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飛鳥坐神社 (奈良県高市郡明日香村飛鳥)

社号飛鳥坐神社
読みあすかにいます / あすかにます
通称
旧呼称
鎮座地奈良県高市郡明日香村飛鳥
旧国郡大和国高市郡飛鳥村
御祭神事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神、高皇産霊神
社格式内社、旧村社
例祭2月第1日曜日

 

飛鳥坐神社の概要

奈良県高市郡明日香村飛鳥に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは極めて有力な神社でした。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

『延喜式』祝詞に所載されている『出雲国造神賀詞』(新任の出雲国造が天皇に対して奏上する祝詞)によれば、

  • 大穴持命が自身の和魂を倭大物主櫛厳玉命として大御和の神奈備(現在の「大神神社」/ 桜井市三輪に鎮座)に、
  • 命の御子である阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備(現在の「高鴨神社」 / 御所市鴨神に鎮座)に、
  • 事代主命の御魂を宇奈提(式内社「高市御縣坐鴨事代主神社」 / 橿原市雲梯町に鎮座の「河俣神社」に比定)に、
  • 賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に、

それぞれ鎮座させて皇孫の守護神としたとあります。

この内、賀夜奈流美命を鎮座させたという「飛鳥の神奈備」が当社の前身(後述)と考えられます。

このカヤナルミなる神は記紀などの史料に見えず、ただこの『出雲国造神賀詞』にのみ登場する神で、オオナムチの御子の一柱であることしかわかりません。

ただ物部系の史書である『先代旧事本紀』に、大己貴神が高津姫神を娶って一男一女を生み、子の「都味歯八重事代主神」は倭国高市郡の「高市社」に、また「甘南備飛鳥社」に鎮座していること、そしてその妹の「高照光姫大神命」は倭国葛木郡の「御歳神社」に鎮座していると記されています。

このことからカヤナルミはコトシロヌシの妹であるタカテルヒメと同一であるとする説があり、異論もあるもののカヤナルミは概ねコトシロヌシの妹神であるとされています。

なお『先代旧事本紀』の「高市社」とは式内社「高市御縣坐鴨事代主神社」(橿原市雲梯町に鎮座の「河俣神社」に比定)、「甘南備飛鳥社」とは当社の前身、「御歳神社」とは御所市東持田の「葛木御歳神社」と考えられます。(案内板は「高市社」と「甘南備飛鳥社」を同一の神社としているが別の神社とするのが妥当)

少なくとも、『出雲国造神賀詞』および『先代旧事本紀』から、飛鳥の神奈備にカヤナルミおよびコトシロヌシの二柱が祀られていたことがわかります。

 

上述のように飛鳥の神奈備とは当社の前身です。

平安時代の史書である『日本紀略』の天長六年(829年)三月の条に、賀美郷の甘南備山飛鳥社を神託により同郡同郷の鳥形山に遷すとあり、これが現在の当社と考えられます。つまり当社は元々は飛鳥の神奈備に鎮座していたのを現在地(鳥形山)に遷座したことになります。

当社の旧地である飛鳥の神奈備がどこであるかは諸説あり、

  • 当社の南方500mほど、岡地区の酒船石遺跡の辺りとする説
  • 当社の北西800mほど、雷地区の雷丘とする説
  • 当社の南方1.7kmほど、祝戸地区のミハ山とする説
  • 当社の南方3km?ほど、稲淵地区のどこかとする説
  • 式内社「加夜奈留美命神社」の地とする説

などなど多数があるものの、「賀美郷」がどの範囲を指すかが不明であることもあり、いずれとも決めることは出来ないのが現状です。

古くからあるのは雷丘とする説で、江戸時代にはすでに唱えられていたようです。

一方、『延喜式』神名帳には「加夜奈留美命神社」を記載しており、当社とは別にカヤナルミを祀る神社があったことがわかります。

一説に当社が飛鳥の神奈備から現在地へ遷座した後に旧地にカヤナルミの神霊を留めたのが式内社「加夜奈留美命神社」とする説があります。

しかし「加夜奈留美命神社」の所在も長らく不明となっており、栢森(カヤノモリ)の地名がカヤナルミに通じることから江戸時代中期の地誌『大和志』は栢森に鎮座していた当時「葛神」と呼ばれてた神社に比定しています。

このように「葛神」が飛鳥の神奈備とするには根拠が弱いことに加え、現在の栢森地区の「加夜奈留美命神社」は明治十二年(1879年)に復興したものであり、少なくとも現状は当社と「加夜奈留美命神社」の関係は薄いと言わざるを得ないでしょう。

 

