社号 | 天一神社 |
読み | てんいち |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県佐用郡佐用町東徳久 |
旧国郡 | 播磨国佐用郡東徳久村 |
御祭神 | 天之御中主大神 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 1月2日 |
天一神社の概要
兵庫県佐用郡佐用町東徳久に鎮座する神社です。式内社「天一神玉神社」は当社に比定されています。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。
『文徳実録』天安元年(857年)八月十六日条に「在播磨国正六位上天一神授従五位下」とあり、これが記録に見える当社の初見です。そのすぐ後の八月二十三日条には官社に預るとあります。
江戸時代の地誌『播磨鑑』は当社の御祭神を「天御中主大神」とし、現在もこれを踏襲しています。
式内社で造化三神の一柱であるこの神を祀るのは珍しく、大阪府守口市馬場町の「高瀬神社」や兵庫県西宮市小松南町の「岡太神社」など若干の例があるのみとなっています。
この神を祀るようになった理由ははっきりせず、或いは社名からの付会とも考えられます。
一方で本来の御祭神は金属神であるアメノマヒトツではないかとする説もあり、社名から祭神を推測するならばそちらの方が妥当と言えるかもしれません。
また陰陽道における方角神の天一神を祀るとも考えられるものの、式内社の祭神として妥当かは微妙なところでしょう。
当地の北に隣接する平松地区で弥生時代の銅剣が出土したといい、兵庫県指定文化財となっています。一説に当社の御神体であるとも言われているものの当社との関連は不明で、参考程度に見ておくべきでしょう。
境内の様子
当社は東徳久地区の北側、間村という字にある丘の頂に鎮座しています。
田圃の広がる麓から丘を見上げると当社の鳥居が建っているのが見えます。
当社への登山道の入口は獣除けの柵が設置してあります。
柵を越えてしばらく進むと麓から見えていた鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐると鬱蒼とした森の中の山道を進んでいくことになります。
途中、「書道の神」を祀るという境内社(?)が鎮座しています。
覆屋の中に二基ほどの祠が納められています。
この神社の下にある岩は「天神降臨之岩」と呼ばれるらしく、恐らくここに神が降臨したという伝承があるのでしょう。
案内板
書道の神
そこからさらに山道を登っていくと当社の社殿が見えてきます。
社殿の建つ空間は丘の頂になっており、狭いながらも平らな空間となっています。
社殿は南向きに並んでおり、拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造の割拝殿です。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿内部の様子。鈴の緒は後方に建つ幣殿に設置されています。
右側には少し不気味な馬の像が置かれていました。
拝殿後方に幣殿及び本殿が建っています。上述のように参拝客は幣殿前で参拝することになります。
本殿は覆屋に納められているようで外からは全く見えません。
道を戻ります。鳥居の建つ辺りからは東徳久地区に広がる田園風景を一望できます。
由緒
案内板
天一神社由緒 東徳久字西間村鎮座
地図