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三坂神社 (兵庫県三木市加佐)

社号三坂神社
読みみさか
通称
旧呼称
鎮座地兵庫県三木市加佐
旧国郡播磨国美嚢郡加佐村
御祭神天照皇大神、息長帯姫命、豊受大神、天児屋根命、應神天皇、菅原道真、大歳御祖神、坤八幡神
社格式内論社、旧村社
例祭5月2日

 

三坂神社の概要

兵庫県三木市加佐に鎮座する神社で、式内社「御坂神社」の複数ある論社の一つです。

式内社「御坂神社」の神については『播磨国風土記』美嚢郡に記されており、志深(シジミ)里に鎮座する三坂神は「八戸掛須御諸(ヤトカケスミモロ)神」であり、大物主・葦原志許が国を堅めた後、天より三坂岑に下ったとあります。(以下、詳細は志染町御坂の「御坂神社」の記事を参照)

その後の式内社「御坂神社」の来歴ははっきりしないものの、美嚢郡(現在の兵庫県三木市)では後世もこの神に対する信仰が根強かったと思われ、郡内の各地にミサカ神社が分立しています。

これらミサカ神社のいずれが勧請元、つまり本来の式内社「御坂神社」であるかははっきりせず、江戸時代から様々な説が唱えられています。

江戸時代末期の『播磨国風土記』の再発見により三坂神は志深里、つまり現在の志染川流域に鎮座していたことが判明します。

これに従えば当地は志深里だったとは考えにくく、当社が式内社であった可能性は高くないと言わざるを得ないでしょう。

 

一方当社について、伝承では神功皇后が三韓征伐の帰途に当地に立ち寄った際、俄雨で衣を濡らせてしまい、その時に竹の皮の笠を奉った者がおり「笠人」と勅命したといい、後に「笠人」が神功皇后はじめ諸神を祀ったのが当社であると伝えられています。

これは当地の地名「加佐」の由来ともなっています。

ただ「笠人」なる人物もしくは集団は記録に見えず、その実態ははっきりしません。

漠然とこの地に笠を製作する職人集団が居住していたことが推測される一方で、地名からの付会であることも考えられるかもしれません。

当社の御祭神は「天照皇大神」「息長帯姫命」「豊受大神」「天児屋根命」「應神天皇」「菅原道真」「大歳御祖神」「坤八幡神」。

多くの神を祀っているものの、『播磨国風土記』に見える「八戸掛須御諸神」は祀っていないようです。

恐らく当社は式内社「御坂神社」から勧請されたものの、その神格は忘れられ当地の伝承に組み込まれたものでしょう。

 

境内の様子

当社は美嚢川の右岸側で川を背にするように鎮座しています。

一の鳥居は境内の手前側約150mほどの地に西向きに建っています。基礎がかなりしっかりしたもの。

 

三坂神社 加佐

道を進むと二の鳥居が西向きに建っており境内入口となっています。

 

境内は広々としており、途中には注連柱が建っています。

 

注連柱をくぐって左側(北側)に手水鉢が配置されています。

 

三坂神社 加佐

三坂神社 加佐

注連柱をくぐって正面奥に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に唐破風の向拝の付いたもの。

訪問時は例祭の直前だったためか拝殿前に幟が立てられていました。

 

拝殿前に配置されている狛犬。

 

拝殿後方に塀に囲まれて本瓦葺の流造の本殿が建っています。

これら当社の社殿は平成二十三年(2011年)に改築したもの。

 

少し戻って手水鉢の辺りに境内社が南向きに建っています。社名・祭神は不明。

社殿は銅板葺の一間社流造。

 

上記の境内社の傍らに二つの石が安置されています。右側のものは「正一位○○明神」と刻まれており、恐らく稲荷系の神を祀っているのでしょう。

 

上記の境内社の右側(東側)には神庫が建っています。

 

神庫の右側(東側)には用途不明の建物があります。

内部は壁で四方が囲まれた方形の区画となっているものの、籠が置かれているのみでほぼ空です。

納札所にしては札等を取り出すのに難があるように思われ、何のための建物なのか全く謎。

 

タマ姫
神功皇后に笠を奉納した人がこの地にいたんだ!
それがこの地の地名の由来としても語られているようね。
トヨ姫

 

由緒

石碑

三坂神社社殿改築記念碑

 

地図

兵庫県三木市加佐

 

関係する寺社等

御坂神社 (兵庫県三木市志染町御坂)

社号 御坂神社 / 御阪社 読み みさか 通称 旧呼称 鎮座地 兵庫県三木市志染町御坂 旧国郡 播磨国美嚢郡上村 御祭神 八戸掛須御諸神、大物主神、葦原志許男神 社格 式内社、旧郷社 例祭 5月3日 ...

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