なお、『新撰姓氏録』大和国神別に天事代主命の後裔であるという「飛鳥直」が登載されており、この氏族が当社を奉斎し、現在の社家もこの氏族の子孫であるとされています。

現在の当社の御祭神は「事代主神」「飛鳥神奈備三日女神」「大物主神」「高皇産霊神」の四柱。この内の「飛鳥神奈備三日女神」とはカヤナルミのことであるとされています。

『延喜式』神名帳には四座とあることから古くから四柱の神を祀っていたことは確実で、事代主神・飛鳥神奈備三日女神・大物主神は当社の来歴からして妥当であり創建当初から祀られていたことが考えられます。しかし高皇産霊神は全く無関係の神であり、この神を祀る理由ははっきりしません。

当社の御祭神に関してはこの四柱以外にも様々な説があり、アジスキタカヒコネやシタテルヒメなどを含める説があることを見れば、残る一柱はこうした大物主神の御子神だとするのが妥当と言えるかもしれません。

 

現在の当社はまさに飛鳥の中心と言える地に鎮座しており飛鳥地域の総鎮守的な雰囲気があるものの、不思議なことに当社は氏子を持っていません。

多くの式内社は律令制の形骸化と共に朝廷との関係が絶え、官社としての地位を失い、それに伴い周辺住民による祭祀へと移行し氏子が形成されますが、当社はそうならなかったようです。

その事情ははっきりしません。邪推するならば或いは皇孫の守護神として祭祀された当社の矜持なのかもしれません。

 

飛鳥山口坐神社

飛鳥坐神社の境内に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。

当社の御祭神は「大山津見乃神」「久久乃知之神」「猿田彦乃神」の三柱。

『延喜式』神名帳の大和国・山城国には「○○山口(坐)神社」と称する神社が15社記載されており、その中の一つが当社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、他の「○○山口(坐)神社」と同様、水源となる山間の地に山の神を祀り国家的に管理・祭祀したものと考えられます。

「○○山口(坐)神社」は全て『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座に加えられており、このことからも「○○山口(坐)神社」が水を司る神として朝廷から重視されたことが窺えます。

『延喜式』祝詞の祈年祭に飛鳥、石村、忍坂、長谷、畝火、耳無の各山口神社はその山の木材を伐り出し宮殿とした旨が記されており、「○○山口(坐)神社」は用材の産地として樹木を守護する神でもあったことが考えられます。

 

当社の旧地や当地への遷座時期ははっきりしません。一説には江戸時代に当地に遷座されたとも言われています。

室町時代の文書『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)には飛鳥山口坐神社について「加美郡飛鳥山裂谷に在り。飛鳥川川上と為す。」とあるものの、その具体的な場所は不明です。

酒船石遺跡の東方に「坂谷」もしくは「酒谷」と呼ぶ小字があるといい、或いはこの地ではないかとする説もあります。

いずれにせよ飛鳥地域一帯の水源たる山および木材を守護する神だったと思われ、現在地からそう遠くない地に鎮座していたことが考えられます。

 

お田植祭(おんだ祭)

飛鳥坐神社では毎年2月第1日曜日に行われる「お田植祭」(おんだ祭)で知られています。

社殿の手前側に立つ神楽殿において行われ、第一部では他地域でも行われるような田植えの所作が行われますが、第二部では天狗とオカメが登場し、天狗が男根に見立てて竹筒を振り回したり、二人が夫婦和合の所作をしたりする非常に珍奇なものとなっています。

その後、二人が懐中から取り出した紙を股間に押し当てて観客に投げ入れますが、これは股間を拭いた紙が「福の神」に通じ、子宝に恵まれるとされています。

この祭りは全国的にも奇祭として非常によく知られており、この日は遠方からも多くの人々が詰めかけ大いに賑わいます。

 

境内の様子

飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

当社は飛鳥地区の集落の東方、御破裂山の北西麓へ伸びるちょっとした丘の上に鎮座しています。『日本紀略』によればこの丘を「鳥形山」と呼んでいます。

この丘の西麓に西向きの鳥居が建っており、境内入口となっています。

 

鳥居手前の左側(北側)に手水舎が建っています。

 

また鳥居手前の右側(南側)には「飛鳥井」と呼ばれる井戸があります。古くからの霊水のようです。

 

鳥居をくぐると正面に参道となる石段が伸び、左側(北側)に社務所が建っています。

この石段途中の右側(南側)に「祓戸社」が北向きに鎮座。御祭神は「瀬織津比咩神」「速開都比咩神」「気吹戸主神」「速須佐良比咩神」。

社殿は銅板葺の一間社流造。

奈良県の大規模な神社では本社参拝前に祓戸社に参拝することで穢れを祓い身を清める風習が見られ、当社でも恐らくそうなのでしょう。

 

