1.奈良県 2.大和国

広瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町川合)

0

社号 廣瀬大社
読み ひろせ
通称
旧呼称
鎮座地 奈良県北葛城郡河合町川合
旧国郡 大和国広瀬郡川合村
御祭神 若宇加能売命
社格 式内社、二十二社、旧官幣大社
例祭 2月11日、4月4日

 

廣瀬大社の概要

奈良県北葛城郡河合町川合に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳に名神大社に列せられると共に、二十二社の中七社の一つにも列せられ、古くから非常に有力な神社でした。

社伝によれば当地は元々は「水足池(みずたるのいけ)」と呼ばれる沼地でしたが、崇神天皇九年に当地の里長である廣瀬臣藤時という者に神託があり、俄かにこの地は陸地となり一夜にして橘が数多く生えたため、この地に社殿を建てて祀ったと伝えています。

この社伝にはかつて奈良盆地を湛えていた湖(大和湖)が徐々に乾燥し、人々の定住や農耕が可能となった土地が増えていった古い時代の話が反映されているかもしれません。

 

当社の主祭神は「若宇加能売命」で、伏見稲荷大社の御祭神「宇迦之御魂神」および伊勢神宮外宮の御祭神「豊受大神」と同神であるとされています。

当社の神は水神として信仰される一方、五穀豊穣の神としての神格も有しています。

『延喜式』祝詞の「廣瀬大忌祭」には、山々から流れ出る水を農業に適した良い水に変えて人々の作る稲が悪風荒水に見舞われることなく実るよう祈る旨が記されており、当社の神の神格がよく表れています。

当地は大和川に飛鳥川と曽我川が合流する地で、少し遡れば寺川と佐保川が、少し下れば岡崎川と富雄川が合流する地であり、奈良盆地を流れる河川が一堂に会する一帯となっています。

この低地に祀ることで、奈良盆地の流水の安定的な供給、水質の保全および農地への水の分配を守護する水神としての神格と、その水を元に農作物の豊かな実りを願う穀物神としての神格が期待されたことが窺えます。

 

『延喜式』祝詞にもあるように当社の例祭は「大忌祭」であり、三郷町立野南に鎮座する「龍田大社」の例祭である「風神祭」とセットで古くから祭祀が行われてきたことが国史に見えています。

『日本書紀』天武天皇四年四月十日の条に風神を竜田の立野に祀らせ、大忌神を広瀬の河曲に祀らせたことが見え、これが両社の例祭の初見です。

その後毎年のように四月と七月に大忌祭と風神祭が行われています。

田植えの時期と収穫前の時期に水神であり穀物神である廣瀬神社と風神である龍田大社で例祭を行うことで大和国の豊穣と安寧を祈願したものでしょう。

 

さらに当社では毎年2月11日に「砂かけ祭り」と呼ばれる神事が行われます。

これは御田植神事であり、拝殿前の空間を田に見立てて田植えの所作をした後、神事の奉仕者や参詣者らが互いに砂をかけまくるという非常に激しく荒々しい神事で、砂を雨に見立て、砂を盛大にかけ合うほど雨がよく振り豊作になると言われています。

当社の神の水神および穀物神としての神格がよく表れる神事であると共に、全国的に見ても降水が乏しく河川も貧弱な奈良盆地において降雨は死活問題であり、往時の人々の悲痛な願いも込められたものだったことでしょう。

砂かけ祭りは河合町指定文化財となっています。

 

さて当社は相殿神として「櫛玉命」と「穂雷命」を配祀しています。

当社の社家の樋口氏(古くは曽祢氏)は物部氏の子孫であると伝えられており、「櫛玉命」も物部氏の祖神である饒速日命と同神であると伝えられています。

物部系の史書である『先代旧事本紀』ではニギハヤヒを「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」としており「櫛玉命」の神名もこれによるものと思われます。

参考までに奈良県明日香村真弓に鎮座する「櫛玉命神社」は玉造連が祖神を祀ったとされる一方、やはり物部氏の祖神を祀ったものとする説もあります。

上述の『日本書紀』天武天皇四年四月十日の条で広瀬の河曲に大忌神を祀ったのは「曽祢連韓犬」という人物であると見え、『新撰姓氏録』によれば曽祢連は物部氏の一族であることから、これと関連するものかもしれません。

