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梛神社 (兵庫県姫路市林田町下伊勢)

社号梛神社
読みなぎ
通称
旧呼称伊勢神明宮 等
鎮座地兵庫県姫路市林田町下伊勢
旧国郡播磨国揖東郡下伊勢村
御祭神天照大神
社格式内論社、旧村社
例祭10月10日

 

梛神社の概要

兵庫県姫路市林田町下伊勢に鎮座する神社です。式内社「粒坐天照神社」を当社に比定する説があります。

社伝によれば当社の由緒について次のように伝えられています。

  • 垂仁天皇二十六年、南西にある七五三獄(シメダケ)から北東にある窟山にかけて十二本の幡が降り、一本が当社付近の八町四方に繁茂していた梛の木にかかって天照大神が顕れたので、当地に居住していた県主葦原照穂は幡の降りた地に碑を建てた。
  • その後、十八世孫の飯粒(イヒボ)は安閑天皇に良田四十町を献上し、勅を奉じて碑の地に天神七代・地神五代を祀り、梛の木を切り倒した後に天照大神を祀ったのが当社である。

ここに登場する県主葦原照穂の子孫である飯粒とは『日本書紀』安閑天皇元年閏十二月四日の条に登場する人物で、天皇が三嶋を訪れた際、県主飯粒は大伴金村に良田について問われ、飯粒は上御野、下御野、上桑原、下桑原等の計四十町を喜んで献上したことを記しています。

ここで天皇が訪れた「三嶋」とは摂津国の三嶋、現在の大阪府茨木市・高槻市・島本町付近を指すとするのが通説で、御野も摂津国西成郡三野郷(現在の大阪市西淀川区付近)、桑原も現在の茨木市桑原を指すと見られます。

飯粒も摂津国の人物であり、三嶋県主の出自であると考えられ、『新撰姓氏録』には右京神別に神魂命の十六世孫、建日穂命の後であるという「三島宿禰」が登載されています。

この人物が当社と関わる接点は見当たらず、恐らく飯粒(イヒボ)の名が当地の郡名である揖保と共通であることから付会したものと思われます。

ただ、幡が降りて梛の木にかかったとする描写は古い伝承を伝えている可能性があり、注目すべきでしょう。

 

一方、『播磨国風土記』では当地の地名「伊勢」の由来について次のように記しています。

『播磨国風土記』(大意)

伊勢野と名付けた所以は次の通り。この野は人々が安らかに暮らせなかった。そこで「衣縫猪手(キヌヌヒノヰテ)」「漢人刀良(アヤヒトノトラ)」らの祖がこの地に居住しようとし、“山本”に社を立てて敬い祀った。“山岑”に鎮座する神は伊和大神の子の「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」である。これにより人々は安らかに暮らすことができた。故に伊勢と名付けた。

『播磨国風土記』の西部地域の記事ではしばしば土着の神である伊和大神が登場し、ここではその子である「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」がいて地名となった旨を記しています。

谷川健一編の『日本の神々』によれば、従来は「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」を山麓に祀って伊勢明神として祀ったと解釈されていたものの、『龍野市史』は“山本”と“山岑”が対比されていることに注目し、猪手・刀良の祖が新しく社を山麓に建てて自らの神を祀り、元々この地を支配していた「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」を山上へ追い上げたとしていることを紹介しています。

“山本”に新しく祀った神が如何なる神であるかは記事から読み取れないものの、漢人氏が渡来系であるのは言うまでもなく、衣縫氏も『新撰姓氏録』和泉国諸蕃に百済国の神露命を出自とするとあり、こうした渡来系氏族の祖を祀ったのではないかと見られています。

当社についても、この渡来系氏族が祀った神であるか、もしくは山上へ追いやられた「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」が再び麓で祀られるようになったものである可能性が考えられます。

 

当社が式内社「粒坐天照神社」の論社とされたのは恐らく当社の御祭神が「天照大神」であることによるものでしょう。

これは当地の地名「伊勢」を伊勢国、中でも伊勢神宮に因むものとして後世に御祭神が変更され、上記の由緒にも組み込まれたものと思われます。

ただ、よしんば当社が『延喜式』の時代から天照大神を祀っていたとしても、「粒坐天照神社」の「天照」はアマテルと読むべきであり天照大神ではないと考えられ、天照大神を根拠に当社を論社とすることは不当となります。

この点についての詳細は龍野町日山に鎮座する「粒坐天照神社」の記事をご参照ください。

 

境内の様子

当社は下伊勢地区の集落南端の山麓に鎮座しています。

境内は鬱蒼とした社叢となっており、玉垣で仕切られ、入口に一の鳥居が西向きに建っています。

 

一の鳥居をくぐった様子。訪問時は夕方だったとはいえ、木々の密集した非常に暗い境内となっています。

 

さらに進むと石段と玉垣で奥の空間が仕切られ、石段上に二の鳥居が西向きに建っています。

 

二の鳥居をくぐって参道を進むと左側(北側)に手水舎が建っています。

 

参道奥は高く石垣が築かれており、中央に石段が伸びています。

 

この石段を上って正面奥に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。

 

拝殿前に配置されている狛犬。

 

拝殿内の屋根裏には数多くの絵馬が掲げられています。

 

拝殿後方の小高いところに銅板葺の流造の本殿が建っています。

 

本社拝殿の左側(北側)に「荒神社」が西向きに鎮座。

社殿は桟瓦葺の流見世棚造。

 

荒神社の上方(東側)、本社本殿の左側(北側)に「木ノ神社」が西向きに鎮座。

社殿は平入入母屋造に大きな唐破風の付いた石祠となっています。

 

本社本殿の右側(南側)に二社が相殿となった境内社が西向きに鎮座。左側が「貴船神社」、右側が「大歳神社」です。

社殿は桟瓦葺の二間社流見世棚造。

 

境内には樹齢130年前後の梛の木があります。

伝承ではかつてこの辺り一帯が梛の森だったといい、当社の創建由緒にも関わっています。

 

当社背後にある山。鋭く尖っているのが特徴的。

『播磨国風土記』に見える「伊勢都比古命」「伊勢都比売命」はこうした山に祀られていたのでしょうか。

 

タマ姫
地名が伊勢だし御祭神からしても伊勢神宮と関係ありそう!
『播磨国風土記』を見る限りでは全く異なる由来となっているわ。この地名は伊和大神の御子神に因むみたいね。
トヨ姫

 

由緒

案内板

梛神社(村社)

 

地図

兵庫県姫路市林田町下伊勢

 

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