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丹生川上神社中社 (奈良県吉野郡東吉野村小)

社号 丹生川上神社中社
読み にうかわかみ なかしゃ
通称
旧呼称 蟻通明神、丹生社 等
鎮座地 奈良県吉野郡東吉野村小
旧国郡 大和国吉野郡小村
御祭神 罔象女神
社格 式内社、二十二社、旧官幣大社
例祭 10月16日

 

丹生川上神社中社の概要

奈良県吉野郡川上村迫に鎮座する神社で、式内社「丹生川上神社」の三社ある論社の一つです。

論社は当社の他に川上村迫に鎮座する「丹生川上神社上社」、下市町長谷に鎮座する「丹生川上神社下社」があり、これら三社が論社となっているのは後述のように複雑な経緯があります。

 

式内社「丹生川上神社」は『延喜式』神名帳に名神大社に列した他、二十二社の下八社の一社にも加えられ、古くは非常に有力な神社でした。

文明元年(1469年)に吉田兼倶が著したとされる二十二社について記した『二十二社註式』という文書に丹生社(丹生川上神社)についても記されており、それによれば概ね次の通りとなっています。

  • 雨師社と号していた。
  • 水神である罔象女神を祀り、これは伊弉諾尊の化身である。或いは闇龗神であるともいう。
  • 天武天皇の御代、白鳳四年(675年)の創建である。
  • 大和神社」の別宮である。
  • 人声の聞こえないような山深い地にあり、雨を降らす・止める神である。

かつて丹生川上神社は京都府京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座する「貴船神社」と共に朝廷から降雨を司る神として極めて厚い崇敬を受けており、『延喜式』祈雨神祭八十五座の中に含まれ、殊に丹生川上神社と貴船神社については黒毛馬一匹を奉納すること、また雨の止まない時は白毛の馬を用いることが記されています。

また丹生川上神社の奉幣は大和神社の神主が使いに従って奉ることも記されており、やはり天理市新泉町に鎮座する「大和神社」の別宮として同社の管理下にあったことが窺えます。

国史にも旱魃の際は祈雨のため丹生川上神社に黒馬を、霖雨の際は止雨のため白馬を奉ったことが幾度も見えており、その数は50回以上とも100回弱とも言われています。

黒馬は雨をもたらす黒雲を、白馬は晴れをもたらす白雲、或いは晴天を象徴するものであり、これらを神前に奉納するのは一種の類感呪術であると言えます。

このように朝廷から特に祈雨・止雨に関して極めて厚い崇敬を受けていましたが、中世以降に朝廷による奉幣や黒馬・白馬の奉納が途絶えると次第に衰微し、いつしか所在すらわからなくなってしまいました。

 

丹生川上神社の所在を示す資料として、寛平七年(895年)の太政官符(『類聚三代格』に所載)に「四至 東限塩匂 南限大山峰 西限板波瀧 北限猪鼻瀧」とあります。

つまり丹生川上神社は東に「塩匂」、南に「大山峰」、西に「板波瀧」、北に「猪鼻瀧」のある地に鎮座していたことがわかります。ただし、これらがどこを指していたのかは難しく、多くの学者が比定地を挙げていますが定説はありません。

江戸時代前期に式内社「丹生川上神社」は現在の丹生川上神社下社にあたる長谷村の「丹生社」であると比定され、『大和志』など江戸時代中期の地誌は概ねこの見解を踏襲しています。

明治維新の後、明治四年(1871年)にこれまでの見解を踏襲して現・下社が式内社「丹生川上神社」であると決定されましたが、その後に同社(現・下社)の少宮司である江藤正澄が上述の太政官符の「四至」に適合していないことを問題視し、当時高龗神社と呼ばれていた神社(現・上社)こそがかの四至に適合するとして比定しました。

この江藤正澄の説は認められて、明治二十九年(1896年)には当時丹生川上神社とされていた長谷の神社を「下社」、迫の神社を「上社」とし、両社を併せて「丹生川上神社」とする決定がなされました。