一方の「穂雷命」は広陵町安部に鎮座する「穂雷神社」の神であるともされ、当社に祀られた理由は不明ですが、古来より雷は稲の実りを促すものと考えられており、豊穣を司る当社の役目を強化するために勧請されたのかもしれません。

 

名神大社や二十二社に列せられ朝廷から厚く崇敬された当社も中世には衰微し、戦火による宝物や古文書の焼失や戦乱による神領の没収といった憂き目にも遭いました。

その後江戸時代に復興され現在見る社殿が整備されていきます。

明治年間には官幣大社に列せられたものの、現在では往時のような大社の雰囲気はなく、ややひっそりとした神社となっています。

それでもなお奈良県下でも有数の歴史を持つ神社として信仰を集めています。

 

境内の様子

境内入口。境内は南北に細長く、社殿の南方400mほどの地に朱塗りの一の鳥居が南向きに建っています。

 

鳥居をくぐった様子。非常に鬱蒼とした社叢で、昼間でも暗い参道が長く続いています。

参道は途中でゆるやかに右方向へカーブしています。

 

さらに参道を進んだ様子。参道はアスファルト舗装から砂地に変わり、狛犬や灯籠などの石造物も配置されるようになります。

かつて鳥居が建っていた痕跡もあります。

 

参道途中の狛犬。砂岩製でしっかりとした造形です。

 

さらに進むと二の鳥居が建っており、ここが社殿等の建つ主要な空間への入口となります。

二の鳥居は朱塗りの両部鳥居。

 

二の鳥居手前の左側(西側)に手水舎が建っています。銅板葺の入母屋造。

 

二の鳥居をくぐった様子。社殿前は砂地の広い空間となっており、ここで毎年2月11日に砂をかけまくる「砂かけ祭」が行なわれます。

 

広瀬大社

広瀬大社

正面に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は檜皮葺・平入入母屋造。桁行三間・奥行二間の建物です。

 

拝殿後方に瑞垣と中門が建ち、その内側に檜皮葺・一間社春日造の本殿が建っています。

本殿は朱が施され、正徳元年(1711年)に造営された当社最古の建物で、奈良県指定文化財となっています。

 

社殿の左側(西側)に池があり、その畔に「水足(みずたる)明神」が鎮座しています。御祭神は「水足大神」。社殿は銅板葺の流見世棚造。

この池は当社が創建される前にあったとされる「水足池」の名残と言われ、ここに住まうとされる龍神を祀っています。

案内板「水足明神(みずたるみょうじん)」

+ 開く

水足明神(みずたるみょうじん)

御祭神

水足大神(みずあしのおおかみ)

御神徳

世の中総ての物事が満ち足りて行くことを司る

御由緒

崇神天皇の御代ここに棲む龍神の託宣により廣瀬の神が祀られる様になり後にこの池は水足の池と名付けられました。ここにその龍神をお祭りしています。

 

社殿前の右側(東側)には馬の銅像を納める小屋が建っています。本瓦葺の平入切妻造。

かつては本物の神馬が飼育されていたのでしょうか。

 

参道沿いの様子

当社の境内社は参道沿いに多く鎮座しており、当記事では南側から順番に紹介していきます。

 

日の丸稲荷社

参道を四割ほど進んだところ、道が直交する地点の左側(西側)に「日の丸稲荷社」が南向きに鎮座。御祭神は「稲倉魂神」。

二基の朱鳥居が建ち、桟瓦葺・平入入母屋造で向拝の付いた拝殿と、銅板葺の簡素な一間社春日造の本殿が建っています。

伏見稲荷大社から分霊を勧請した神社です。

 

日吉社

参道を挟んで日の丸稲荷社の向かい側(東側)に「日吉社」が南向きに鎮座。

参道に沿って入口に西向きの朱鳥居が建ち、左にカーブした参道を進むと南向きの朱鳥居が建っています。

二の鳥居をくぐると塀に囲まれて朱塗りの銅板葺・流見世棚造の社殿が建っています。

 

当社の御祭神は資料が無く不明ですが、不思議なことに「日吉社」と名乗っているのに狛狐や狐の置物が配置されており、どうやら社名と裏腹に稲荷系の神社のようです。

 

