1.奈良県 2.大和国

大神神社 (奈良県桜井市三輪)

社号 大神神社
読み おおみわ
通称
旧呼称 三輪明神 等
鎮座地 奈良県桜井市三輪
旧国郡 大和国式上郡三輪村
御祭神 大物主大神
社格 式内社、二十二社、大和国一宮、旧官幣大社
例祭 4月9日

 

大神神社の概要

奈良県桜井市三輪に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列し、二十二社の中七社の一つにも列せられ、さらに大和国一宮ともされ、古くから現在に至るまで非常に有力な神社です。

当社には拝殿はあるものの本殿に相当する施設が無く、背後に聳える「三輪山」を神体山として祭祀しており、非常に古い信仰の形態を現在に伝えています。

三輪山の山上にはいくつもの岩石があり、これらを磐座として祭祀してきたとされています。上から奥津磐座、中津磐座、辺津磐座の三つの磐座群に分かれており、非常に古い時代から磐座に神籬を立てて祭祀してきたことが考えられます。

 

当社の御祭神は「大物主大神」であり、これは一般的には「大国主神」「大己貴命」と同一の神とされていますが、別の神であるとする説も有力で、「事代主神」の別名であるとする説もあります。

当地に大物主大神が鎮まったことが当社の創建ですが、その様子は様々な文献が伝えています。『日本書紀』によれば次のように記しています。

『日本書紀』(大意)

大己貴命(またの名を大物主神)は少彦名命と心を一つにして国作りをしてきたが、少彦名命は常世国へ帰ってしまった。そこで大己貴命が出雲国へ至り、「私は葦原の中つ国をよく治め、従わない者はいない。今この国を治めているのはただ私一人だけだ。私と共に天下を治めてくれる者が他にいるだろうか」と言うと、海を照らして光る不思議なものが忽然と浮かんできた。これが言うには「私がいなければあなたはこの国を治められないだろう。私がいるからあなたはこの業績を成し遂げられたのだ」と。大己貴神が「あなたは誰だ」と問うと「私はあなたの幸魂・奇魂である。私は日本国の三諸山(=三輪山)に住みたいと思う」と答えたので宮を造営して住まわせた。これが「大三輪の神」である。

このように、オオナムチが海を照らして浮かんできたものと対峙し、これはオオナムチ自身の「幸魂」「奇魂」であると答え、これを三諸山(三輪山)に祀って大三輪の神としたことが記されています。

「幸魂」「奇魂」について『日本書紀』には何ら説明がありませんが、本居宣長は『古事記伝』において、魂は「和魂」と「荒魂」の二面があり、さらに和魂は幸や恵みをもたらす「幸魂」と神秘的な働きをもたらす「奇魂」があると説明しています。

オオナムチが己の魂の一面と対峙し、それを自ら祀ったのはまるでドッペルゲンガーのようでやや不思議な伝承と言えます。

 

一方、『出雲国造神賀詞』には「大穴持命(オオナムチ)の言うには、「皇御孫の鎮まり坐す大倭国」として、己の和魂を八咫鏡に依り憑かせて倭の「大物主櫛玉命」と名を称して大三輪の神奈備に坐した」との旨があります。

オオナムチが八咫鏡に自身の和魂を憑かせて「大物主櫛玉命」と名乗り、当地に鎮まったことが示されています。

これらの当社の創建伝承から当社で祀られている神「大物主大神」とはオオナムチ(オオクニヌシ)の和魂(幸魂・奇魂)であると理解されています。

尤も先述の通り当地における祭祀は非常に古く、大和政権の支配の及ぶ遥か以前から在地の人々に祭祀されていたと考えられ、やがて大和政権が当地の信仰を重視するようになり当地の伝承を記紀神話に組み込み体系化したことが推測されます。

 

記紀にはこれ以降も当地の神の登場する箇所があります。『日本書紀』崇神天皇七年の条に次のように記されています。

『日本書紀』(大意)

