社号 | 佐保神社 |
読み | さほ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県加東市東実 |
旧国郡 | 播磨国加東郡東実村 |
御祭神 | 天児屋根命、比売大御神、大名牟知廼命 |
社格 | 式内論社、旧郷社 |
例祭 | 10月16日 |
式内社
佐保神社の概要
兵庫県加東市東実に鎮座する神社です。式内社「坂合神社」を当社とする説があります。
社伝によれば、養老六年(722年)に佐保野原と呼ばれる地に「天児屋根命」が顕れ、神託により鎮座したのが創建といい、宝亀十年(779年)に「比売大御神」「大名牟知廼命」を合祀して遷座、さらに文治五年(1189年)に由羅野原に遷座したと伝えられています。
社地区に鎮座する同名の「佐保神社」も同様に養老六年の遷座とされているものの、同社社伝や『峯相記』の記すように鎌倉峰から遷座したとは当社では伝えられていないようです。
旧地であるという佐保野原がどこを指すのかは不明ながら、もし現在の社地区であるならば、宝亀十年に社地区の佐保神社から勧請されたのが当社であることを示唆していると言えるかもしれません。
ただ宝亀十年の遷座先(勧請先?)がどこであったのかははっきりしません。
文治五年以降は遷座の記録が見当たらないことから、当該年に遷座したという由羅野原とは恐らく現在地を指すものと思われます。
その後、正和五年(1316年)に赤松則村が社殿を再建したものの、早くも正平六年(1351年)には兵火により社殿が焼失したと伝えられています。その後は何度かの社殿再建が行われているようです。
式内社「坂合神社」についての詳細は社地区の「佐保神社」もしくは加西市北条町の「住吉神社」の記事をご参照ください。
境内の様子
当社は東実地区の集落北東にあるちょっとした森に鎮座しています。
入口には鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐった様子。左右に玉垣の並ぶまっすぐな参道が続いています。
参道の先の右側(東側)に手水舎が建ち、手水鉢と井戸が配されています。
参道の先はやや開けた空間となっており、その正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入入母屋造。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方には何故か本殿が建っておらず、基壇のみがある状態です。
元はここに本殿が建っていたはずで、何らかの理由で失われたと思われるものの詳細不明。
本社本殿跡(?)の左側(西側)に「熊野本宮」が南向きに鎮座。
覆屋に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。
本社拝殿の右側(東側)に「大神宮社」と「八幡神社」の相殿が西向きに鎮座。
覆屋の中に檜皮葺の流見世棚造の社殿が納められています。
上記の相殿の前には一対の岩石が置かれ注連縄が掛けられています。
狛犬や随身のようなものでしょうか。
上記の相殿の左側(北側)に「金刀比羅神社」と「愛宕神社」の相殿が西向きに鎮座。
覆屋の中に銅板葺の一間社流造の社殿が納められています。
上記の相殿の左側(北側)に「稲荷神社」が西向きに鎮座。
覆屋の中に板葺(?)の流見世棚造の社殿が納められています。
稲荷神社の左側(北側)に「秋葉神社」が西向きに鎮座。
覆屋の中に板葺の流見世棚造の社殿が納められています。
本社拝殿の左手前(南西側)にはうっすらと土俵が設けられていました。


地図
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