祖霊社

本社参道をさらに進むと左側(西側)に「祖霊社」が東向きに鎮座しています。

入口に神明鳥居が建ち、その奥に銅板葺・平入切妻造の非常に簡素な拝殿、そして基壇上に塀に囲まれて銅板葺・一間社春日造の社殿が建っています。

廣瀬大社に歴代関係した人々の霊を祀っています。

 

祓戸社

さらに参道を進むと右側(東側)に「祓戸社」が西向きに鎮座。御祭神は「瀬織津姫神」「気吹戸神」「速開津姫神」「速須佐良姫神」。

神明鳥居が塀と一体になって建っており、その内側に朱塗りの銅板葺・一間社春日造の社殿が建っています。

奈良県下の大きな神社ではしばしば祓戸神社が参道沿いに建っており、まずそちらに参拝して罪や穢れを祓ってから本社に参拝するのが習わしとなっています。

 

タマヨリ姫
この神社ではお互いに砂をかけまくるダイナミックなお祭りがあるんだって!参加してみたい!
「砂かけ祭」ね。砂をかければかけるほど雨がよく降って豊作になると伝えられているわ。雨の少ない奈良ならではの祭と言えるかもしれないわね。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「廣瀬神社」

+ 開く

廣瀬神社

本殿 奈良県指定文化財(建造物)
砂かけ祭り 河合町指定文化財(無形民俗)

『日本書紀』天武天皇四年(六七五)条に記事が見られる廣瀬神社は、奈良盆地の多くの河川が合流して大和川となる水上交通の要衝に位置しています。神社に伝わる『川相宮縁起』では崇神天皇の時代の創建とされています。地理的条件や周辺遺跡の状況から、遅くとも七世紀以前には既に信仰の母体となるものがあったと考えられます。天武天皇四年に龍田の風神とともに祭祀が行われて以降、戦国時代に途絶えるまで毎年四月と七月に朝廷より使者が遣わされ、祭祀が行われていました。戦国時代から江戸時代初期にかけて一時衰微しますが、元禄年間に復興し、旧廣瀬郡の総氏神として広く崇敬を受けるようになりました。
祭神は主神が大忌神の異名を持つ若宇加能売命で、水の神、水田を守る神、五穀豊穣の神として篤く信仰されています。

神社に伝わる「和州廣瀬郡廣瀬大明神之圖」は室町時代に描かれたと推定されますが、この絵図には八町四方の四至に鳥居を建てた広壮な姿が描かれています。また、本殿は三殿が並ぶ姿に描かれ、相殿に櫛玉比売命と穂雷命を祀っています。永正三年(一五〇六)の戦乱により往時の建物は灰燼に帰したと伝えられます。現在に残る最古の建物は、正徳元年(一七一一)に造営された本殿です。この本殿は一間社春日造の様式をよく伝えるものとして、昭和六十三年(一九八八)三月二十二日に奈良県指定文化財(建造物)に指定されました。

毎年二月十一日に行われる砂かけ祭りは御田植祭で、砂を雨に見立ててかけ合い五穀豊穣を祈る祭りです。この祭りは河合町の歴史を考える上で重要なものとして、平成二十一年(二〇〇九)十二月十一日に河合町指定無形民俗文化財に指定されました。

河合町・河合町教育委員会
河合町観光ボランティアガイドの会

案内板「廣瀬神社」

+ 開く

廣瀬神社

祭神

主神 若宇加能売命
相殿 櫛玉命・穂雷命

創建

崇神天皇九年(前八九)

由緒

大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る

天武天皇が白鳳四(六七九)に大忌祭を四月と七月の年二回お祀りを始められ依来皇室の崇敬が厚い

永正三年の戦乱で御本殿以下焼失 現在の建物は正徳元年造営される

御本殿は県文化財指定

神徳

衣食住を守護し、治水を司る

特殊神事

砂かけ祭 二月十一日

社格

官幣大社

 

地図

奈良県北葛城郡河合町川合

じゃらんで見る

JTBで見る

日本旅行で見る

 

関係する寺社等

龍田大社 (奈良県生駒郡三郷町立野南)

社号 龍田大社 読み たつた 通称 旧呼称 鎮座地 奈良県生駒郡三郷町立野南 旧国郡 大和国平群郡立野村 御祭神 天御柱命、国御柱命 社格 式内社、二十二社、旧官幣大社 例祭 4月4日 式内社 大和國 ...

続きを見る

-1.奈良県, 2.大和国
-, ,

Copyright© 神社巡遊録 , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.