この頃幾度もの災害があったので、天皇は神浅茅原で八十万神を以て卜占をした。この時、倭迹迹日百襲姫命に神が憑いて「何を憂うことがあろうか。私をよく祀れば自ずと平穏になろう」と言ったので、天皇は「あなたは何という神か」と問うと「私は倭国の境にいる神で名を大物主神という」と答えた。しかしこの通りにしたがそれでも収まらなかった。そこで再び祈ったところ夢に大物主神が現れ、「愁うことはない。私の子である大田田根子に祀らせれば平穏になるであろう」と言った。

そこで大田田根子を探したところ、茅渟県の陶邑に大田田根子がいたので、天皇が大田田根子に「そなたは誰の子か」と問うと「父は大物主大神、母は活玉依媛である」と答えた。

天皇は喜び、大田田根子に大物主大神を祀らせた。すると疫病は終息し五穀も実り百姓は豊かになった。

このように、大物主神の子であるという「大田田根子」なる人物に大物主神を祀らせたところ平穏になったことが記されています。

大田田根子の出身地である「茅渟県の陶邑」とは大阪府南部の丘陵地帯にあたり、大阪府堺市中区上之の「陶荒田神社」を奉斎したとも伝えられています。

大田田根子は三輪君らの祖であるとされ、その子孫が当社の神官である大神氏となります。

また『古事記』では大田田根子を大物主神・活玉依毘売の五世孫としていますが、彼が神の子であることを証明する際に印象的な伝承を挿入しています。

『古事記』

活玉依毘売は美しい人物だった。ここにある男がおり、これまた容姿に優れた人物で、いつも夜中に通っている内に毘売は妊娠した。毘売の父母は怪しんでその人物の正体を知ろうとし、毘売に赤土を床に散らしておき、針に麻糸を通してその人物の衣に針を刺しておくよう教えておいた。その通りにして翌朝見たところ、麻糸は戸の鍵穴から出て行って、残っている麻糸はわずかに「三輪」だけであった。その糸をたどっていくと美和山に至って神の社まで続いていた。そこでその神の子と知った。その麻糸の三輪残ったことによってその地を美和というのである。

ここでは大田田根子の五世祖の正体が大物主神であると判明した経緯と共に、美和(三輪)の語源説話も語られています。

 

さらにその後の話として『日本書紀』崇神天皇十年の条に次のように記されています。

『日本書紀』(大意)

倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となった。しかしその神は昼には見えず、いつも夜に来た。そこで姫は「あなたは昼に来ないのでその顔がわからない。その顔が見たいので明日の朝までいてほしい」と言うと大神は「もっともだ。明日の朝、あなたの櫛笥の中に入っていよう。ただし私の姿を見て驚かないでほしい」と答えた。明くる朝、櫛笥を見ると美麗な小蛇がおり、その長さは衣の紐のようであった。姫は驚き泣き叫んだので大神は恥をかき、忽ち人形と化して妻に「あなたは私に恥をかかせた。私もあなたに恥をかかせよう」と言って空を飛んで御諸山(=三輪山)に登った。姫は仰ぎ見て悔やみ、陰部に箸を撞いて死んでしまった。姫は大市において葬られ、その墓は箸墓という。

このように、大田田根子の伝承で倭迹迹日百襲姫命に憑いた大物主神はその倭迹迹日百襲姫命と結婚しました。そしてその正体が蛇であることが示され、さらにその際に亡くなった倭迹迹日百襲姫命の墓は現在の箸墓古墳であると記されています。

当社の神が蛇であることは古くから信じられており、これ以降でも『日本書紀』雄略天皇六年七月三日の条に天皇が三輪山の神が見たいと望んだので少子部蜾蠃が大きな蛇を捕らえた話が記載されています。

また先の『古事記』の話も麻糸が鍵穴を通っていたことから蛇であることが示唆されており、全国に分布する類話でも女の元に通う男の正体が蛇であったとする民話が多数採集されています。

