社号 | 與位神社 |
読み | よい |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県宍粟市山崎町与位 |
旧国郡 | 播磨国宍粟郡与位村 |
御祭神 | 素盞嗚命、稻田姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月9日 |
式内社
與位神社の概要
兵庫県宍粟市山崎町与位に鎮座する神社です。式内社「與比神社」は当社とされています。
当社は成務天皇甲申年(十四年)もしくは欽明天皇二十五年の創建と伝えられており、「伊和神社」(一宮町須行名地区)と全く同一となっています。
当社は明治四十二年(1909年)に丸山なる地(詳細不明)に鎮座していた「子勝神社」を合祀しており、伊和神社、当社、子勝神社の三社は「伊和三社」と称し深い関係がありました。
「子勝神社」は式内社でないものの播磨国の国内神名帳『播磨国内鎮守大小明神社記』の宍粟郡に「子勝明神」として記載されています。
なお『延喜式』神名帳には当社は「與比(ヨヒ)」とあるのに対して『播磨国内鎮守大小明神社記』には「與位(ヨヰ)」とあり、『播磨国内鎮守大小明神社記』が成立したとされる平安末期頃には転訛していたようです。
中世の地誌『峯相記』は伊和大明神(=伊和神社)について述べた後に「與位子勝ハ父母を崇メ」云々とあり、当社と子勝神社は伊和神社の父母神を祀っていたことがわかります。
現在の当社の御祭神は「素盞嗚命」「稻田姫命」で、後者は「子勝神社」の御祭神だったもので、両神はまさしく伊和神社の御祭神「大己貴神」の父母神にあたります。
ただ、『播磨国風土記』に伊和神社の神とされる「葦原醜男命」「伊和大神」「大汝命」の親神は登場しないこと、また子勝神社が式内社でないことから、当社および子勝神社は伊和神社よりも遅れての創建だった可能性が考えられます。
そしてこの両社もまた伊和神社を奉斎した伊和君らが祭祀を行っていたことが考えられることでしょう。
境内の様子
当社は与位地区の中心となる低地部に鎮座しています。
山間の地でありながら山麓等でなく平野の低地部に所在する点は「伊和神社」(一宮町須行名)と共通しています。
境内は非常に鬱蒼とした社叢を形成しており、この森はスギやイチイガシなど多様な樹種の見られる貴重な温帯常緑林で宍粟市指定文化財となっています。
境内東側に両部鳥居が東向きに建ち入口となっています。
鳥居をくぐり参道を進むと、入口付近の鬱蒼とした区画とはうってかわって開放的な広場となっています。
参道から広場へ出るところの右側(北側)に手水舎が建っています。
この広場の正面奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に唐破風の向拝の付いたもの。
拝殿前には注連柱が建ち、低い塀を設けて広場とを仕切っているのも特徴的。
拝殿前に配置されている狛犬。やたらと角ばったもの。
拝殿後方に透塀に囲まれて銅板葺の一間社流造の本殿が建っています。
この本殿は当社に合祀した「子勝神社」のものを移築したものと言われています。
本社拝殿の左側(南側)に「大歳神社」が北向きに鎮座。御祭神は「猿田彦命」「大年神」。元々は子勝神社の境内社「佐田神社」だったようです。
社殿は銅板葺の二間社流造。
その他、当社境内には社務所や神庫などが建っています。
本社拝殿の右側(北側)には何故かライオンの銅像が建っていました。
境内の南側にはイチイガシの巨木が聳えており、樹齢400年と推定され、宍粟市指定天然記念物となっています。


由緒
案内板
式内社與位神社由緒略記
案内板
山崎町指定文化財
「與位神社の社叢」
地図
関係する寺社等
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伊和神社 (兵庫県宍粟市一宮町須行名)
社号 伊和神社 読み いわ 通称 旧呼称 鎮座地 兵庫県宍粟市一宮町須行名 旧国郡 播磨国宍粟郡須行名村 御祭神 大己貴神 社格 式内社、播磨国一宮、旧国幣中社 例祭 10月15日 式内社 播磨國宍粟 ...
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