しかし大正四年(1915年)にはさらなる展開となります。森口奈良吉という人物が小(おむら)に鎮座する当時蟻通神社と呼ばれていた当社こそが式内社「丹生川上神社」であると主張しました。

実地調査の結果、大正十一年(1922年)に森口奈良吉の説が認められて蟻通神社は丹生川上神社と改称、上下二社に対してこの神社を「中社」として、三社併せて「丹生川上神社」とし、この中社は社務所が置かれるなど三社の中心と位置付けられました。

戦後、三社は独立して別々の神社となりましたが、現在も「上社」「中社」「下社」と呼ばれており、近年も三社を巡るキャンペーンが行われるなど緩い繋がりがあるようです。

このような複雑な経緯によって現在は三社の「丹生川上神社」が併存しており、いずれが式内社だったのか、それともこれらとは別の地に鎮座していたのか、未だ定説はありません。

 

上社下社についての詳細はそれぞれの記事をご覧いただくこととし、ここでは当社(中社)について若干掘り下げます。

当社は吉野の山奥を水源とする高見川・日裏川・四郷川の三川の合流する地(夢淵)であり、特に日裏川は滝となって流入しており、まさに水神を祀るに相応しい地であると言えます。

当初は現在地の対岸、湾曲した四郷川と高見川が形成する舌状の地(本宮山)に鎮座していたと言われており、現在はその地に摂社の「丹生神社」が鎮座しています。

この地は狭隘な地であるからか、いつの頃か対岸の小牟漏岳の麓である現在地に遷座したようです。

当社は前述のように大正年間に丹生川上神社と改称する以前には「蟻通明神」と称していました。

大阪府泉佐野市長滝に紀貫之ゆかりの神社である「蟻通神社」が鎮座しており、ここから平安時代末期に勧請したとの説がある一方で、水が絶え間なく在々(ありあり)と流れる様子を「ありとおし」と称したとの説もあります。

一方で、上述のように旧地にある神社が「丹生神社」であることに加え、『大和志』などの江戸時代の地誌に「丹生社」とあり、さらに当社の境内にある弘長四年(1264年)の石灯籠(国指定重要文化財)にも「丹生社」との銘があり、当社が式内社「丹生川上神社」とされる以前から丹生社と呼ばれていたことも確かです。

上述のように当地はまさしく水神を祀るに相応しい地であり、この地に丹生社が鎮座することは、これが水神として重視された式内社「丹生川上神社」であることに一定の説得力を持たせています。

無論それのみを以て式内社であるとするのは尚早で、他の二社にも相応の説得力がありますが、当地は丹生川上三社の中でも特に山深くにある水の豊かな風光明媚な地として現在も多くの人を惹きつけています。

また当社には最古の和装の神像とも言われている「罔象女神坐像」をはじめ平安時代後期から鎌倉時代にかけての20躯もの神像が伝わっており、奈良県指定文化財となっていると共に、当社が非常に古くから祭祀されたことが窺われます。

 

境内の様子

丹生川上神社中社

丹生川上神社中社

当社は高見川・日裏川・四郷川の三川の合流する夢淵から少し高見川を下った右岸側、小牟漏岳の南麓に鎮座しています。

川沿いに面して鳥居が南西向きに建っており、当社の境内入口となっています。

鳥居は朱塗りで稚児柱が黒く塗られた両部鳥居。

 

鳥居をくぐって左側(北西側)に手水舎があります。

 

丹生川上神社中社

丹生川上神社中社

鳥居からはまっすぐに石畳が敷かれ、その正面の石段上に社殿が南西向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造で壁の無い開放的な構造。桁行三間、奥行二間ながら旧官幣大社らしい大規模で堂々とした建築です。

 

丹生川上神社でかつて祈雨の際には黒馬が、止雨の際には白馬が奉納されたことに因み、拝殿内には白馬と黒馬の描かれた絵馬が掲げられています。

 

拝殿後方には屋根付きの石段(渡殿)が伸び、その背後の石垣上、瑞垣の奥に本殿が建っています。

本殿はよく見えませんが檜皮葺の三間社流造で、文政十二年(1829年)の建立です。

 