当社の祭祀の原初的な信仰が蛇神祭祀だったことが示唆される一方、現在でも社殿前の杉に卵が供えられるなど、当社の神が蛇であることは根強く信じられています。

 

当社は記紀に頻りに言及されていることに加え、古い形態の信仰を残すことから、「日本最古の神社」とも称されています。

古くから有力な神社であることに加え、近年は本殿を持たない神秘的な祭祀形態が評価され、ますます多くの参拝者が訪れるようになっています。

 

境内の様子

大神神社大鳥居と三輪山

大神神社大鳥居と三輪山

当社社殿の1kmほど西方に非常に大きな「大鳥居」が西向きに建っています。鳥居越しに当社の神体山である三輪山を望むことができ、当社参拝において非常に印象深い光景です。

ただしこの鳥居は厳密には一の鳥居ではありません。

 

一の鳥居は大鳥居の一つ南側の道路に沿って南西向きに建っています。

本来はここからが表参道になるはずですが、現在は鉄道利用でも車利用でも動線から外れたひっそりとした場所になっており、ここから参拝する人は殆どいないでしょう。

 

大鳥居もしくは一の鳥居をくぐると松の木の並んだ長い参道が続いています。途中JR桜井線(万葉まほろば線)の踏切を渡ります。

 

さらに参道を進んでいくと鬱蒼とした森が見えてきて、いよいよ本格的に神域に入ります。

その入口に二の鳥居が西向きに建っています。

 

二の鳥居をくぐった様子。非常に鬱蒼とした照葉樹林で昼でも暗い参道となっています。

 

参道の途中、左側(北側)に「祓戸神社」が南向きに建っています。御祭神は「瀬織津姫神」「速秋津姫神」「気吹戸主神」「速佐須良姫神」。

鳥居が建ち、瑞垣内に銅板葺の春日見世棚造の社殿が建っています。

祓戸神社は大和国の大きな神社で参道途中によく見かける神社で、まず当社に参拝することで穢れを祓い身を清めるのが習わしとなっています。

案内板「大神神社末社 祓戸神社」

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大神神社末社 祓戸神社

御祭神

瀬織津姫神
速秋津姫神
気吹戸主神
速佐須良姫神

御例祭

六月三十日

(御由緒)

二の鳥居から参道を進むと最初に鎮座する神社で、諸々の罪・穢れを祓う祓戸の四柱の神様をまつります。神社の参拝はなによりも清浄を期すことが大切で、心身共に清らかになって参拝するために最初にこの神社に参拝します。

 

さらに参道を進みます。途中に小さな橋があり、その奥に石段が続いています。

 

橋を渡ってすぐ左側(北側)に「夫婦岩」と呼ばれる岩石があります。前面に鳥居が建ち、瑞垣内に囲われています。

かつては「聖天石」と呼ばれたもので、二つの岩石が並ぶ様子から縁結びや夫婦円満に霊験があると信じられています。

案内板「夫婦岩」

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夫婦岩

(御由緒)

二つの岩が仲良く寄り添っている形から夫婦岩と呼ばれています。古くは神様が鎮まる磐座で、中世の古絵図には聖天石として描かれており、夫婦和合・安産に霊験のある聖天になぞらえていたこともありました。

この夫婦岩は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされ、縁結び・恋愛成就・夫婦円満の霊元あらたかな磐座として信仰されています。

 

さらに石段を上っていくと左側(北側)に手水舎が建っています。檜皮葺の平入入母屋造で手水舎にしては重厚な建物です。

吐水は当社の祭神の正体とされる蛇を象ったものとなっています。

 

参道は手水舎の前で最後の石段が続いており、その上に注連柱が建っています。

 

