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岐多志太神社 (奈良県磯城郡田原本町伊与戸)

社号 岐多志太神社
読み きたした
通称
旧呼称 大根神? 等
鎮座地 奈良県磯城郡田原本町伊与戸
旧国郡 大和国式下郡伊与戸村(大木村?)
御祭神 天香山語命、天児屋根命
社格 式内社、旧村社
例祭 10月6日

 

岐多志太神社の概要

奈良県磯城郡田原本町伊与戸に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありません。

当社の社名「岐多志太(キタシタ)」については諸説あり、

  • 当地がかつて「興田(オキタ)庄」であり、語頭の「オ」が除かれて「キタ」となり、それに南を意味する「シタ」が付いて「キタシタ」となったとする説
  • 「キタシタ」は「鍛冶師田」の意で饒速日命の十一世孫、「鍛冶師連公」に因むとする説

などがありますがいずれも根拠は薄いと言わざるを得ません。

前者について、都から遠い側や川の下流側を指して「下(シモ)」と表現することは古くから見られる一方で南を「シタ」と表現する例は知られておらず、「興田」の語頭を除いたとするのも都合のよすぎる解釈です。

後者について、「鍛冶師」を「キタシ」と読む例はこれまた知られておらず、「鍛冶」は「金打(カネウチ)」が転訛して「カヌチ」「カヂ」と読むようになったものであり、『先代旧事本紀』でも「鍛冶師連公」は「カヂ」もしくは「カヌチ」としています。

このようにいずれの説も無理がありますが、一方で当地に隣接する大木地区(当社の祭祀も大木地区が行ったという)は「カヂヤカイト」「カンヂャウ」といった鍛冶に関係すると思われる小字があったといい、一概に鍛冶と無関係であると捨てきれるものでもないかもしれません。

また『先代旧事本紀』は物部鍛治師連公は鏡作・小軽馬連らの祖とも記しています。当地の西方一帯に「鏡作坐天照御魂神社」はじめ「鏡作」の名の付く式内社が多く所在し、『倭名類聚抄』に記載されている大和国城下郡鏡作郷だったとされることから、当地付近に金属加工を応用して鏡を製作した物部系の人々が居住していた可能性も考えられます。

さらに『大和志料』に「聞書覚書」として、十市根の四世孫、布留久留命の子である「大木連」は大木氏の祖であり当地(大木地区)に居住したとする旨を記しています。

しかし『先代旧事本紀』には布留久留命でなく物部布”都”久留連公とあり、また一人の子を生んだとはあるものの「大木連」なる人物の名は登場しません。(ただしニギハヤヒ四世孫に「大木食命」なる人物はいる)

『新撰姓氏録』などにも当該氏族は登載されておらず、そのような氏族が実在していたかは不明です。伝承として当地に物部氏の子孫が居住していたと伝えられていたのでしょうか。

 

当社の現在の御祭神は「天香語山命」「天児屋根命」の二柱です。天香語山命は尾張氏の祖の一柱で、『先代旧事本紀』では尾張氏と物部氏は共通の祖(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)を持つとしているものの、これは『先代旧事本紀』の作為であると見られ、基本的には尾張氏と物部氏は別氏族です。

当社で尾張氏の祖と中臣氏の祖が祀られている理由は不明。上述のように仮に当地で伝承として物部氏の子孫が居住していたと伝えられていたのならば猶更不思議です。

一方で当社の案内板は天香語山命について、「石凝姥命とも呼び」「天香語山命は天ノ岩戸神話で天照大御神を岩戸から出すのに歌舞音曲を用いた」とありますが、こうした描写は『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』『古語拾遺』など各種史料には一切ありません。

そもそも天香語山命は天岩戸の段に登場しておらず、案内板の説明は極めて斬新かつ独創的なものと言えます。もし当地でそのような伝承があったとするならば驚くべきでしょう。(なお『日本書紀』の天岩戸の段で一書に曰くとして石凝姥命が天香山で金を採ったとあるが、ここでの天香山とは山の名である)

ただ大木地区は上述の鍛冶関連の小字に加え「フエノキ」「ツツミウチ」「ヒョシダ」といった雅楽に関すると思われる小字もあるといい、雅楽に携わる人々が居住していた可能性は考えられそうです。

 

このように当社については要領を得ない伝承(?)や説が多く、全く以て謎多き神社となっています。

 

境内の様子

岐多志太神社

岐多志太神社

当社は伊与戸地区の集落北方に鎮座しており、田圃に囲まれたこんもりとした小さな森が境内となっています。

西側の道路から畦道状の参道が伸びており、入口に西向きの鳥居が建っています。

 

鳥居をくぐって右側(南側)に手水舎が建っています。

 

岐多志太神社

岐多志太神社

鳥居をくぐって左側(北側)に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。小柄な建物ですが、境内そのものが狭いため窮屈な印象を受けます。古くはさらにこの半分以下の規模だったようです。

 

拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製でやや新しいもの。

 

拝殿後方の基壇上に神明鳥居が建ち、塀に囲まれて二宇の本殿が建っています。

見えにくいものの、いずれも銅板葺の春日見世棚造です。

 

タマヨリ姫
キタシタって変わった社名だね!どんな意味があるんだろう?
色んな説があるけどどれも決め手は無いわね。この神社自体にも古事記や日本書紀に載っていないような独特な説があるみたいね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「延喜式内社 旧 城下郡 大木 岐多志太神社」

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田原本歴史遺産 神々を訪ねて

延喜式内社 旧 城下郡 大木 岐多志太神社

祭神 天香語山命 天児屋根命 二柱

岐多志奴神社は村屋座彌富都比売神社の北北西約400mの大宇伊与戸と大宇大木の間にあり、楠、欅、大樹の鎮守の森に西面して、大正八年の石鳥居か建ち、境内に南面して、拝殿と二柱の本殿がある。本殿は、石垣基壇上に、二殿並び建ち、板葺、銅板で覆う春日造で、本殿の前に、神明造の木鳥居か建つ。

この神社の祭神 天香語山命の名は、石凝姥命とも呼び、天児屋根命と共に、鏡作座天照御魂神社と同じ、石疑姥命・天児屋根命を祀る。この地域の祖の物部大木連一族に、鏡作連の祖、鍛冶師連があり、「岐多志太」は「鍛冶師田」の萬菓仮名文字の表記か。大木に「カヂヤカイト」「カンヂャウ」の小字名があり、これらに関わる地名か。

又、天香語山命は天ノ岩戸神話で天照大御神を岩戸から出すのに歌舞音曲を用いた事から、芸能の神とされ、この大木に「フエノキ」「ツツミウチ」ヒョシダ」の小字名があり、雅楽に関連する地であったのではないだろうか

大正10年「岐多志太神社由緒」奈良女子高等師範学校教授 水木要太郎 編

平成8年9月28日「岐多志太神社拝殿造営記念」大字大木自治会・岐多志太神社 守屋広尚文書 より

この神社の旧社名は、太根命であったが、明治7年(1874)の神仏分離令の時、式内社 岐多志太神社となった。岐多志太神社は 崇神天皇七年の鎮座と伝えられている。(明治十二年 大和国式下郡神社 明細帳)

拝殿は、大正十年(1921)に三間半×二間と従来の二倍以上の規模に改築された。

平成20年度 No.7 田観3 田原本町観光協会

 

地図

奈良県磯城郡田原本町伊与戸

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