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白堤神社 (奈良県天理市長柄町)

社号白堤神社
読みしろつつみ / しろとり
通称
旧呼称白鳥明神 等
鎮座地奈良県天理市長柄町
旧国郡大和国山辺郡長柄村
御祭神日本武尊
社格式内社、旧村社
例祭9月22日

 

白堤神社の概要

奈良県天理市長柄町に鎮座する式内社です。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、『新撰姓氏録』大和国神別に天櫛玉命の八世孫、大熊命の後裔であるという「白堤首」が登載されており、この氏族が当地に居住し祖神を祀ったのが当社と考えられます。

当社の旧地(後述)は南池(白鳥池)と呼ばれる堤の上にあったといい、或いはこの池の堤の守護神としての神格もあったかもしれません。

 

当社は江戸時代以前には「白鳥明神」と称し、「日本武尊」を祀る神社でした。現在も同神を御祭神としています。

これはヤマトタケルが伊勢の能褒野で亡くなった後に白鳥となって飛び立ったとする記紀の記述に結び付けた付会であると思われ、「白堤(シロツツミ)」が「白鳥(シロトリ)」に転訛したものである可能性があります。

一方、当社の境内社に「大熊神社」が鎮座しており、「白堤氏」の祖である「大熊命」を祀っています。一説にはこちらが本社だったものの、いつの頃か境内社だった白鳥社が本社となり、本社だった大熊神社が境内社となったのであろうとも言われています。

本来の神が新しく勧請された神に追いやられ境内社となる例は全国的に見られ、当社もその例である可能性があります。しかしそうなれば本来の「大熊神社」=「白堤神社」(?)とは別に「白鳥社」があったことになり、「白鳥社」が当地に祀られる理由が不明となる点に疑問があります。

邪推するならば、白堤氏の根本の祖である「天櫛玉命」を祀る神社として「白堤神社」が、その八世孫である「大熊命」を祀る神社として「大熊神社」が祀られ、前者が式内社となったものの、後世に「白鳥神社」と転訛し本来の御祭神も忘れられたのかもしれません。

 

前述のように現在地は本来の地でなく、元々は現在地の南西約300mほどの地にあり、旧地であることを示す石碑が建っています。

この地は南池(白鳥池)の西堤上にあったといい、実際に大正頃の地図を見てみると鳥居の地図記号の東側に隣接して南北方向にやや長い方形の池が描かれています。集落から離れた地で、周囲が田圃である点は現在と同じです。

しかし第二次世界大戦の最中である昭和十九年(1944年)に大和海軍航空隊飛行場建設のためにこの池を埋め、当社も小学校の校庭に遷されました。戦後の昭和二十一年(1946年)に現在地に社殿を新造して遷座したとされています。

旧地でなく現在地に遷した理由ははっきりしません。大正頃の地図を見ると現在地のすぐ北側に学校があることから、旧地からの遷座先は恐らくそこだったのでしょう。

いずれにせよ旧地よりは集落に近い地となり、社域も旧地より広くなっているものと思われます。戦後の遷座は、長柄町における新たな信仰拠点として再出発の意味が込められていたのかもしれません。

 

境内の様子

白堤神社

当社は長柄町の集落の南方に鎮座しています。境内西側に入口があり、鳥居が西向きに建っています。

当社は戦時中に飛行場建設のために遷座されるなど戦争と不可分であることからか、鳥居の左側(北側)に隣接して慰霊碑が建っています。

 

鳥居をくぐった様子。森の中を左へ湾曲した参道が伸びています。

 

さらに参道を進んだ様子。参道の奥に社殿が建っているのが見えてきます。

 

参道途中、右側(南側)に手水舎が建っています。

 

白堤神社

白堤神社

正面奥に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺・平入切妻造に小さな千鳥破風の付いたもの。

 

拝殿前に配置されている狛犬。砂岩製のしっかりした造形。旧地から持ってきたものでしょうか。

 

拝殿後方、玉垣に囲まれて銅板葺の一間社流造に千鳥破風と軒唐破風の付いた本殿が建っています。

 

