社号 | 巨勢山座岩椋神社 |
読み | こせやまにますいわくら |
通称 | 春日神社 等 |
旧呼称 | 巨勢谷春日 等 |
鎮座地 | 奈良県橿原市鳥屋町 |
旧国郡 | 大和国高市郡鳥屋村 |
御祭神 | 石椋孫神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月10日 |
巨勢山座岩椋神社の概要
奈良県橿原市鳥屋町に鎮座する神社で、式内社「巨勢山坐石椋孫神社」は当社とされています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
元々は当社の西方700mほどにある「桝山古墳」に鎮座していたと伝えられています。
「桝山古墳」は五世紀前半に築造されたと推定される方墳で、一辺85mであり方墳としては全国一位の規模とされている古墳です。この古墳は宮内庁により崇神天皇の皇子である倭彦命の墓「身狭桃花鳥坂墓」に治定されています。
『日本書紀』によれば、倭彦命が葬られた際に陪臣が殉死したがその様子が非常に痛ましかったため、後に日葉酢媛命の葬送の際には野見宿禰が殉死をやめて埴輪を作るよう提案したことが記されており、これが埴輪の起源となっています。(ただし考古学的に判明している埴輪の成立状況と大きく矛盾するため史実でないと見られる)
当社がこの桝山古墳に鎮座していた理由は不明で、そもそも古墳と関係のある神社なのかどうかもはっきりしません。
社名に「岩椋(イワクラ)」とあるからにはむしろ自然石を磐座とし祭祀したことが推測されそうですが、桝山古墳が当初からの鎮座地であるとの確証も無く、何とも言えないのが実情です。
また当社にいつしか春日神が勧請されたようで、現在も当社を「春日神社」とする資料も多く見られます。(或いは現在もそちらが正式の社号か?)
当社は明治二十年(1887年)に桝山古墳が倭彦命の墓に治定されるにあたり、八王子社の社地に遷座して八王子社を境内社としたと伝えられています。
しかし江戸時代中期の地誌『大和志』には「鳥屋村東南に在り」とあり、既に現在地にあったことを示唆しています。
伝承が錯綜しているのか、或いは『大和志』が方角を誤記している可能性も考えられるかもしれません。
一方、「巨勢山」とは一般にはJR・近鉄の吉野口駅の西方にある山々を指し、御所市古瀬にはその中腹にあたる地に「巨勢山口神社」も鎮座しているものの、その一帯は高市郡でなく葛上郡にあたります。
しかし古くは吉野口駅付近も高市郡に属していたと考えられており、『倭名類聚抄』に記載されている大和国高市郡の「巨勢郷」はこの付近であると推測されています。
従って「巨勢山」を冠する式内社「巨勢山坐石椋孫神社」の比定も吉野口駅西方の巨勢山に求めるべきとも考えられ、後述の『五郡神社記』は実際その地に鎮座する旨が記されています。
現在の当社の御祭神は「石椋孫神」で、『延喜式』神名帳における社名からしてもこの神を祭神とするのは妥当です。ただこの神は記紀などの史料に登場せず詳細は不明です。
しかし、室町時代の文書である『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)には延喜式神名帳に「孫」とあるのは誤りで「妣」が正しいとする旨を記しており、社名も「巨勢山坐石椋“妣”神社」としています。
また上述のように巨勢山(吉野口駅西方の山)に鎮座していたとあり、同じく巨勢山の山中にあるという式内社「許世都比古命神社」「天高市神社」(いずれも現在は全く異なる地の神社に比定)と共に「巨勢山坐三處神社」と総称したと記しています。
さらに『五郡神社記』は、伝承でなく愚考としつつ、大物主神が三穂津姫を連れて巨勢山に天降って子を生み、三穂津姫命を巨勢山に岩窟を造って祀った云々と推測していますが、言わんとすることはイマイチはっきりしません。
いずれにしても当社は巨勢山に鎮座し、男神でなく女神を祀るとする伝承があったようです。
このように式内社「巨勢山坐石椋孫神社」は現在は桝山古墳にあったという神社に比定していますが、「巨勢山」と冠すること、および『五郡神社記』の記述から、元は巨勢山に鎮座していた可能性があります。
巨勢山の山中にあった岩石を磐座として祭祀したのが「巨勢山坐石椋孫(媛?)神社」である、とする方が確かに自然でしょう。
当社および「許世都比古命神社」、そして或いは「天高市神社」についても、吉野口駅付近が高市郡巨勢郷だったとして式内社の比定を再考する必要があるかもしれません。
境内の様子
当社は鳥屋地区の集落の南東、貝吹山から北へ伸びる尾根上に鎮座しています。
当社の鎮座地は集落からやや離れた場所で、木々に囲まれた丘の上にあたります。
林道のような道を進むと東側の崖に石段が伸びており、これが当社への入口となっています。
石段の途中には西向きの鳥居が建ち、扁額には当社の社名「巨勢山座岩椋神社」と刻まれています。
ネット上の古い情報には当社を「春日神社」とするものが多いため、この扁額は恐らく比較的最近に設置されたものでしょう。境内には他に当社の社名を示すものもありません。
石段を上るとやや広い平らな空間となっています。
石段を上って右側(南側)に小さな手水鉢が配置されています。導水設備はありません。
正面奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入切妻造。右側(南側)の側面に庇が設けられており、一間分が増設されています。
拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製の比較的新しいもので、ところどころに彩色が施されています。
拝殿後方にブロック塀に囲まれて銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
上記のように当地は元々は八王子社の地で、現在は境内社となっているようですが、少なくとも見える範囲では見当たらず、ブロック塀の内部に鎮座しているのかもしれません。


地図
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