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櫛玉比女命神社 (奈良県北葛城郡広陵町弁財天)

社号 櫛玉比女命神社
読み くしたまひめのみこと
通称
旧呼称 弁財天(?) 等
鎮座地 奈良県北葛城郡広陵町弁財天
旧国郡 大和国広瀬郡弁才天村
御祭神 櫛玉比女命
社格 式内社、旧村社
例祭 11月1日

 

櫛玉比女命神社の概要

奈良県北葛城郡広陵町弁財天に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

四世紀末~六世紀にかけて築造された馬見古墳群の東方にあり、当社も前方後円墳の上に鎮座しています。

古墳と神社が結びつく例だと説く考えもありますが、発掘調査が行われていないため古墳の築造年代などは明らかでなく、古墳と当社の関係も詳らかでありません。

 

社名からも明らかであるように当社は「櫛玉比女命」を祀っています。

ただ、このクシタマヒメなる神は記紀などの史書に登場せず、どのような神であるかは明らかでありません。

大和国ではしばしばクシタマ(ヒコ)なる神を祀る神社(「矢田坐久志玉比古神社」「廣瀬大社」「櫛玉命神社」など)があり、その対となるのがクシタマヒメであると考えられます。

クシタマ(ヒコ)も記紀などに登場しませんが、その神格については大きく玉作氏の祖神とする説、物部氏の祖神であるニギハヤヒとする説の二説があります。

当社においては特に後者の説は注目すべきで、近隣の河合町川合に鎮座する「廣瀬大社」では相殿として「櫛玉命」を物部氏の祖として祀っていることに加え、社家の樋口氏は物部氏の子孫であると伝えられています。

当社に祀られる「櫛玉比女命」とはこれに対応する神であり、すなわちニギハヤヒの妻である「御炊屋姫」のことであるとも一説に言われています。

 

一方、当社は近世以前は「弁財天」と称したようで、当地の地名の由来にもなっています。かつて当社の神宮寺だった大福寺の記録によれば、弘安七年(1284年)に当地の人が吉野郡天川村の天河弁財天を古墳の上に勧請したとも伝えられています。

『延喜式』よりも遥かに時代を下った頃ですが、古墳の上に勧請したとあることからこの伝承が当社の創建として語られているように思えます。

或いは境内社として勧請したものが、同じ姫神を祀るということで本社と混同されて祀られるようになったのかもしれません。

現在、当社の境内に「辨財天社」が鎮座しており、近世以前に祀られていた神がここに遷座されたとも思えるものの詳細不明。『式内社調査報告』には弁財天は本社とは別に社務所兼神職宅に祀られているとあり、どうも境内の「辨財天社」とは別に祀られているようです。

 

境内の様子

当社の鳥居は境内の東方150mほど、葛城川の堤防上の道路に沿って建っています。

鳥居は東向きに建っており、赤と黒に塗られたコンクリート造で、両部鳥居のように稚児柱らしきものが設けられています。丁字路に建っているためか手前側の稚児柱は左右に開いているのが特徴。

 

鳥居から道をまっすぐ進むと当社の境内があります。入口には鳥居は無いものの、注連柱が建ち注連縄が掛けられています。

注連柱の間隔は非常に広く、注連縄は勧請縄のようにも見えます。

 

注連柱をくぐって左側(南側)に手水舎があります。

 

注連柱の後方には大きく丸い池があります。

 

注連柱をくぐった様子。境内は非常に広い空間になっており、左奥(南西側)に社殿が東向きに並んでいます。

 

櫛玉比女命神社

櫛玉比女命神社

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造で大きな千鳥破風が付いたもの。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製で古めかしさが感じられます。

 

拝殿後方は木々や玉垣に囲まれてわかりづらいですが、銅板葺・一間社春日造の本殿が建ち、その前に神明鳥居が建っています。

本殿の建っているところは小高くなっており、これは前方後円墳の後円部です。

 

本社本殿の右側(北側)に四棟の境内社が東向きに並んでいます。左側から順番に紹介していきます。

 

本社本殿のすぐ右側(北側)に鎮座するのは「八幡神社」(御祭神「品陀和気大神」)と「春日神社」(御祭神「天津児屋根大神」)の相殿。

社殿は銅板葺の春日見世棚造で、珍しく白一色に塗られています。

相殿社の右側(北側)に「皇太宮」が鎮座。御祭神は「天照皇大神」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造で、千木が内削ぎとなっています。

 

皇太宮の右側(北側)に「稲荷神社」が鎮座。御祭神は「豊字気大神(※札の原文ママ)」。

社殿は銅板葺の春日見世棚造。

稲荷神社の右側(北側)に「熊野神社」が鎮座。御祭神は「熊野大権現」。

社殿は銅板葺の一間社春日造。こちらの神社だけ見世棚造でなく階の設けられたしっかりとした造りとなっています。

 

境内の北端に「辨財天社」が東向きに鎮座しています。

真新しい桟瓦葺・平入切妻造の拝殿が建ち、その後方に朱鳥居、そして本殿と並んでいます。本殿は銅板葺の流見世棚造。

本社はかつて「弁財天」と呼ばれましたが、本社とこちらの「辨財天社」との関係はよくわかりません。

 

タマヨリ姫
古墳の上に神社が建ってるんだ!葬られた人がそのまま神様になっちゃった感じかな?
それはちょっとわからないわね。古墳と神社との間に連続性があるかは微妙なところよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「櫛玉比女命神社」

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櫛玉比女命神社

延喜式にいう「広瀬郡五座」のひとつで、いわゆる式内社の格を誇る。その位置は前方後円墳の後円部にあたり、埴輪片が出土する。古墳と神社が結びつく例として注目される。祭神櫛玉比売命は櫛玉彦命に配されるが、「大日本史」では、饒速日命の妃である御炊屋姫を当社祭神としている。現在の本殿は春日造檜皮葺を銅板葺に改め、その前方に入母屋造り浅瓦葺、正面千鳥破風付きの拝殿を設けた江戸期の建築である。

 

地図

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