石段を上ったところの突き当りの石垣上に「力石」があります。赤に塗られた箱型の鉄格子に納められた小型のもので、片手で持ち上げるものとなっています。

鉄格子に掲げられた札には「男の人は左手で、女の人は右手で持ち上げると幸福がつかめると云われています」とあります。

 

力石の左右にはこのような陽石(男根状の岩石)が配置されています。

この区画のみならず、当社境内は非常に数多くの陽石が置かれています。

飛鳥付近は非常に数多くの石造物があることで知られており、恐らく当社境内のこれら岩石はかつて周辺にあったものがいつの頃か集められたものと思われます。

 

参道は突き当りから右側(南側)へ伸びており、力石の右側(南側)には四社が相殿になった境内社が西向きに建っています。

祀られている神社や祭神は不明。社殿は銅板葺の四間社流見世棚造。

 

この先は南東方面へ石段が伸び、この上が社殿等の建つ主要な空間となります。

 

飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

先の石段を上り左側(北側)を見ると、石段上に南向きに社殿が並んでいます。

拝殿は銅板葺の妻入入母屋造で、基壇の上に建っています。

この社殿は川上村迫に鎮座する「丹生川上神社上社」からダム建設に伴う遷座の際に譲渡されたもので、大正六年(1917年)に建立されたもの。当時の丹生川上神社上社はまだ官幣大社ではありませんでしたが、それに匹敵するかなり立派な社殿です。

 

拝殿後方に本殿が建っているものの、瑞垣に阻まれて殆ど見ることができません。手持ちの資料によれば銅板葺の四間社流造のようです。

 

本社拝殿の左側(西側)に建つ建物。用途不明ですが神饌所でしょうか。

 

そして南側には本社社殿と向かい合うように銅板葺・平入切妻造の神楽殿が北向きに建っています。

全国的に知られる「お田植祭(おんだ祭)」はこの神楽殿で行われます。社殿と神楽殿の間はそう広くないため、当日はかなりの人でごった返すことになります。

また神楽殿の右側(西側)の春日造のような建物は「西良殿」と呼ばれています。恐らく神事における詰所なのでしょう。

 

境内は社殿前から東側へと広がっており参道が続いています。

 

途中にあった岩石。これは陽石と陰石(女陰状の岩石)が対になったもの。

当社境内は陽石に比べて陰石は少なく、あっても単独でなくこのように陽石と対になっています。

 

参道を奥へ進むと石段があり、その上は広い空間となっており数多くの境内社が配置されています。

 

この空間の左側(西側)に五社の境内社が一宇の覆屋に納められて東向きに並んでいます。

これらの社名・祭神は不明。社殿はいずれも板葺の春日見世棚造。

 

六社の右側(北側)に「白髭神社」が南向きに鎮座しています。社殿は板葺の一間社春日造で覆屋に納められています。

社殿の周囲に狛狐や狐の置物が配置されており、稲荷系の神社なのでしょう。

 

白髭神社の右側(東側)に八社が相殿となっている境内社が南向きに建っています。

社名・祭神は不明。社殿は銅板葺の四間社流見世棚造で、一間に二室、計八室に分かれています。

 

八社相殿の右側(東側)に「八幡神社」が南向きに鎮座しています。

この神社は銅板葺・妻入入母屋造の拝殿と銅板葺・一間社流造の本殿、さらに本殿を囲う瑞垣や中門をも備えており、当社の境内社の中では最も格式が整えられています。

当社の境内社の中でも特に重要な神社なのでしょう。

 

八幡神社からはさらに東へと参道が続いています。

 

この参道の右側(南側)の傍らにこのような人面とも取れる岩石が配置され、注連縄も掛けられています。

飛鳥地域一帯には猿石や石人像などをはじめ用途不明の奇抜な石造物が数多く所在しています。

これもその一例と思われるものの、風化が激しいためかあまり飛鳥の石造物群として取り上げられることはありません。

当初からこの地にあったものとも思われず、どのような来歴でここに置かれるようになったのかもはっきりしません。

 

参道途中、左側(北側)に二社の境内社が南向きに鎮座しています。

社名・祭神は不明。いずれも板葺の春日見世棚造。

 

この参道の突き当り、石段上の小高くなった区画に二社の境内社が西向きに建ち、一棟の覆屋に納められています。

いずれも社名・祭神は不明で、社殿は檜皮葺の一間社流造。他の境内社よりもやや大規模な社殿となっています。

 

この境内社で特徴的なのは、二社の間に陽石・陰石が配置され、覆屋にもこのための専用の区画が設けられていることです。

なおこの陽石と陰石は石材が異なっており、陽石は花崗岩ですが陰石は砂岩(?)らしき石材で、当初からの対ではなく別々にあったものだったことが推測されます。

 

二社の境内社・陰陽石からさらに右奥(南東側)へと境内は続いており、この区画が当社境内の最奥部となります。

 