境内社等

本社本殿の左側(北側)に「三寶神社」が西向きに鎮座。御祭神は「保食神」。朱鳥居が三基建ち、狛狐が配置されており、稲荷系の神社です。

鳥居の後方には桟瓦葺・平入切妻造の割拝殿が建っています。

そして割拝殿の奥の基壇上に玉垣に囲まれて「正一位三寶大明神」と刻まれた石碑が、さらにその左側(北側)に一棟、右側(南側)に二棟の社殿が建っています。

 

本社拝殿の手前左側(北西側)に「大熊神社」が南向きに鎮座。御祭神は白堤氏の祖である「大熊命」。一説にこの神社が本来の本社だったとも言われています。

社殿は銅板葺の一間社流造で朱塗りの施されたもの。

 

「大熊神社」の社殿前に配置されている狛犬。砂岩製の小ぶりなもの。とはいえこの神社が境内社の中でも特別な地位にあることを物語っているのでしょう。

 

本社社殿、大熊神社、三寶神社の配置はそれぞれこのような感じ。三寶神社は境内の最も奥にある格好になります。

 

道を戻り、参道途中の左側(北側)に「三社神社」が南向きに鎮座。これは三社が相殿となったもので、社殿は銅板葺の三間社流見世棚造。

祀られているのは左側(西側)からそれぞれ次の通り。

  • 皇大神宮社」(御祭神「天照皇大神」)
  • 春日神社」(御祭神「天児屋根命」)
  • 八幡神社」(御祭神「誉田天皇」)

 

三社神社の左側(西側)に「愛宕神社」が南向きに神社。社殿は銅板葺の二間社流見世棚造。

左側(西側)に「迦具土神」を、右側(東側)に「彦火火出見命」を祀っています。

 

翻って参道の右側(南側)、手水舎の西側に隣接して「竜王神社」が西向きに鎮座。御祭神は「高龗神」。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

さらに参道途中の左側(北側)には曼荼羅を刻んだ石碑も建っています。

 

当社境内を南方から見た様子。

当地での祭祀の歴史は75年(2021年現在)とかなり新しいですが、当地への遷座の際に植樹されたといい、現在はそれなりの社叢が形成されています。

 

旧地

白堤神社 旧地

本社境内の南西約300mほどの田圃の中に当社の旧地があり、そのことを示す石碑が建っています。

昭和十九年(1944年)に大和海軍航空隊飛行場建設のために小学校の校庭に遷され、戦後の昭和二十一年(1946年)に現在地に社殿を新造して遷座しました。

 

旧地の石碑と現在の本社の社叢(奥に見える森)。

旧地の現在は再び農地となっており、飛行場も神社もここにあったとは思えないような地となっています。

 

タマヨリ姫
立派な森に見えるけど、ここに遷ってきたのは結構最近のことなんだ!
戦時中に建設された飛行場の用地となって、それで紆余曲折あって今の地に落ち着いたみたいね。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「白鳥大明神 延喜式内社 白堤神社」

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白鳥大明神 延喜式内社 白堤神社

祭神

日本武尊(景行天皇の皇子)

大和は 国のまほろば たたなづく 青かぎ 山ごもれる 大和し 美し

古事記にあるこの歌は、日本武尊が東国からの帰り、はるかに大和の国を思い出して歌われたものと伝えられている。景行天皇の命を受け、国の繁栄のため九州から出雲国、さらに関東から東北へと進まれたが、その帰り伊吹山で病にかかり、能煩野(亀山市内)で亡くなられた。ところが、尊の魂は白鳥となって陵から飛び立ち、河内へ、さらに大和へ向かったと伝えられている。

日本武尊のこうしたロマンに満ちた御活躍を偲び、御神徳のいよいよ広まるように全国各地で日本武尊を白鳥大明神としてお祭りするようになった。

白堤神社は、県下で尊をお祭りするただ一つの神社である。

当社は平安時代に国から幣帛を授受する延喜式内社に指定された

 

地図

 

旧地

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