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御坂神社 (兵庫県三木市志染町御坂)

社号御坂神社 / 御阪社
読みみさか
通称
旧呼称
鎮座地兵庫県三木市志染町御坂
旧国郡播磨国美嚢郡上村
御祭神八戸掛須御諸神、大物主神、葦原志許男神
社格式内社、旧郷社
例祭5月3日

 

御坂神社の概要

兵庫県三木市志染町御坂に鎮座する神社で、式内社「御坂神社」の複数ある論社の一つです。

式内社「御坂神社」の神については『播磨国風土記』美嚢郡に記されており、志深(シジミ)里に鎮座する三坂神は「八戸掛須御諸(ヤトカケスミモロ)神」であり、大物主・葦原志許が国を堅めた後、天より三坂岑に下ったとあります。

この八戸掛須御諸神の名は『播磨国風土記』にのみ見えるものですが、御諸神とあることから「大神神社」(奈良県桜井市三輪に鎮座)の祭神である大物主大神の別名であると考えられます。

当該記事にも大物主の名が見え、葦原志許と並べて記しています。オオモノヌシおよびアシハラシコオはいずれもオオクニヌシと同一とされており、それに従えば当該記事に見える三神はいずれも同神となります。

ただ、アシハラシコオ(≒伊和大神)の活躍が数多く見られる西部地域の記事ではオオモノヌシと同一であるとする記述は見えず、美嚢郡の当該記事でも「大物主」と「葦原志許」を同一神と見て良いかは議論の余地があるかもしれません。(そもそも両神を併記する意図が不明)

 

その後の式内社「御坂神社」の来歴ははっきりしないものの、美嚢郡(現在の兵庫県三木市)では後世もこの神に対する信仰が根強かったと思われ、郡内の各地にミサカ神社が分立しています。

これらミサカ神社のいずれが勧請元、つまり本来の式内社「御坂神社」であるかははっきりせず、江戸時代から様々な説が唱えられています。

江戸時代末期の『播磨国風土記』の再発見により三坂神は志深里、つまり現在の志染川流域に鎮座していたことが判明し、これに従うならば志染川沿いに鎮座する当社は他の論社と比較しても特に有力な候補であると言えます。

当社は本来は志染中(西方約2.5km)に鎮座していたと伝えられており、その具体的な場所ははっきりしないものの志深里であったことは間違いないとみてよく、当社が式内社の有力候補であることは揺るがないことでしょう。

天正年間に羽柴秀吉の三木攻めの兵火に罹ったため社殿や記録を失ったといい、その後慶長四年(1599年)に現在地に遷ったと伝えられています。

このように歴史の煽りを受けて記録を失ったり場所を移転したりしながらも、現在も志染川沿いでは有力な神社として崇敬を集めています。

なお現在の当社は『播磨国風土記』に見える「八戸掛須御諸神」「大物主神」「葦原志許男神」の三柱を祀っています。上述のようにこの三神は同一神とも考えられます。

 

境内の様子

御坂神社

当社は志染川沿いに展開する御坂地区の集落内に鎮座しています。

この御坂の地名は明治九年(1876年)に村の合併により成立した御坂村を継承したもので、それ以前は当地は上(カミ)村と称していました。

当社の境内入口には真新しい神明鳥居が南向きに建っています。

 

鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎が建っています。

 

参道をまっすぐ進み石段を上るとすぐ正面に能舞台が建っています。

鳥居側から見ると裏側になっており、参拝者の動線は左右いずれかに迂回する必要があります。

 

回り込んで能舞台を正面側から見た様子。

東播磨地域の神社ではこのように能舞台が建てられることが多く、かつては多くの地域で娯楽として能が演じられていました。

現在では能を演じているところは少なくなり、当社でも廃れたようですが、この能舞台は比較的近年に建て替えられたもので獅子舞や神楽などが奉納されるようです。

東播磨地域では能舞台は神社の必須の設備であるとする認識が強く働いているのでしょう。

 

御坂神社

御坂神社

能舞台の後方(北側)に社殿が南向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造に千鳥破風を設けたもの。拝所前には提灯台が設置されています。

 

拝殿前に配置されている狛犬。

 

拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社流造。

 

本社拝殿の左側(西側)にはクスノキの大木が聳えており、御神木となっています。

 

本社本殿の左側(西側)には「武大神社」が南向きに鎮座。御祭神は「素盞嗚尊」。

社殿は銅板葺の流見世棚造。

 

本社本殿の右側(東側)に二社の境内社が南向きに並んでいます。その内訳は次の通り。

  • 左側(西側):「熊野社」(御祭神「熊野皇大神」)
  • 右側(東側):「神明社」(御祭神「大日霊貴命(天照大御神)」)

社殿はいずれも銅板葺の流見世棚造。

 

本社本殿の右側(東側)に若干の森が広がっており、この中にある木の根元に男根を模した陰陽石があり「男神」を祀っています。

 

男神のさらに奥(東側)には女陰を模した陰陽石が配置されており、こちらには「女神」を祀っています。

 

道を戻ります。

手水舎の奥(東側)に堀で囲われた方形の区画があり、そこに「嚴島社」が西向きに鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。

覆屋の中に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。

 

当社の社前には志染(シジミ)川が流れています。この川の流域が『播磨国風土記』に見える「志深里」だったと推定され、三坂神もこの流域に鎮座していたはずです。式内社「御坂神社」の論社は数多くあるものの、この『播磨国風土記』の記述から当社は最有力候補と言えることでしょう。

なお『播磨国風土記』はシジミの地名の由来について、履中天皇がここの井で食事したところ御飯筥にシジミ貝が上っており「これは阿波国の和那散(ワナサ)で食べたものだ」と言ったことによると記しています。

 

タマヨリ姫
三木市にはミサカって名前の神社がいっぱいあるんだね!
その中でもこちらの神社は式内社の特に有力な候補と言えるようね。
トヨタマ姫

 

由緒

石碑

御阪社

 

地図

兵庫県三木市志染町御坂

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