社号 | 宮浦神社 |
読み | みやうら |
通称 | |
旧呼称 | 白髭大明神 等 |
鎮座地 | 兵庫県姫路市家島町宮 |
旧国郡 | 播磨国揖東郡家島 |
御祭神 | 猿田彦神、天照皇大神、武甕槌神、底筒男神 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 11月2日、3日 |
宮浦神社の概要
兵庫県姫路市家島町宮に鎮座する神社で、式内社「家嶋神社」の論社の一つです。
社伝によれば、元慶七年(883年)に比叡山の高僧であり坊勢島(家島の南にある島)に配流されていた「覚円」なる人物が、夢告により故郷の近江国高島郡の白鬚大明神(現在の「白鬚神社」/ 滋賀県高島市鵜川に鎮座)を勧請したのが当社であると伝えられています。
伝承では覚円は比叡山西塔実相院の僧侶で、元慶七年に論争により坊勢島へ配流され、その地で坊勢寺を創建したと言われています。坊勢島の名はこの坊勢寺に因むと言われているものの、江戸時代には既に廃寺となっていたようです。
天台宗の覚円といえば藤原頼通の子であり宇治僧正とも呼ばれた人物が有名ですが、この人物とは時代も出自も全く異なる点に注意が必要です。
一方で江戸時代には式内社「家嶋神社」を現在の「家島神社」(当時は「天満宮」と称した)でなく、当時白髭大明神と呼ばれていた当社に比定する説が主流でした。
江戸時代の地誌『播磨鑑』『播州名所巡覧図絵』や神社を考証した『神名帳考証』『神名帳考証土代』『神社覈録』等の資料も軒並み式内社「家嶋神社」を当社としています。
なお『神社覈録』は「或人云」として、元慶七年に創建された神社が式内社であるのは不審として真浦の荒神社(現在の「真浦神社」/ 真浦地区に鎮座)ではないかとする説を紹介しつつ、縁起が正しいとは限らないとしてその説を退けています。
江戸時代に式内社「家嶋神社」が当社とされた根拠ははっきりしません。
推測するならば、当時は宮地区が家島の中心であり、かつ当社が家島を代表する神社であると見做されていたことが考えられるかもしれません。
家島は古くから宮地区と真浦地区の二つの集落で構成されており、今では真浦港のある真浦地区が家島の中心となっています。
しかし『播州名所巡覧図会』の家島の挿絵を見ると、現在真浦港として家島の玄関口となっている湾奥には人家がなく、そこから北にあたる入江(現在「網場」と呼ばれている辺りか?)に真浦の集落が描かれています。
現在の家島の町並みの多くは近代以降に盛んになった造船業や採石業等によって爆発的に人口が増えた結果新たに形成されたもので、江戸時代には両集落とも、特に真浦地区は今よりもかなり小規模なものだったようです。
一方、家島神社の例祭であり7月24日から25日にかけて家島全土で行われている「天神祭」は、現在もまず当社で御神火を採ることによって始まるといい、家島における当社の重要性が示されています。
また江戸時代には番所が宮地区に設けられており、このことも往時は宮地区が家島の中心だったことを示唆しています。
そして「宮」の地名も恐らく古くからの集落の中にある当社に由来するものでしょう。
このように見れば、江戸時代には当社が家島を代表する神社と認識され、そして式内社「家嶋神社」は家島を代表する神社であるべきと考えられた故に当社に比定された、と考えることが出来そうです。
しかし慶応四年(1968年)に天満宮が式内社と認められ、そちらが「家島神社」と改称し現在に至っています。この理由や経緯ははっきりしません。
現在では一般に式内社「家嶋神社」は当社でなく、かつて天満宮と呼ばれていた現「家島神社」の方であるとされています。
しかし家島の歴史を紐解くならば、式内社であるとは断言し得ないまでも、当社の存在は決して無視することは出来ないでしょう。
境内の様子
当社は宮地区の旧集落に鎮座しています。人家の密集した地に所狭しと佇む印象。
境内の南側に境内入口があり鳥居が南向きに建っています。
この鳥居は元禄五年(1692年)に建立されたもの。
かつての鳥居は海中に建っていたと伝えられており、勧請元である近江の白鬚神社を彷彿させるものだったようです。
鳥居をくぐって左側(西側)に手水舎が配置されています。
境内の正面奥に社殿が南向きに並んでいます。社殿は昭和六十三年(1988年)に建て替えられたといい、建て替え前の社殿は天明五年(1785年)に建立されたものだったようです。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造で、軒唐破風付きの向拝と千鳥破風の付いたもの。
拝殿前に花崗岩製の狛犬が配置されています。比較的新しいもの。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の流造。幣殿で拝殿と接続しており、権現造の様式となっています。
本社拝殿の右側(東側)に二社の相殿が南向きに鎮座。祀られているのはそれぞれ次の通り。
- 左側(西側)「竈社」(御祭神「奥津彦神」「奥津姫神」)
- 右側(東側)「恵美酒社」(御祭神「蛭子大神」)
社殿は銅板葺の流見世棚造。
当社境内の向かいには例祭で練り出される神輿型の屋台を保存する屋台蔵があります。
屋台蔵の正面はガラス張りで、内部に保存されている屋台を見学することが可能。(ガラスの反射が激しいため当記事では割愛)
境外末社「海神社」
当社の北西350mほどの地に当社の境外末社「海神社」が鎮座しています。
崖にへばりつくような非常に狭い境内で、入口には鳥居が北東向きに建っています。
鳥居をくぐると銅板葺の一間社流造の本殿が北東向きに建っています。
海神社の祭神、創建由緒等は不明。
社名から海神もしくは龍神が祀られているものと思われます。
参考までに、『播磨国風土記』揖保郡浦上里条に安曇連百足が移住してきたことが記されています。
安曇氏は海人を率いた海人族の長で、海神である綿津見命を祖としています。そして揖保郡浦上里は家島の対岸にあたるたつの市御津町付近に比定されています。
この揖保郡浦上里の安曇氏は岩見地区などの浦や揖保川の河口等を海運の拠点にして活躍したと思われ、その目と鼻の先であり瀬戸内海の要衝たる家島にも影響を及ぼした可能性が高いと言えることでしょう。
そしてさらに想像を逞しくすれば、或いはこの海神社は安曇氏に関係するものだったのかもしれません。
なお、真浦地区にも真浦神社の境外末社として「真浦海神社」が鎮座しています。
由緒
案内板
宮浦神社
地図
海神社
関係する寺社等
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