左側(北西側)から本殿を見た様子。本殿の左右に境内社である東殿と西殿が配置されており、ここからは西殿がよく見えます。

反対側の東殿は全く見えませんが、そちらの傍らに建っているという石灯籠は弘長四年(1264年)に伊行吉という伊派の石工によって造立されたもので、国指定重要文化財となっています。

 

本社拝殿の右奥(東側)に「丹生の真名井」と呼ばれる井戸があります。コップが用意されており、汲み上げてそのまま飲用可能です。

 

当社はいつの頃かは不明ながら対岸から遷座してきたとは言われているものの、当地での神域としての歴史も長いらしく、それを証するかのように境内には多くの杉の巨木が聳えています。

上の左側の写真は本社拝殿の右側(南東側)にある「叶(かなえ)大杉」。「千年杉」とも呼ばれています。

上の右側の写真は本社本殿の左側(北西側)にある「相生の杉」。瑞垣を挟んで相対するように二本の杉が聳え立ち、夫婦円満の象徴とされています。

 

境内北西側の様子

本社本殿の北西側にも入口があり、ここから伸びる参道に沿って境内社も鎮座しています。こちらの入口から社殿へ至る形で境内社等を紹介していきます。

境内の北西50mほどのところにある入口。神明鳥居が北西向きに建っています。

ここから伸びる参道は本社本殿まで続いています。

 

神明鳥居の左右両側の傍らにそれぞれ縦長の岩が立っており、左側のものは「爺石」、右側のものは「婆石」と呼ばれ、二つ合わせて「爺婆(じじばば)石」もしくは「夫婦石」とも呼ばれています。

案内板によれば、かつて木材の筏流しが行われていた頃、この石の下を目安として水をせき止め、鉄砲水を送って筏を流したといい、これが命懸けの仕事であったのでいつしか道中の安全を翁に祈る信仰が生まれて爺婆石となったとあります。

周囲に目立った岩石が無いのにここにだけ二対の巨岩があるのは不自然で、目印のために人為的に配置されたものであるかもしれません。

案内板「爺婆石(じじばばいし)」

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爺婆石(じじばばいし)

鳥居に向かって正面左側が爺石、右側が婆石で夫婦石とも呼ばれている。

かつてこの地方では、木材の搬送の主力が筏で、享保年間(一七二四年頃)より紀州に送り出すのに始まったとされる。

当村より切り出された木材は筏を組み、爺婆石下の所を目安として川をせき止めて、水を溜める鉄砲ぜきをつくり、鉄砲水を送って筏を流す処から、筏乗りは多年の経験を積んで一人前となったが、この筏にて川を下るという事は命がけの仕事であった。道中の安全を翁(人生の先輩、知恵を持つ賢者)に祈る信仰がいつしか生まれ、それが爺婆石の姿となった。

その後、時代の変遷と共に木材の運搬も自動車を主体としたものに移り変わり、筏流しも見られなくなったが、道中の安全を願う心は今も変わらない。昨今では当地区に長寿者が多く住んでいる処から、延命長寿・夫婦円満を願い、爺婆石をなでる老若男女の姿が見受けられる。

 

神明鳥居からの参道を少し進み、左側の石段を上っていくと斜面上に「丹生龍王大神社」が鎮座。御祭神は「タカオ神」「クラオ神」。

社殿はなく、覆屋に「丹生龍王大神」と刻まれた石碑が納められているのみです。

 

さらに参道を進むと左側の斜面上に「木霊神社」が北西向きに鎮座。御祭神は「五十猛命」。

当地が木材の産地であり、木材の市場開設三十周年を記念して昭和五十七年(1982年)に和歌山県和歌山市伊太祈曽に鎮座する「伊太祁曽神社」から勧請したもの。

石段下に神明鳥居が建ち、斜面上の空間に簡素な妻入切妻造の拝殿、銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。