大神神社

大神神社

注連柱をくぐると広い空間となっており、その正面に社殿が西向きに建っています。

拝殿は檜皮葺で、平入切妻造に裳階が付き、正面に軒唐破風の付いた妻入入母屋造の向拝が付いたもの。桁行九間・奥行四間の大規模な建物です。

「古い信仰の形態を残す」と言われる割には異様に装飾過多な印象を受ける拝殿です。

この拝殿は寛文四年(1664年)に徳川家綱によって再建されたもので、国指定重要文化財となっています。

先述の通り当社には拝殿の後方に本殿が無く、背後の三輪山を神体山として信仰の対象としています。

そのため本殿が建つ代わりに三輪山を遥拝するための「三ツ鳥居」と呼ばれる特殊な鳥居が建てられており、これは三つの明神鳥居を横並びに接続したもので、四本の柱で構成された珍しい鳥居です。こちらも国指定重要文化財

当社摂社の桧原神社や大阪府大阪市の坐摩神社にも同様の三ツ鳥居が建てられています。

 

社殿前には「巳の神杉」と呼ばれる樹齢四百年ほどの杉があります。この杉から白い蛇が出入りするとされており、「巳さん」と親しまれています。

このため杉の前に設けられた拝所には酒と共に蛇の好物とされる卵が供えられています。

案内板「巳の神杉」

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巳の神杉

(御由緒)

御祭神の大物主大神が蛇神に姿を変えられた伝承が『日本書紀』などに記され、蛇神は大神の化身として信仰されています。この神杉の洞から白い巳さん(親しみを込めて蛇をそう呼ぶ)が出入することから「巳の神杉」の名がつけられました。

近世の名所図会には拝殿前に巳の神杉と思われる杉の大木が描かれてあり、現在の神杉は樹齢四〇〇年余のものと思われます。巨樹の前に卵や神酒がお供えされているのは巳さんの好物を参拝者が持参して拝まれるからです。

 

境内北西側の様子

大美和の杜

境内の北側一帯の高台は「大美和の杜」と呼ばれており、展望台が設けられ西側に奈良盆地を見渡すことができます。

展望台からは眼前の大鳥居の他、耳成山や畝傍山、天香具山といった大和三山、さらにその奥には二上山や葛城山、金剛山といった奈良盆地を囲む山々まで望むことができます。

 

久延彦神社

境内の北西側には「久延彦神社」が鎮座しています。御祭神は「久延比古命」。

境内北西を東西に延びる道に面して入口があり、北側の丘の上へ石段が続いています。石段下と石段途中の二カ所に鳥居が建っています。

 

石段を上ると社殿が南向きに並んでいます。拝殿は桟瓦葺・妻入入母屋造で、左側(西側)に平入切妻造の社務所が接続しています。

 

拝殿後方には本殿を納めた覆屋(?)らしきものが建っています。

記紀のオオクニヌシの国作りにおいて、オオクニヌシの元に海の向こうから小さな神がやってきたものの名がわからず、ヒキガエルの多邇具久(たにぐく)が「クエヒコなら知っているであろう」といい、クエヒコに尋ねると「その神はスクナヒコナだ」と答えた、とあります。

さらに『古事記』によればクエヒコは「山田のそほど」つまり「カカシ」であるとも記されています。

クエヒコとは「崩え彦」の意であり、風雨に晒され身体が崩れて歩けないカカシの姿を表すとも言われています。

カカシは田の神であり、神の憑依する依代ともされたのでクエヒコは農耕神であるとも考えられる一方、当社では久延比古命は物知りでありスクナヒコナの名も知っていたことから知恵の神として信仰されています。

現在では試験合格や就職成就に験があるとして広く信仰されています。

案内板「大神神社末社 久延彦神社」

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学業の守護神・知恵の大神

大神神社末社 久延彦神社

御祭神

久延毘古命

御例祭

九月一日

入試安全祈願祭

十二月第一日曜

(御由緒)

