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志貴御県坐神社 (奈良県桜井市金屋)

社号 志貴御縣坐神社
読み しきのみあがたにます
通称
旧呼称 志貴宮 等
鎮座地 奈良県桜井市金屋
旧国郡 大和國式上郡金屋村
御祭神 大己貴命
社格 式内社、旧村社
例祭 9月17日

 

志貴御縣坐神社の概要

奈良県桜井市金屋に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、かつて大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「倭の六県」(高市県、葛木県、十市県、志貴県、山辺県、曽布県)の一つ「志貴県」の守護神として祀られたものと考えられます。

これら「倭の六県」は『延喜式』祝詞に見え、蔬菜類を栽培し献上するための農園のような地だったことがわかります。

 

『新撰姓氏録』大和国神別に神饒速日命の孫、日子湯支命の後裔であるという「志貴連」が登載されており、物部系のこの氏族が志貴県を管理する「志貴県主」として当社を奉斎したことが考えられます。

物部系の史書である『先代旧事本紀』天孫本紀にもニギハヤヒの七世孫である建新川命、および八世孫である物部印岐美石連公は志貴県主の祖であるとあり、やはり物部氏の子孫が志貴県主となっていることが記されています。

なお『新撰姓氏録』には神八井耳命の後裔とする皇別氏族「志紀首」「志紀県主」が右京、河内国、和泉国に四氏登載されていますが、これは大阪府藤井寺市惣社に鎮座する「志貴県主神社」を奉斎した氏族と考えられ、また別系統のようです。とはいえ「志貴県主神社」の鎮座する河内国志紀郡は物部氏の勢力範囲内であり、同社もまた物部氏に関係する可能性は十分考えられます。

 

これに対して『日本書紀』には全く異なる事跡が記されています。神武天皇二年二月二日の条に神武天皇が東征に功のあった人物に恩賞を与えていますが、その中に「弟磯城(オトシキ/本名を「黒速」とも)」を「磯城県主」としたとあります。

上にも挙げた物部系の史書『先代旧事本紀』にも、ニギハヤヒの子孫が志貴県主となったとする記述とはまた別に、天皇本紀において『日本書紀』と同様に弟磯城黒速の子孫を磯城県主とする旨が記されています。

オトシキとは兄のエシキ(兄磯城)と共に神武東征以前に当地一帯を支配していたとされる豪族で、『日本書紀』ではエシキは神武天皇に抵抗した一方でオトシキは帰順し、エシキが戦の備えをしていることを神武天皇に報告し、速やかに備えるよう進言しています。

しかしながら『古事記』ではどういうわけかオトシキはエシキと共に撃たれてしまっており、そのくだりもかなり端折られています。

 

これら物部系氏族の「志貴県主」とオトシキの子孫の「磯城県主」の関係ははっきりしません。別系統であるとする説もありますが、オトシキの子孫「磯城県主」が物部氏と姻戚関係を結び物部氏がこれを継承したとの説もあります。

神武以降の磯城県主について見てみると、『日本書紀』では本文・一書によって異同はあるものの、第二代の綏靖天皇から第七代の孝霊天皇までの皇后は磯城県主の子女となっています。

これらの天皇はいわゆる「欠史八代」であり実在の人物でないと見られますが、このような伝承があることは「磯城(志貴)県主」が古代ヤマト王権において無視できない氏族であり強い影響力を持っていたことは考えられるでしょう。

想像するならば、非常に古い時代に勢力を誇った磯城県主も権力争いや他氏族の興隆などにより弱体化し、いつしか大氏族である物部氏に組み込まれたのかもしれません。

 

現在の御祭神は「大己貴命」ですが、本来は「饒速日命」もしくは「弟磯城」だったとする説もあり、当社が氏族の祖神を祀る神社だったとすればそのどちらかだったことが考えられます。

現在は小さな神社となっていますが、伝承上とはいえ初期ヤマト王権に強い影響力を与えた氏族が奉斎した神社ならば、近隣の「大神神社」には及ばぬとしても極めて古い歴史があるかもしれません。

 

境内の様子

当社は金屋地区の北側、三輪地区との境界付近に立地しており、一の鳥居は社殿から150mほど南方に南向きに建っています。

 

志貴御県坐神社

一の鳥居をくぐると正面奥にこんもりとした森があり、その入口に二の鳥居が南向きに建っています。二の鳥居は真っ白の新しいもの。

 

二の鳥居をくぐった様子。参道は鬱蒼とした森に覆われ、石段の上、土地の高くなったところは広い空間となっています。

 

石段を上って右側(東側)に手水鉢が配置されています。

手水鉢は恐らく江戸時代以前のものでしょうが、蛇口が設けられ豪快に直接注ぐ形になっています。

 

志貴御県坐神社

志貴御県坐神社

石段を上って正面奥に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入切妻造。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製のものです。

 

