯石神社」の御祭神となっています。

ただ当地が出雲と関係のあった痕跡は特に見当たらず、伊古比都弊命が伊毘志都弊命と同神であるとの確証も無いため何とも言い難いところです。

現状では出所不明の神であり、神格も不明と言わざるを得ません。

「為志(ヰシ)」の社名について、当地の郡名である「忍海(ヲシノミ)」からの転訛である説や「忍志」を誤記した説などがありますが、これも由来はよくわかりません。

当社は近世以前には「十二所権現」と称し、十二の神を祀っていたようです。

明治四十三年(1910年)に神社合祀政策により笛吹地区の「葛木坐火雷神社」に合祀され、当地は石碑を立てて旧跡の地とし、他には鳥居と灯籠が残るのみとなっていましたが、昭和五十七年(1982年)に有志により旧地に復して再建され現在に至っています。

 

境内の様子

為志神社

当社は林堂地区の北西の一画に鎮座しています。明治以降長らく「葛木坐火雷神社」に合祀されていましたが、当地の社叢は鬱蒼とまではいかないものの比較的残っています。

境内は玉垣で囲われ、南側の入口に鳥居が南向きに建っています。鳥居は稚児柱が石製の両部鳥居。

 

鳥居をくぐって左側(西側)に小さな手水鉢が配置されています。

 

為志神社

為志神社

鳥居をくぐって正面にやや土地の高くなった空間があり、その上に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で新しいものです。

 

拝殿後方に二重にブロック塀で囲まれて銅板葺・一間社流造の本殿が建っています。

 

社殿前の低い土地の左側(西側)に二基の朱鳥居が建ち、境内社が東向きに建っています。社名は不明ですが狐の置物があり、稲荷系の神社でしょう。

社殿はトタン葺の流見世棚造で全体的に朱塗りになっています。

 

拝殿前には「爲志神社遺蹟」と刻まれた石碑が建っています。

これは当社が葛木坐火雷神社に合祀されていた際、当地が為志神社の旧地であることを示したものです。隣に建つ石碑の説明によればこれをあたかも神殿のように大切にしてきたようです。

 

タマヨリ姫
一時は別の神社に合祀されたけど再び元の地で祀られるようになったんだね!
旧地がちゃんと残ってたから良かったわね。多分、神社が合祀されてる間もこの地は人々に大切にされてたんじゃないかしら。
トヨタマ姫

 

由緒

石碑『為志神社遺蹟石碑由来』

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為志神社遺蹟石碑由来

式内古社 為志神社は伊古比都幣尊祭神として古く栄え延喜式には忍海郡二社の筆頭に記載されている由緒正しい神社で久しくその尊厳を発揮してきたが明治三十九年の勅令社寺合併令により明治四十三年二月八日をもって式内大社葛木坐火雷神社に合併されて今日に至った

しかるに廃社の後人々は社殿の跡に為志神社遺蹟の石碑を建てあたかも神殿に対するが如くこれを崇敬してきたのである

人々の志実って社殿を再建し祭神を還しここに式内小社為志神社の再興が成就したあとなお為志神社遺蹟の碑を温存する所以である

昭和五十七年十月十七日
式内社為志神社
再興発起人一同

 

地図

奈良県葛城市林堂

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