御祭神の久延毘古命は『古事記』に、どこへも足を運ばなくても世の中の事を全て知っている神様で知恵がたいそう優れておられると記されています。

それゆえに、知恵・学問の神様として信仰を集め、学力向上・各種試験の合格をお守りくださり、今日では就職成就はもとより仕事面においても知識・智力の向上・発展に大きな御力を授けてくださります。

 

久延彦神社の社殿前からも奈良盆地を見渡すことができます。

久延彦神社の社地は大美和の杜と地続きの高台で、社殿前から直接大美和の杜の展望台へ行くこともできます。

 

大直禰子神社(若宮社)

久延彦神社の西側に「大直禰子神社(若宮社)」が鎮座しています。御祭神は「大田田根子命」「少彦名命」「活玉依姫命」。

大神神社の社家である大神氏が祖神であり大神神社の初代神主である「大田田根子命」を祀ったのが当社であると言われています。

元々は大神神社に三つある神宮寺の一つ「大御輪寺(だいごりんじ)」の境内に鎮座していましたが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、寺の本堂をそのままに神社としたものです。

当社は久延彦神社と違い丘の下に鎮座しており、入口には南向きの鳥居が建っています。

 

鳥居前に配置されている狛犬。花崗岩製です。

大神神社本社には狛犬がありませんが、当社ではこのように狛犬があります。恐らく大御輪寺の頃からのものでしょう。

 

鳥居をくぐって右側(東側)に手水鉢があります。

 

鳥居をくぐって正面に南向きの社殿が建っています。本瓦葺・平入入母屋造で桁行五間・奥行五間の大規模な建物です。

先述の通り元々は大御輪寺の本堂だったものです。そのため拝殿・本殿といった神社建築の構成になっておらず、建物内の内陣に御神体が祀られています。

この建物は弘安八年(1285年)の建立で室町時代までに数度の改修を経ていますが、内陣には奈良時代の部材が含まれており、極めて貴重な建築です。

国指定重要文化財となっています。

また大御輪寺時代には現在桜井市の聖林寺にある国宝の十一面観音菩薩立像がここに安置されていました。

案内板「大神神社摂社 大直禰子神社(若宮社)」

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大神神社摂社 大直禰子神社(若宮社)

御祭神

大直禰子命

御例祭

四月八日

(御由緒)

御祭神の大直禰子命は大物主大神のご子孫です。

第十代崇神天皇の御代に疫病が大流行し、国難がおこった時、天皇の御夢にあらわれた大物主大神の神託によって、茅渟県陶邑(現在の堺市)に大直禰子命を見出され、大神を祀る神主にされると疫病は治まり國が平和に栄えたとされます。

また御祭神が大物主大神のご子孫であることから若宮社とも呼ばれ、春の大神祭では若宮の御分霊が神輿に遷され、三輪の町を巡幸されます。神仏習合の時代は大神寺、後に大御輪寺として長らく大直禰子命の御神像と十一面観音像(国宝・現在は市内の聖林寺に奉安)があわせ祀られてきました。本殿には奈良時代の大神寺創建当初の部材が残っており、貴重な神宮寺の遺構として国の重要文化財に指定されています。

 

社殿前には「御饌石(みけいし)」と呼ばれる石があり、正月のご神火まつりの時に久延彦神社に神饌を備える石です。

丘の上に鎮座する久延彦神社に参拝できない人が遥拝するための遥拝所ともなっています。

案内板「御饌石」

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御饌石

この御石はお正月のご神火まつりの時、久延彦神社に神饌をお供えする石です

知恵の神様久延彦神社へお参り出来ない方はここから遥拝してください

 

境内の西側に「御誕生所社」なる神社(?)があり、社殿はなく岩石が祀られています。鳥居の奥の塀で囲われた空間内の瑞垣内に鎮座。

御祭神は「鴨部美良姫命」。『先代旧事本紀』で大田田根子命の母親とされる神です。安産の守護神とされているようですが詳細不明。

 

境内の東側に「琴平社」が西向きに鎮座。御祭神は「大物主神」。鳥居が建ち、瑞垣内に春日見世棚造の社殿が建っています。

 