拝殿後方、石垣の上に神明鳥居が建ち、玉垣で囲まれ、その中に本殿が建っています。

本殿は銅板葺、一間社流造に大きめの千鳥破風の付いたもの。

 

本社拝殿の左側(西側)の空間に二社の境内社が東向きに建っています。

 

二社の内、左側(南側)に建つ境内社。社名、祭神は不明。

傾斜の緩やかな銅板葺の妻入切妻造。非常に簡素な建築で、鈴の緒や賽銭箱などもなく、そもそも神社なのかも怪しいですが、水が供えられており、祭祀されていると思われます。

 

右側にブロック塀に囲われて境内社が鎮座しています。社殿は銅板葺の一間社春日造。

傍らに右書きで「辨才天」と刻まれた石碑があり、資料に境内社として見える「厳島神社」が恐らくこれなのでしょう。

 

本社拝殿の右側(東側)に神明鳥居が建ち、その奥に玉垣で仕切られた空間があります。

その空間は石垣らしき石積みで囲われており、その中に四個ほどの丸い岩石が配置されています。

これが何であるかは全くの不明です。何かの遺構なのか、遥拝所なのか、神事に用いられるものなのか、それともただの庭園的なものなのか。資料が無く、謎の空間としか言いようがありません。

 

  • 当社境内には「崇神天皇磯城瑞籬宮趾」と刻まれた石碑が、また境内の外には同様の柱状の看板が立っています。

磯城瑞籬宮」は崇神天皇の皇居で、当社境内がその伝承地とされているようです。

当社は江戸時代以前は「志貴宮」と称しており、或いは式内社「志貴御縣坐神社」というよりは「磯城瑞籬宮」の地と認識されていたかもしれません。

 

当社周辺の様子

当社の東方120mほどの地に古い二体の石仏がRC造の頑丈なお堂(というより収蔵庫)に収められており、「金屋の石仏」と呼ばれています。

これらは右側が釈迦如来、左側が弥勒菩薩と推定され、粘板岩に浮彫されています。

製作された年代は諸説あり、貞観年間から鎌倉時代とかなりの幅があるものの、古く貴重かつ優美な作例であることは間違いなく、国指定重要文化財となっています。

案内板「金屋の石仏」

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金屋の石仏

この中におさめられた二体の石仏は右が釈迦左が彌勒と推定されています。高さ2.2m幅約80cmの二枚の粘板岩に浮彫りされたこの仏像は、古くは貞観時代、新らしくて鎌倉時代のものとされ、重要文化財の指定をうけています。右側の赤茶色の石は、石棺の蓋であろうと思われます。

 

当社周辺の金屋地区の集落の様子。古い家屋が多く残り、良好な町並みを今に残しています。

山の辺の道の起点ともされており、古くから東西と南北の道の交わる交通の要衝として栄えたところでした。

こうした立地のために非常に古くから市が開かれ、その市は「海石榴市(つばいち)」と呼ばれ『日本書紀』や『万葉集』にも登場します。

海石榴市は各地から物品が集められ商いが行われる地であったと共に、男女が出会う場所でもあったとされ、恋愛の歌を詠み合う歌垣の行われるところとしても知られていました。

 

タマヨリ姫
とても小さな神社って印象だね。近くに大神神社があるから余計にそう感じちゃう。
そうね。でも当社を祀ってきた氏族はとても古い時代に朝廷で大きな影響力を持っていたとも考えられるのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「磯城瑞籬宮跡」

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磯城瑞籬宮跡

第十代、崇神天皇の皇居跡と伝えられています。

神山・三輪山を背後に負い、歌垣の伝えで名高い海柘榴市を脚下に控えて、大和平野を見渡す高燥の地です。

東へは、泊瀬道、伊勢を経て東国へ。

南へは、磐余道、飛鳥を通じて紀伊方面へ。

北へは、山の辺の道、奈良、京を経て北陸、日本海方面へ。

西へは、大和川の水運を利用して難波、瀬戸内海方面に繋がる交通の要衝です。

古代大和王権、発展の拠点であったとも言える場所です。

案内板「磯城瑞籬宮伝承地」

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磯城瑞籬宮伝承地

磯城瑞籬宮は、第十代崇神天皇が営んだ宮とされています。

記紀によりますと崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような疫病が発生しました。

これは三輪山の神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)のしたこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い神の子孫となる大田田根子(オオタタネコ)を探しだしました。

そして彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。

また、東海や北陸、西国、丹波へと四方に将軍を派遣し国内の安泰につとめ、民をよく治めたことから、初めて国を治めた天皇としてたたえられたと記されています。

記紀万葉の物語(崇神天皇の条)
三輪山の神、大物主神
三輪山神婚伝承(おだまき伝承)
三輪山の神をお祀りした話
元伊勢伝承
箸墓伝承
四道将軍の派遣
活日の御酒献上

 

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