この区画の手前左側(北側)に境内社が南向きに建っています。

社名・祭神は不明。当社境内社のなかでこの神社のみが朱塗りとなっています。損傷が激しいものの、恐らく板葺の春日見世棚造だったと思われます。

 

この区画の奥側、当社境内の東側最奥部となる地に「奥の社」が西向きに鎮座しています。御祭神は「天照皇大神」「豊受大神」。

社殿は茅葺の神明造で、妻入切妻造の覆屋に納められています。

さらに社殿後方には当社で最大の陽石が安置されており、この太ましく屹立する岩石は「奥の大石」と呼ばれています。覆屋に掲げられている札には「奥の大石 御皇産霊神」とあります。神名が付与されており当社の陽石の中でも最も神聖なものだと思われますが、この石自体が御皇産霊神であるのか、それとも御皇産霊神の宿る石とされているのか、つまりこの石は石神なのか磐座なのかはイマイチはっきりしません。

 

奥の社の周辺には非常に多くの陽石が並べられています。数える事すら諦めるほどの量があり、周辺一帯から当社へ集められたにしてもこれだけの陽石があったのかと驚かされるばかりです。

 

奥の社から南側の崖下の道を通って本社社殿へと戻ることができ、この途中に式内社の「飛鳥山口神社」が北向きに建っています。

御祭神は「大山津見乃神」「久久乃知之神」「猿田彦乃神」の三柱。

社殿は板葺の一間社春日造で、妻入切妻造の覆屋に納められています。

詳細は上記概要をご参照ください。

 

当社周辺の飛鳥地区の町並み。当社の鳥居から西へまっすぐ道が伸び、その南北に古い家屋がよく残っており昔ながらの町並みとなっています。

当地にはかつて蘇我氏の氏寺であった「法興寺」が建立され、現在はその後身である真言宗豊山派の寺院「鳥形山飛鳥寺」があり飛鳥時代に止利仏師によって作られた「飛鳥大仏」が安置されています。

まさしく当地は南に隣接する岡地区と共に飛鳥地域の中心的な地であると言えます。

 

タマヨリ姫
歴史もすごくあるみたいだし、まさに飛鳥の中心の神社って感じだね!
そうね、この地も飛鳥地域の中心と言える場所よ。でも不思議なことにこの神社は氏子を持っていないのよ。
トヨタマ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板「飛鳥坐神社(あすかに います じんじゃ)」

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飛鳥坐神社(あすかに います じんじゃ)

御祭神

八重事代主神
飛鳥神奈備三日女神
大物主神
高皇産霊神

由緒

当神社の創建は定かではありませんが 古典によりますと 当社御祭神の事代主神は「大国主神の第一子で 国譲りの際信頼を受け 父神のご相談にのられました その後首渠神(ひとごのかみ)として八十万の神々を統率し高市に集まり この天高市(飛鳥)に鎮まりました」とあります また 先代旧事本紀には 「大己貴神(大国主神)は高津姫神を娶って一男一女を生み その御子神である事代主神が 高市社である甘南備飛鳥社に鎮座されている」と記載されています なお高市とは「うてなの斎場(いつにわ)」と呼ばれ 「小高い所にあるまつりの庭」を意味するといわれています

また 万葉集の中でも「飛鳥の神奈備」は 人々の信仰も篤く「手向けの山」として数多く謳われています。

日本紀略によれば 天長六年(八二九)高市郡賀美郷にある神奈備山から 同郡同郷である 現在の地(鳥形山)に神託によって遷座されたことが記載されています また 廷喜式神名帳には「飛鳥社四座並びに名神大 月次 新嘗 相嘗」と記され 当時の神社の格付けの中で上位に置かれていたことが伺えます

古代より国・民の重要な守護神として この飛鳥に鎮まる当社には氏子はなく 創始以来お護りしてきた神主家は神主太比古命が崇神天皇より「大神朝臣飛鳥直」の氏姓を賜わり 「飛鳥」の姓で今に至っております 初代は 天事代主神から数えて七世に当たることが「世系図」や「新撰姓氏録」に記され 現在の宮司は八十七代目に当たります

御神徳

事代主神には「都味歯ハ重事代主神」・「於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神(あめにことしろそらにことしろたまくしいりひこいづのことしろぬしのかみ)」という尊称があり 天地・宇宙に広がる御神徳が 八重に積み重なっている神様です

家内安全 商売繁盛 開運厄除 夫婦和合 身体健康 生育安全 念願成就等の御神徳があります

また「むすひの神」として 相ふさわしいものを結びつけるとされる御神徳は 子宝 安産 縁結びの神として全国に広がっています  なお「創造・創作の導き神」として芸術に携わる人々の信仰にもつながっています

 

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奈良県高市郡明日香村飛鳥

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