境内北側の様子

本社社殿から北側へは道が伸びており、三輪山の麓から春日山の麓までを結ぶ古道「山の辺の道」の経路ともなっています。

 

活日神社

本社社殿の北側、山の辺の道の東側の崖上に「活日(いくひ)神社」が鎮座。御祭神は「高橋活日命」。崖下に北向きの鳥居が建ち、石段上に西向きの妻入切妻造の社殿が建っています。

高橋活日命とは酒を醸造して大物主神に奉った神で、当地付近の酒造家から厚く崇敬を受けています。

高橋活日命が一夜にして酒を醸造したことから当社は古く「一夜酒社(ひとよさけのやしろ)」とも呼ばれました。

大神神社と酒の関係は深く、毎年11月14日に行われる醸造安全祈願祭で拝殿に杉玉が吊るされるのが恒例となっており、これが全国に伝わり全国の造り酒屋に新酒が出来た合図として杉玉を吊るす風習が行われるようになったとも言われています。

案内板「大神神社摂社 活日神社」

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大神神社摂社 活日神社

御祭神

高橋活日命

御例祭日

四月四日

(御由緒)

御祭神の高橋活日命は崇神天皇に命じられ、大物主大神に備える神酒を醸した掌酒(さかひと)で、杜氏の祖神として酒造関係者から篤く信仰されています。

一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社(ひとよさけのやしろ)」とも呼ばれていました。

酒まつり等で舞われる神楽「うま酒みわの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。

 

磐座神社

活日神社の北方、山の辺の道の東側に「磐座神社」が鎮座。御祭神は「少彦名神」。鳥居が建ち瑞垣に囲われているものの社殿は無く、見えにくいですが瑞垣内には岩石が鎮座しています。

三輪山にある磐座群の一つ、辺津磐座に属する磐座とされています。

案内板「大神神社摂社 磐座神社」

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大神神社摂社 磐座神社

御祭神

少彦名神

御例祭

十月十一日

(御由緒)

御祭神の少彦名神は大物主大神と共に国土を開拓し、人間生活の基礎を築かれると共に、医薬治病の方法を定められた薬の神様として信仰されています。

三輪山の麓には辺津磐座と呼ばれる、神様が鎮まる岩が点在し、この神社もその一つです。社殿がなく、磐座を神座とする形が原始の神道の姿を伝えています。

 

 

貴船神社

狭井神社から山の辺の道をさらに北へ進むと東の斜面上に「貴船神社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「淤加美神」。

石段上に鳥居が建ち、瑞垣内に春日見世棚造の社殿が建っています。

案内板「大神神社末社 貴船神社」

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大神神社末社 貴船神社

御祭神

淤加美神

御例祭

五月初卯日

(御由緒)

御祭神は生命の根源である水の神で、雨水を司られます。また縁結びの神としても信仰され、夫婦円満・恋愛成就の御利益があるとされます。

神社の古い記録に、ご本社の大神祭(卯の日神事)の時には、必ずこの神社にもお供えを上げて祝詞を奏上したとあり、丁重に祀られてきました。

 

貴船神社の社殿の傍らに瑞垣に囲われて岩石が鎮座しています。磐座の類でしょうか。詳細不明。

 

 

境内南側の様子

本社社殿のすぐ右側(南側)に「神宝神社」が西向きに鎮座。御祭神は「家都御子神」「熊野夫須美神」「御子速玉神」。

鳥居が建ち、その奥に瑞垣と春日見世棚造の社殿が建っています。

熊野三神を祀っており、古くは「熊野権現」と称していました。

案内板「大神神社末社 神宝神社」

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大神神社末社 神宝神社

御祭神

家都御子神
熊野夫須美神
御子速玉神

御例祭

五月九日

御祭神は、室町時代の神社資料に熊野権現と記され、熊野三神をお祀りしています。

正月元日未明、繞道祭の十八社巡りにおいて、三ツ鳥居から出た御神火が捧げられ、最初に祭典が営まれる神社です。

古くから三宝荒神の信仰もあり、また財宝の神として広く崇敬されています。

 