案内板「木霊神社御由緒」

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木霊神社御由緒

御祭神

五十猛命

例祭日

四月十六日

当社の御祭神五十猛命は須佐之男命の御子神にして神代木種の播種に殊に其の御神徳高く苟くも木材林業の業に携わる人々は勿論木の恩恵に浴する人のひとしく仰ぐべき木の大神である 昭和五十七年春小川郷木材林産協同組合市場開設三十周年を記念し同組合理事長山本敏夫氏をはじめ関係者の盡力あって神恩奉謝事業隆栄の祈りを籠め広く江湖の奉賛により殿宇を建立せり

畏くも御神霊は和歌山市鎮座伊太祁曽神社より迎う

 

この参道の突き当り、本社本殿の瑞垣の左側(北西側)に境内社が南西向きに鎮座しています。祭神・社名は不明。

社殿は銅板葺の一間社流造。

 

この参道を振り返った様子。多くの杉の巨樹に囲われた清々しい一帯です。

 

境内東側の様子

境内を出て道を東へ進んでいくと、左側(北側)にちょっとした空間があり、そこに設けられた石段の上に覆屋に納められて二社の神社が鎮座しています。いずれも社名・祭神は不明。

左側は銅板葺の小さな一間社流造、右側は銅板葺のさらに小さな一間社流見世棚造です。

なお石段は中央構造線らしく結晶片岩が用いられています。

 

この神社の鎮座する辺りは暖地性の植物であるツルマンリョウの自生地で、国指定天然記念物となっています。

当地周辺を含め吉野地方は多くが木材の産地であるため原生林は殆ど残っていませんが、その中にあってここは神域とされたためか暖地性の極相林が残っており、大変貴重なものです。

案内板「天然記念物丹生川上神社のツルマンリョウ自生地」

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天然記念物丹生川上神社のツルマンリョウ自生地

説明

本殿裏山(小牟漏岳)南及び西斜面の暖地性常緑樹林の林床内に約千平方米の面積にわたってツルマンリョウが自生している。

ツルマンリョウは、ヤブコウジ科に属し、匐枝は地下を浅くまたは地上をはって分岐し、それより地上茎が頂生する。毎年七月中旬黄白色の花が開き翌年秋球形の果実が紅熟する。

ツルマンリョウの自生地として稀有のものであるばかりでなく、その北限にあたるものとして貴重なため昭和三十二年五月八日天然記念物に指定された。

注意

一、ツルマンリョウの採取をしないこと

二、自生地内の樹木伐採その林相に変化を及ぼす一切の現状変更を行□□□□

文化財保護委員会
丹生川上神社

 

丹生神社

本社の境内の南東、四郷川が回り込んで高見川と合流する舌状の地、本宮山の麓に摂社の「丹生神社」が東向きに鎮座しています。御祭神は「弥都波能売命」であり、本社と同じ神を祀っていることになります。

覆屋の中に板葺の一間社春日造の社殿が納められ、彩色の施された痕跡も残されています。

本社は元々はこの地に鎮座していたとも言われており、この丹生神社は「本宮」とも称しています。

 

丹生神社から道路を挟んで向かい側に「神武天皇聖蹟丹生川上顕彰碑」と刻まれた石碑が建っています。

神武天皇が夢のお告げの通りに丹生川上にのぼって天神地祇を祀り、厳甕を以て占いを行ったことが『日本書紀』に見え、これが当地であるとして昭和十五年(1940)に顕彰したものです。

ただしこの「丹生川上」は諸説あり、そもそも式内社「丹生川上神社」の論社が複数あることに加え、宇陀市榛原雨師に鎮座する「丹生神社」こそがかの地であるとする説も有力です。

案内板「神武聖蹟 丹生川上」

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神武聖蹟 丹生川上

~神武天皇の丹生川上での親祭~

昭和15年(1940)2月7日、文部省による神武聖蹟調査の第1回目の決定があり、「丹生川上の地」は小川村(現東吉野村)丹生川上神社の付近であると発表された。

日本書紀によると、戌午の年9月、神武天皇は、大和平定のため、夢にあらわれた天神の教えのとおり、天香具山の社の中の土を取って平甕と厳甕・(御神酒を入れる甕)をつくリ、丹生の川上にのぼって天神地祇を祀られた。

