社号 | 林田八幡神社 |
読み | はやしだはちまん |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 兵庫県姫路市林田町八幡 |
旧国郡 | 播磨国揖東郡奥佐見村 |
御祭神 | 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后 |
社格 | 式内論社 |
例祭 | 10月10日 |
林田八幡神社の概要
兵庫県姫路市林田町八幡に鎮座する神社です。
社伝によれば、寛平五年(893年)の五月、現在の当社の社地にある峰に鈴の音が聞こえ、東の峰に鉾が立ち、西の峰に白羽の矢が立ったので、これは神を祀るべき瑞兆であるとし、林田荘内の口佐見・奥佐見・林谷・林構・松山・山田・大堤の有志36名が「石清水八幡宮」(京都府八幡市に鎮座)から神を勧請したと伝えられています。
この36人の子孫は「小烏帽子(こえぼし)」と称し、当社の神事に深く関わってきました。
式内社「中臣印達神社」を当社に比定する説があり、『特選神名牒』によれば注進状に揖東郡奥佐見村松尾山に鎮座の八幡宮を往古より中臣印達社と称し、また守札に中臣印達神社の朱印を捺したともいい、さらに古老の伝として旧域内裏手に古い神社跡がありこれを「ナカトビ」と称したことを紹介しています。
『式内社調査報告』などはこの「揖東郡奥佐見村松尾山に鎮座の八幡宮」を当社とはまた別の神社として紹介しているものの、これは誤りと思われます。
何故なら当地・大字「八幡」は江戸時代以前は東に隣接する大字「奥佐見」と合わせて「奥佐見村」だったからです。この奥佐見村は明治元年(1868年)に西奥佐見村と東奥佐見村に分かれ、その後西奥佐見村は大字「八幡」に、東奥佐見村は大字「奥佐見」になり現在に至っています。
『式内社調査報告』は恐らくこうした地名の変遷を知らず誤解しているものと思われ、『特選神名牒』に見える「揖東郡奥佐見村松尾山に鎮座の八幡宮」とは(隣接する大字「奥佐見」でなく)やはり当社を指すと見るべきでしょう。(ちなみに現在の大字「奥佐見」の範囲内に該当する神社は無い)
故にかつて当社の注進状や守札に中臣印達神社と表記していたらしいこと、そして旧地を「ナカトビ」と称したらしいことは式内社「中臣印達神社」の根拠として十分考え得るものであり、現在も4月15日に当社で「中臣印達祭」が行われているようです。
ただ、そのような注進状や守札が実際にあったのかははっきりせず、また旧地の場所も不明となっているため、式内社「中臣印達神社」たる痕跡を現在確かめるのは難しくなっています。
もし仮に当社が式内社だったならば、当地に八幡神が勧請される前より(恐らく“旧地”に)鎮座していたものと考えられ、八幡神の勧請後は同神が主祭神となり式内社「中臣印達神社」はそれに取り込まれたことになるのでしょう。
現在、式内社「中臣印達神社」の論社はたつの市揖保町中臣に鎮座する「中臣印達神社」が地名からしても有力で、また姫路市網干区宮内の「魚吹八幡神社」も論社となっています。
式内社「中臣印達神社」についての考察は「中臣印達神社」の記事をご参照ください。
なお、江戸時代の当地は林田藩の一万石の領地で、藩主の建部氏は当社を産土神・祈願所として殊に崇敬し、三代藩主の政宇の奉納した絵馬がある他、境内には歴代藩主の奉納した灯籠が残っています。
林田藩は小藩ながら、林田町上構に鎮座する「祝田神社」と共に当社を藩内の重要な神社として崇敬したようです。
境内の様子
当社は林田川が東から南へ湾曲する左岸側にある丘に鎮座します。案内板によればこの丘は「鈴が峯」と呼ぶようです。
入口には提灯台と鳥居が南向きに建っています。
鳥居をくぐって参道を進むと随身門が南向きに建っています。形式は銅板葺の平入入母屋造の八脚門。
左右の部屋に配置されている随身像は互いを向き合う対面型。
随身門をくぐった様子。二段の石垣で構成されており、中央に石段が伸びています。
石垣の一段目へ上った様子。二段目への石段の下には注連柱が配置されています。
さらに石段を上って右側(東側)に手水舎が建っています。
石段上の正面には社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は正面から見ると桟瓦葺の平入入母屋造に唐破風の向拝の付いたもの。ただ、後述のように後方は妻入切妻造となっています。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の三間社入母屋造に千鳥破風の付いたもの。
拝殿および本殿を側面から見た様子。前述のように拝殿は後方が妻入切妻造となっており、奥行六間にもなるかなり縦に長い構造です。
本社社殿の周辺の様子を当記事では反時計回りに見ていきます。
本社拝殿の右側(東側)には玉垣に囲まれて三基の灯籠が建っており、これらは歴代林田藩主の奉納したものです。
当社が林田藩から厚く崇敬されていたことがわかるものとなっています。
案内板
八幡神社石燈籠
灯籠の左側(北側)に三社の相殿が西向きに鎮座。祀られているのは左側(北側)から順に「聖社」「天神社」「稲荷社」。
社殿は本瓦葺の三間社流造。
本社本殿の後方(北側)は一段高い空間となっており、こちらにも境内社が鎮座しています。
本社本殿の右奥(北東側)の石段を上ると鳥居が建ち、その奥に「高良神社」が南向きに鎮座。御祭神は「武内宿禰」。
銅板葺の平入入母屋造の拝殿が建ち、後方に本殿が建っているようですが本殿はよく見えません。
高良神社の左側(西側)に「松尾神社」が南向きに鎮座。御祭神は「木花之佐久夜毘売」。
鳥居が建ち、奥の社殿は本瓦葺の妻入入母屋造に向拝の付いた拝殿と銅板葺の一間社流造の本殿で構成されています。
本社拝殿の左手前(南西側)には銅板葺の平入入母屋造の舞台が建っており、内部には数多くの絵馬の他、軍用機で使用されたと思しきプロペラが掲げられています。
西播磨ではこのような舞台を多く見かけることができます。
由緒
案内板
八幡神社
地図
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