天皇社

神宝神社の南方の崖上に「天皇社」が鎮座。御祭神は「御真木入日子印恵命(崇神天皇)」。

山の辺の道の東側の崖下に南向きの鳥居が建ち、石段上の空間に瑞垣に囲まれて妻入切妻造の社殿が西向きに建っています。

大神神社の神主に大田田根子が選ばれ、さらに倭迹迹日百襲姫命が大神神社の神である大物主神の妻となったのも崇神天皇の御代であり、大神神社の基礎が作り上げられた頃の天皇として深い関係を持っているとも言えます。

案内板「大神神社末社 天皇社」

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大神神社末社 天皇社

御祭神

御真木入日子印恵命(第十代 崇神天皇)

御例祭

六月十三日

御由緒

第十代崇神天皇は都を奈良率川宮より磯城瑞籬宮(金屋)に奠(さだ)められ我国の歴史上画期的な御事蹟を挙げられました。

御敬神の念極めて厚く天照皇大神をはじめて皇居より倭笠縫邑(現在の檜原神社)に遷し祀られ、大田々根子命(若宮さん)を大物主大神の祭主とされるほか、天社・国社を定め、四道将軍を派遣せられ、教化を盛んにして、大いに皇基を伸長せられました。又産業交通を興され、国民の福利を進めて大和朝廷の基礎を確立せられました。

天皇の御感徳を稱えまつり、御肇国天皇として万世に仰がれる聖天子であらせられます。

 

成願稲荷神社

天皇社の南側、山の辺の道の西側に「成願稲荷神社」が北向きに鎮座。御祭神は「宇迦御魂神」。

朱鳥居が建ち並び、塀が設けられ、桟瓦葺の流見世棚造の社殿が建っています。

大神神社の三つあった神宮寺の一つ「浄願寺」の鎮守社として正応三年(1290年)に創建されたと伝えられています。

案内板「大神神社末社 成願稲荷神社」

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大神神社末社 成願稲荷神社

御祭神

宇迦御魂神

御例祭

新暦三月初午日

(御由緒)

大神神社の神宮寺の一つ、浄願寺の鎮守祠として鎌倉時代の正応三年(一二九〇)に創祀されたと伝わっています。

御祭神は稲荷の神様で、全ての食物を司ると共に商売繁盛・開運招福・念願成就の霊験があらたかです。毎年、三月初午の日に例祭が行なわれ、昔懐かしい旗飴が参列者に配られます。

 

 

神社周辺の様子

当社周辺は全国有数の素麺の産地で「三輪素麺」としてブランド化しています。

伝承では奈良時代の当社の神主だった大神穀主という人物が、飢饉に苦しむ民の姿を憂えて神に祈願したところ、神の啓示を得て小麦の生産を行い素麺作りを始めたとも言われています。

当社は素麺作りの守護神としても信仰されており、毎年2月15日に素麺の卸値を占う卜定祭が行われています。

当社二の鳥居の近くにある「そうめん處 森正」さんでは美味しい三輪素麺をいただくことができます。冷たい素麺の他、暖かいにうめんもあるので冬でも美味しくいただけます。

 

また当社大鳥居前の「白玉屋榮壽」は弘化元年(1845年)の創業で、「みむろ最中」が名物となっています。

香ばしい皮種の中に甘い餡がたっぷり入った美味なお菓子です。当社の参拝の際は是非。

 

お知らせ

大神神社の西方には大神神社摂社の「綱越神社」が鎮座しています。綱越神社については別記事にて紹介していますので併せてご覧ください。

綱越神社 (奈良県桜井市三輪)

社号 綱越神社 読み つなこし 通称 おんぱらさん、夏越の社 等 旧呼称 鎮座地 奈良県桜井市三輪 旧国郡 大和国式上郡三輪村 御祭神 祓戸大神 社格 大神神社摂社、式内社 例祭 7月31日 式内社 ...