神意を占って「厳甕を丹生川に沈めよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの国を平定するだろう。」と言われて厳甕を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がってロをパクパク開いた。椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いにお喜びになられ丹生の川上の五百箇の榊を根こぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。

丹生川は、今の高見川で、高見・四郷・日裏の三川が合流したところの深淵は、神武天皇が夢にあらわれた天神の教えによって厳甕を沈めたところだと伝えられ、『夢淵』と呼ばれています。

東吉野村

 

境内付近の様子

本社境内前を流れる高見川。V字谷を流れる美しい川で、かつては当地で伐採された木材を運搬する為に筏にして、水を堰き止めて一気に放し下流側へ流したと言われています。

 

高見川沿いを少し上流側(東方)へ歩いていくと、高見川、日裏川、四郷川の三川の合流する地があり、ここは「夢淵」と呼ばれています。「夢淵」の名は、上述の神武天皇が夢でお告げを得たことに因むとされています。

川の水は美しいエメラルドグリーンを呈し、まさしく風光明媚な光景です。

上述の丹生神社はこの夢淵の南側に位置しています。

 

中でも日裏川は夢淵で滝となって合流しており、この滝は「東の瀧」と呼ばれています。

滝の前の遊歩道に橋が架けられているため間近で滝の流れ落ちる様子を眺めることができます。

 

東の瀧の付近から眺めた夢淵の様子。

三川が合流し豊富な水となって高見川を流れていきます。まさに水神を祀るに相応しい場所でしょう。

 

タマヨリ姫
すごく水の綺麗なところだね!まさしく山奥の水神様の地って感じ!
そうね。式内社だったかは諸説あるけれど、古くから祀られていてもおかしくなさそうな感じね。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「丹生川上神社 旧官幣大社」

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丹生川上神社 旧官幣大社

鎮座地

奈良県吉野郡東吉野村小

御祭神

罔象女神

御例祭

十月十六日

当神社は天武天皇白鳳四年「人声ノ聞エザル深山吉野丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ立テ以テ敬祀セバ天下ノ為ニ甘雨ヲ降ラセ霖雨ヲ止メン」との御神教により創祀せられ、雨師の明神・水神崇社として上下の尊崇殊の外篤く、天皇の行幸五十数度、祈雨止雨の奉幣祈願九十数度に及ぶ。

又当地は神代新嘗の女神丹生都比賣命が聖水を求めて巡行せられ、神武天皇建国神話の最高潮を彩る場所として古くより信仰上の聖地であり、吉野離宮の故地として喧伝されている。

今日では水道電力等水に関はる人々は勿論、木との縁から商売繁昌、酒造安全、又受験等の必勝の神として廣く信仰され、御神水を戴かれる人々も多い。

案内板「丹生川上神社(旧官弊大社)」

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丹生川上神社(旧官弊大社)

御祭神、罔象女神と言い、日本最古の永神で水神総本社である。祭られた初めは何時代か分からぬ位古く、恐らく神武天皇の頃はこの辺りに神籬式の神として祭られでいた。最初武運守護の神として崇敬されたが天武天皇の時初めて社殿を建て神社としての形が出来上った。この以後は天下に良き雨を降らせ、また大雨を止める水神の神徳が上下の人々から信仰せられ萬葉から奈良時代にかけて歴代天皇の行幸五十回近くあって、その泊り給うところが吉野離宮であった。平安朝になってから行幸が絶え吉野離宮も荒廃したので現在の地に神社を移して壮大なる建築に代ったが戦国の狂乱に及び…灰燼に帰し僅かに御神体その他の一部が残すのみで往年の面影は失なわれた。近世になって農業耕作に慈雨の恵の神として一般の信仰が篤く各地から水神講を組織して参拝した。現在水を最も必要とする電源開発、電力会社、及び各都市の水道方面から篤く信仰されている。

 

地図

奈良県吉野郡東吉野村小

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