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また、大神神社の周辺には他にも多くの摂社・末社が鎮座しています。

 

タマヨリ姫
この神社って本殿が無いんだ!珍しいね!
後ろの三輪山が御神体とされているわ。このために古い信仰を残した神社と言われているのよ。
トヨタマ姫

 

御朱印・御朱印帳

 

由緒

案内板「大和国一ノ宮 三輪明神 大神神社」

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大和国一ノ宮 三輪明神 大神神社

御祭神

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配神

大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)

当神社は、秀麗な三輪山を神体山とする我国最古の神社で、元官幣大社、延喜式内の名神大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本社であります。

大物主神は、大国主神の和魂(幸魂・奇魂)で、大国主神が神代の昔、国造りに労せられたとき、その和魂が現れ、問答の後自らこの三輪山に鎮まられたのであり、農工商等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお守り下され、顕界・幽界を主宰そ給う和の大神であります。

その御神徳は極めて広大であり、古事記・日本書紀・万葉集等の古典により明瞭に伺えます。大和・河内・摂津はもとより、広く全国にわたって篤い信仰を集めています。

山麓には、崇神天皇から推古天皇に至る十三代の皇居遺跡があり、この地は当時の国道一号線とも言うべき山の辺の道を動脈として、飛鳥以前四・五世紀頃の日本の政治経済の中心をなしていました。

境内地は、現在の古都保存法による歴史的風土三輪山特別地区及び国の史蹟に指定されています。

三輪山

標高四六七メートル、周囲一六キロメートル、面積三五〇ヘクタール

三ツ鳥居(国の重要文化財)

明神鳥居三基を組合わせた独特の形式は、古来一社の神秘とされています

拝殿(国の重要文化財)

寛文四年(一六六四)四代将軍徳川家綱公改建

主な祭典

一月一日 繞道祭
四月八日~十日 春の大神祭
四月十八日 鎮花祭(本社及び狭井神社にて斎行)
十月二十三日~二十五日 秋の大神祭

案内板「大和国一ノ宮 三輪明神 大神神社」

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大和国一ノ宮 三輪明神 大神神社

御祭神

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配神

大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)

大物主大神は、世に大国主神(大国様)の御名で知られる国土開拓の神で、農工商等あらゆる産業を開発し、方除・治病・造酒・製薬・交通・縁結び・開運等、世の中の幸福を増進することを計られた人間生活万般の守護神であります。

後に神様の御思召しによりその御魂(幸魂・奇魂)を三輪山に永くお留めになりそれ以来、秀麗な三輪山を御神体と崇めて、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、お山を拝するという原初の神祀りを今に伝えている我が国最古の神社であります。

この三輪の地は古く大和の文化発祥の地であり、当時の主要道路である山の辺の道の陸路、日本最古の市場である海石榴市を終点とする初瀬川の水路により殷賑を極め、国家黎明期の政治・経済・文化の中心地でありました。

その後も、当社に対する朝野の崇敬は殊に篤く、中古よりは大和国一宮となり、名神大社二十二社の一つに列せられ、大神の神光はあまねく国内に広がりました。

また平成四年より始まりました「平成の大造営」事業により、平成九年に新たに祈祷殿・儀式殿・参集殿を築造、同従一年には重要文化財である三ツ鳥居・拝殿の保存修理が竣功し、その御神威が愈々仰がれています。

三輪山

標高四六七メートル・周囲一六キロメートル・面積三五〇ヘクタール(国の史跡)

三ツ鳥居

明神鳥居三基を組合せた独特の形式は、古来一社の神秘とされています(国の重要文化財)

拝殿

寛文四年(一六六四)四代将軍徳川家綱公改建(国の重要文化財)

 

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奈良県桜井市三輪

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